第1章 31 「やーっ! 絶対にやーっ!」
「うっっっま!」
もしもこれが漫画なら、このコマの背景は落雷だったであろう。それほどの衝撃をあるては受けた。
喫茶潔白でランチを堪能したあるてと道瑠は次に、カラオケで遊ぶことにした。その1曲目、先に歌ったのは道瑠からで、彼の歌声を聴いたあるては動揺を露わにして――やがて、道瑠が歌い終わる。
「お粗末様……って、あの……?」
あるては顔を両手で覆い、撃沈していた。
「もしもーし、あるてさーん?」
「ムリ。ウタエナイ」
感情を伴わぬ棒読みで、あるてが歌う言ことを拒否する。
「アンナノキイタラ、ワタシ、ウタエナイ」
何かに於いて上手な人の後にはやり難い心理。あるては今まさに、その心理のドツボにハマっていた。
「大丈夫だよ、僕だってプロじゃないんだから。それよりもカラオケなんて楽しんだもの勝ちなんだから。ね?」
「やーっ! 絶対にやーっ!」
皆無だった感情が一転、逆に溢れんばかりにして駄々を捏ね始めた。
「困ったなあ……。あの、あるて? 僕は上手い歌を聴きたいわけじゃ無いし、下手な歌も聴きたいわけじゃ無い。あるての歌を聴きたいんだ」
「ぅ……。そ、それはその、ズルいと言うか……」
「あー……」
この状況、どうするべきか、何て声を掛けるべきか、道瑠はわからなかった。すると部屋に入る前にドリンクバーで入れた、あるてのオレンジジュースのグラスが視界に入った。それは早いことに完飲されていたが、対して道瑠の烏龍茶は先程まで歌っていたため当然減っていなかった。
(……よしっ)
とある決意をした道瑠は烏龍茶を一気に飲み干すと、あるてのグラスも手に取った。
「お、おかわり貰ってくるね。だからその間に落ち着いて。何と今なら30分以内限定、お得なお手洗いもセットで言ってくるから」
「何で通販っぽく――あっ」
そして、そのまま道瑠は部屋を出た。
「………………」
一人、部屋に取り残されるあるて。
「……気、遣わせちゃったな」
頑なに歌わなかったことに後悔しながらも、さてどうしようかと考える心の中の話。
「歌いたくなかったらそのまま聞き専に回りゃあ良いんだよ!」
と、あるての悪魔が唆す。
「駄目駄目。ちゃんと歌って道瑠にも楽しんでもらわないと」
それに対してあるての天使が悪魔に対抗する。
「優柔不断な子だねえ。さっさと決めないと今日の晩ご飯抜きだよ!」
第三勢力として、あるての母の
「――って、何でここでお母さん出て来るの! 帰って、帰って!」
思わず声に出たツッ込みと共に、顕子には心の何処かへと引き返していただく。道瑠が戻って来るのも時間の問題、天使と悪魔が喧嘩する中、あるてはとあることを思い付く。
(そ、そうだ。最近はアニソンの主題歌なんかはTVサイズのが存在してるはず……!)
喧嘩の結果はお預け。意を決したあるては直ちに短いサイズの曲を選曲し、歌い始めた。
――――――。
(よ、よし……!)
あるてが歌い終わっても道瑠が戻って来ることは無かったため、取り敢えず安心することにした。その直後、道瑠は新しく入れた2人分のグラスを持って戻って来た。
「お、おかえり……」
少し緊張した様子であるてが声を掛ける。
「お待たせ。何だ、あるても結構上手いじゃん」
「えっ? 何言ってるの。私歌ってなんか――」
「またまた。途中からだけど聴いてたよ、部屋の前から」
「……いたの?」
「ごめん、いたんだ。歌ってる途中で入ったらマイクのエコーガンガンに響かせて発狂しそうだったからさ。トイレってのも嘘で、飲み物入れただけなん――!?」
(挿絵)
https://kakuyomu.jp/users/ankm_aaua/news/16817330650657602245
「――――――――ッ!!」
道瑠の言葉を遮り、あるてが声にならない声を上げながら前のめりになって両手で後頭部を抱える。小刻みに震え、顔も見事に赤面しているがその顔を道瑠に見せるわけにはいかなかった。
「ぼ、僕は歌や演技はお世辞じゃ褒めないから。あるて、元々良い声してるなって思ってたけどやっぱり歌声も良かったし、もっと聴かせて欲しいって思ったよ。だから落ち着いて。ほら、これでも飲んで」
道瑠がテーブルの上に2つのグラスを置く。
「ねえ道瑠ぅ。楽しんだもの勝ちって言ってたよねぇ? 今の私見てて楽しいでしょー? ほらほらー」
「そんなこと無いよ。ドSな人なんかはそうかもしれないけど、僕はそんなんじゃないし。楽しむならもっと別の形で楽しみたいな」
「うっそだー。ああああぁぁぁあぁぁぁ……」
「うーん、根が深いなあ。……あの、嫌だったらごめんね?」
「!?」
道瑠が謝りながらあるての頭を撫でる。声の漏れが治まらなかったあるてだが、不意におとなしくなってしまう。
「喫茶店で撫でてくれたお返し。本当に大丈夫だから」
「…………ほんとに?」
「うん、ほんとに」
「……そっか。ごめん、ちょっと耳塞いでて?」
「えっ、どうして――」
あるてがのっそりと立ち上がる。そして息を吸いながら、上体を後ろに反らした。
「ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」
直後、あるては大声で叫び、呼吸を整える。声が途切れると、道瑠は手を耳から離した。
「あ、あるて?」
「はあ……はあ…………。ん、もう大丈夫、吹っ切れた。めんどくさくてごめん」
溜まっていた感情は叫びと一緒に吐き出され、あるては無事に立ち直った。
「ううん、大丈夫。いつものあるてに戻ったのなら良かった。それじゃあ――」
「でもさっき私歌ったから、次は道瑠お願い」
「あっ、はい……」
そう言われて歌う道瑠の2曲目も、その圧巻の歌唱力にあるては聴き惚れる。間奏に入ると次に歌う曲を探すが、その最中、手を自分の頭の上にふと置いてみる。そして思った。
(頭を撫でられるの……好きかもしれない。私こんなことしてたんだ……)
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