⑥2003年9月

2003年9月


 落ち葉を踏みながら歩くのは、俺の落ち込んでいる時の癖だ。

 負けて帰った日なんかによくやってた。気付いてからは、意識してやらないようにしてた。そんなことを思い出したのは、久しぶりに落ち葉を踏んで帰ったからで、つまり癖を止めようと意識できないほどに俺は落ち込んでいるんだろう。俺は確かな足がかりが欲しいのか、なんて思ったのはこじつけにしても上出来かも知れない。

 意味もわからず殺されること。

 やっちゃイケナイってわかってることをやっちゃって負けること。

 対策も練習も万全にやって「よし、いける」と思って敗れること。

 対戦をやっていて心が折れそうになったことは山ほどあった。

 だが、最近一つ気付いた。

 そう。それら全てに耐えて勝ったところで、相手が真剣にやってくれた保証がない。

 金でも賭けるか? 何の解決にもなってない答えが思いつくほど、俺は追い詰められていた。

 【ジョイグラップ】に来た人間全員に、圧勝した帰り道のことだった。



「金、賭けませんか?」

 初めて交わす会話がこれか。口に出してしまってから自己嫌悪を感じ、俺は甲田の返事を待った。確か、甲田、のはずだ。周りの奴がそう呼んでいた時のことを記憶の中から引っ張り出して、目の前の男の名前を確認する。

 甲田の瞳が細かく揺れた。だがそれも一瞬のことで、すぐに周りを確認すると、いいよ、と睨み返してきた。

「ウマ五千円で、三〇戦。いいか?」条件に甲田が頷く。それを確認すると俺は「ハンデだ。おまえは五勝すりゃ勝ちでいいよ」と、甲田にだけ聞こえるぐらいの声でぼそっと呟いた。

 奥の対戦筐体に座ってコインを投入する時、甲田が怒りに顔を歪ませているのが見えたが、特に条件に文句は挟んで来ずに対戦筐体の向こうへ消えていった。

 甲田が受けるのはわかっていた。

 元々、賭け対戦ってものを対戦界に広めたのは甲田たちだった。一勝の単価を決めて試合毎に金が行き来する場合もあれば、今回のように対戦数を決めて規定回数勝ったほうが金をもらうって場合もある。条件が気に入らないなら断ればいい。あくまでも両者の合意の元に金の収奪が行われる。

 だが、実際のところこんな申し出はフェアじゃない。

 賭けを断れば実力差を認めることになり、受ければ不利な略奪にさらされる。

 自由や合意、そんな言葉を弄したところで、強者が有利な事実は変わらない。

 俺は自分の魂が腐っていく音を聞きながら、無表情を装ってゲームに集中しようとした。

 甲田は俺より弱い。

 別に、反応速度が特別悪いとか、勝負の最中に落ち着きがないってわけじゃない。

 駆け引きができないわけでもないし、コマンド入力がヘタなわけでもない。ただ、正確な作業ができることを前提とした駆け引きが、俺より数ランク低いだけだ。

 たとえば近代格闘ゲームを語るのに外せない、ヒット確認、というテクニックがある。

 格闘ゲームにおいて必殺技というものは、大きく戦局を左右する。必殺技をガードされると大きな隙を見せることになり手痛い反撃を食らってしまうが、ヒットさえすれば威力は絶大だ。極端な話、格闘ゲームの戦術は如何に必殺技をヒットさせつつ、相手の必殺技を喰らわないようにするか、というところに集約される。

そこで生まれたものが連続技という概念だ。

 まずは隙が少なく、たとえガードされても反撃を受けない攻撃を出す。そしてその攻撃がヒットしているかどうかを確認し、必殺技を発動する。

 確実に必殺技をヒットさせること。それが連続技を使う意味だ。

 確認に要する時間は一秒間六十フレームとして計算して、十四~十七フレーム。

 大体、小技なら二発ほどの時間だ。右手で小技のボタンをタタン、と押した直後、左手は必殺技コマンドのレバー入力のみ完了しておく。その最中に目は画面を凝視して、相手の状態を確認する。最初に入力した小技がヒットしていたらボタンを押して必殺技を発動。

 ちなみに理論上、ほとんどの技から必殺技に繋ぐことはできるが、十四フレーム以下の時間での確認作業は物理的に無理だと思うし、この点については俺も甲田とさして変わらない。

 ―ならば、差はどこから生まれるか。

 それは理論の理解と応用にあると思う。

 先ほど言った通り、十四~十七フレーム前後の時間がないとヒットか否かの確認はできない。

 それはつまり食らっても構わない技が存在する、ということだと俺は認識している。

 たとえば密着間合いからの二連続ジャブ。密着でのもう一つの選択肢、投げ技と対になる選択肢だ。ガードで固まる相手には投げ技が決まり、間合いをとろうとすればジャブが刺さる。ジャブも投げ技も密着状態でしか効力を発揮しないが、攻撃発生の速さの点では折り紙つきだ。また、ジャブ一発止めから投げ技へと変化させることもできる。フェイントってやつだ。

 さて、このジャブ二連打だが一発目のジャブは食らってはいけない。ヒット確認されて必殺技の餌食になってしまうからだ。

 だが、二発目のジャブとなると話は別だ。

 一発目をガードし、二発目を食らったところで相手はヒットを確認して必殺技へと繋ぐことは不可能だ。だから、二発目は食らっても構わない。

 俺は防御選択肢で「投げ抜けを意識しつつ、ジャブ一発目をガード、その後バックダッシュ」を実行し、甲田の攻めのほとんどを凌ぐことができた。例を出せば、二連続ジャブ、投げ技、ジャブ一発止めからの投げ技、などが俺には通じない。

 同じ局面で「ジャブの届かなくなる距離までガード」と、実行している甲田とでは防御力に明らかな差がある。

こうやって防御力を高める以外にも、ヒット確認の理論を応用することで攻撃力を高めることも可能だ。再三になるが、技を当ててから必殺技に繋ぐまでのヒット確認猶予は、十四フレーム前後だと説明した。単発打撃の必殺技への連係可能時間は十二フレーム前後。本来ならヒット確認は不可能な短い時間だが……。

 たとえば、リーチの長い左フック。ボタンを押してから技が発生するまでは、俺のキャラの場合、八フレーム前後かかる。振りかぶってるってことだな。その発生までのタイムラグをヒット確認へと充てる。つまり、当たってからヒットの判断をするのではなく、当たる前からヒットの判断をするのだ。相手の技の空振りに反応してフックを出す場合は、反撃が間に合うか否かを判断する。他にも、フックが確実に届く場面では、当たる前の相手が動いていたか否かを判断するやり方もある。

 俗に、状況確認とも呼ばれるような高等テクニックだ。

 また、三発以上の技から連続技を狙う際にはその確認フレームの長さを利用し、ガードされていれば有利な状況を作り出す特殊技(ガード崩しやダッキング、基本すぎて忘れがちだが、ジャンプというものも特殊技に分類されると俺は思う)へと、臨機応変に連係させる技を変えていくのが理想でもある。

 甲田と俺の技術の差はそのまま武器と盾の差となり、俺はほとんど負ける要素のない試合を淡々とこなしていた。

 ―と、甲田は作戦を変更してきた。

 数回の負け試合で布石を打ち、どうにか三十試合の間に五勝をもぎ取る作戦に出たようだった。

 俺はその作戦に気付かず、二十試合が終わるまでに、四試合ほど落とした。いよいよ負けられない状態となってからの十試合は、それなりに楽しかった。

 実力差がありながら、互いに目標に肉薄しているような感覚があった。

 ビンビンに感じるプレッシャーの中、より正確な作業、より速い反応、より鋭い読み、より正確な判断、より効率的な選択肢、より威力の高い連続技を目指し、自分が成長していく。

 甲田との試合の最中、俺はずっと考えていた。

 対戦をする動機も、知識も、背負うものも、何もかもが違う相手を信じることは難しい。ましてやゲームは負けても失うものがない。最大リスクはせいぜいプレイ料金の百円程度。俺が何度でも挑み続けたように、彼等も何度でも挑み続けることができる。そこにプライドがかかっていてもいなくても。

 極端な話だが、相手が辞めるまで金を入れ続ければ勝ちだ、とさえ言える。

 こんな状態では相手の技量を前提とした駆け引きなどは、望むべくもない。

 では、互いが小額でも金を賭け、互いに負けのリスクを負えば。

 勝利することに、ほんの少しでもメリットがあれば。

 麻雀やポーカー、その他様々なゲームで、実際に金は賭けられている。合法だろうが非合法だろうが両者の合意があれば、何より相手を信頼し対戦を楽しむためにはこの形もアリなんじゃないのか?

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