リバーラン 第二部

我那覇キヨ

①2003年4月

第二部「edge」


2003年4月


「だから、努力すれば報われる、とか何とか言ってるけど、そんなことを人に求めるスタンスそのものが袋小路なんじゃねぇの?」

 説教は俺の悪い癖だ。直したいと思わないところもまた、悪いところなのかも知れない。

「格ゲーやってる奴のトップクラスの奴等がなんかの辛い修行みたいに意識して対戦してると思ってる? 『日々のゲーセン通い』に意味を与える上で、大会は確かに分かりやすい目標になり得る。でも、別に、格ゲーの大会はそんなストイックな意識でやってる奴が頂点に立つわけじゃない。無邪気に楽しんでる奴や、惰性でやってる奴が優勝かっさらう時だってある。単純にもともとセンスがある奴、強心臓な奴、運があった奴、極端に言えば一番やりこんだ人間の十分の一しかやってない奴が勝つことだって沢山ある。なぜか? それは、格ゲーにはそれほどの業を競い合えるだけのキャパがないから。それが少なくとも今の現実だし、これから変わるかと言ってもどんなに希望的な観測で考えても厳しい。っつーか無理。断言できる。たまたま自分がゲームの世界にどっぷり浸かってるからって、『ゲーム』の本質というものを見て見ぬ振りして、社会的に立派に成立してる他のものと同じように適用しようとするのは、単なる現実逃避でしょ? それでも『日々のゲーセン通い』に『努力』とかの意味や価値を付随させたいのなら、それはあくまでも自分自身の中だけで完結させるべきものであって、間違っても外に求めるべきじゃない。あまりにも的外れで、どうやったって報われるものじゃないから。そもそも、俺たちがどれほど格ゲーで精進するのは意味のあることなんです、と声高らかに叫んでも、世間の一般的な評価は言うに及ばずだよな。いい歳して何やってんの? で終わっちゃうだろ」

 俺は、ノスケの顔が辛そうに歪んだのも気にせず言い切った。

「だから、オレが言いたいのはそんなことじゃなくて、プロ化が巧くいってたら、もっといい世界になってたのは事実でしょってことです」

 守勢に回っていたノスケが同意を求めてきた。互いの共通認識まで下がって、様子を見ようってところか。攻めのチャンスを逃さず、俺は突き放した。

「ダメだったもんは仕方ねえんだよ。高城がもう対戦やってないってのはそういうことなんだろ? 関西の事情は知らねぇが。それにそもそも今回、お前が愚痴ってることとは何の関係もねぇ」

 閉店までゲームセンターで対戦。

 その後、ファミレスにて終電を逃した面々での対戦談義や愚痴り合い。

 俺たちのような対戦ゲーマーなら一度は経験のあることだと思う。俺個人の好みから言えば、さっさと家に帰って寝るほうが好きだ。だが、今日は帰ろうとするところを、ノスケに袖を掴まれた。

 そんなノスケの動作をちょっとでも可愛いと思ってしまったのが馬鹿だった。

 話を聞いて三十分。俺は激しく後悔し、ノスケは甘いデザートをやけ食いしていた。ノスケは、今日参加してきた合コンで、二次会の誘いを丁重にお断りされたらしい。

 ノスケは結構顔がいいから(男前って言うよりは可愛いって感じか)意外に思っていたら、一次会の自己紹介で対戦格闘ゲーマーと名乗ったそうだ。

 そりゃ、ダメだろう。

 ノスケは、今日会った女たちが対戦の素晴らしさをわかろうともしないと嘆き、対戦の社会的地位の低さを愚痴り、しまいにはあの高城の話に突入した。

 かつて。

 と言うほど昔ではなく、正確には二年前。

 高城というプレイヤーが、いた。今ではちょっとした伝説になってる人だ。

 アーケード業界ってものを真剣に考えて、一つにまとめあげようとした人らしい。今でも残っているプレイヤー団体『ファイトクラブ』の設立は、この人が行ったそうだ。おかげで今でも定期的な大会が開かれていたりもする。俺も、大会には出場しているから、間接的には高城の世話になっているってことなんだろう。

 今現在ここにいない人間で、しかも俺自身が会ったこともない奴のことを悪く言うのはあんまり好みじゃないが、俺はこの人のことが嫌いだ。

『アーケードゲームが社会に認知され、プレイヤーがその努力を正当に評価されるように、頑張りたい』

 なんて素晴らしい響きだ。

 だが、そのキレイな標語に高城の本音なんてのはどれだけ含まれている?

『俺はゲームが好きだ。俺はゲームが強い。好きなことだけやって生活できたらどれだけいいだろう。だから、社会に認知してもらいたい。自分はゲームができるからそれを誇れる世の中にしたい』

 結局そう言ってるんだろう? 高城がどんな言葉を吐いたとしても。

 少なくとも、俺がプロゲーマーの存在を望む気持ちはそうだ。

 ―どんな文化も、プレゼン能力とスポンサー次第でニーズを生み出し(欧米での評価、韓国の現状など、単語レベルなら言えることは幾らでもある)、その結果、消費から産業が産まれるわけで―

 大学で身に付けたありがたい知識が、俺に甘言をささやく。

 確かに、高城の提唱した未来は俺にとって都合がいい。

 だが……俺はこの考えに同調する俺を、好きになれそうにない。そこには、俺にない富や名声を求めて駄々をこねている子供の姿しかない。俺は、そんな動機で対戦をやっているんじゃない。

「じゃあ、トシさんが対戦をやる理由って何なんですか?」

 ノスケの問いが完璧なタイミングで刺さった。ぼんやりカウンター補正でダメージ二十五%アップってところか。

「外に見返り求めちゃいけないって俺に言うんなら、トシさんはどうして対戦なんかやってるんですか」

 続く言葉が追い討ちをかける。

「言っときますけど!」おいおい、まだ攻めるのかよ。くどいって。「楽しいからやってるだけ、とか言って快楽主義者気取ったり、俺みたいな人間になるな、なんてロートル気分に浸るのも禁止ですからね。さぁ答えてください」

 そして最後に退路が断たれた。いい攻めだ、と言うより序盤の俺の攻めが裏目ったんだろう。

 解説する振りをしても、一方でうろたえている自分には気付いていた。

「……っつーより」しばらく真面目に考えた後、俺はノスケを睨みながらぼやいた。「俺が納得してたら、おまえも納得すんの?」

 一瞬の沈黙の後、

「ま、そうなんですけどね」 

 ノスケが、気の抜けた声を出した。俺はつられて笑った。

 圧倒的有利な状況でノスケが踏み込むのをやめたのは、根が優しいからだろう。こう言っちゃなんだが、対戦人には向いてない。

 俺は、と言うと、それより弱いんだから話にもならないんだが。


 その日の帰り道。と言うより、一時間後。

 ノスケが寝たのを確認した俺は、飯代は奢らせることにして歩いて帰った。朝までじっと待つのが耐えられなかったんだと思う。

 新宿から電車で二十分ぐらいだから、始発で帰るよりは先に家に着くはずだ。

 線路沿いの道を一人で歩きながら、額に浮いた汗を拭う。やはり寝不足はよくない。

 夜更かし特有の、重くて密度のあるため息を吐いて、俺は足を速めた。できる限り体力の消耗を抑えるために、顔を俯き気味に歩く。どうせこんな時間じゃ、他に歩いてる奴なんていないだろ。

「いい若いもんが……有り余ってんのかね。まったく……」

 自嘲した傍から呆れていた。浸っているだけだし、こういうのは誰も幸せにしない。

 青臭い自分を意識したが、人前でやらない程度の自覚があるだけマシだと思った。

 対戦格闘ゲーム。

 月一回発行される専門雑誌の言い方を借りれば、かつてのアーケードゲームの花形。

 そしてその実体は、多くの潰れるゲーセンと一握りの有力店を生み出した時代の仇花ってところか。去年一年で全国に三万店前後あると言われているゲーセンのうち二千店が、改業なり廃業を余儀なくされた、と専門誌は煽り立てている。ブームが過ぎたハヤリモノほど残酷な現実が待ち構えている、なんて分析もあるけど、俺はそうは思わない。

 起こったのは当たり前の淘汰。

 立地条件、メンテナンス、接客マナーに宣伝、それらの当たり前のサービスが行えなかった店が潰れただけのことだ。家庭用ゲームにハードの性能で負けた瞬間に、この未来は予測できたはずだった。その現実を悲劇だなんて被害者面して言うゲーセンは、脳味噌が足りてないか、とことん客ナメきっているかのどっちかだと思う。

 俺はこの変化を当然のことだと思っているし、だからこそ、この世界をリアルだと思う。

 今まさに壊れゆく世界や、変化し続ける世界。

 その中では、俺の意味すら変わり続ける。

 モノは壊れる。水は流れる。人は死ぬ。弱者は淘汰されるし、強者は支配をやめない。脳味噌の中にある俺の考えや好みだって変化からは逃れられない。

 理屈は通ってる。

 何の問題もない。

 俺の感情を除けばな。

 政治家が改革を声高に叫んでも、イラクとアメリカが戦争をしても、その全てが、俺とは関わりのない出来事のようにしか感じ取れなかった。

 いや、言い直そう。関わりなくはないんだ。そんなことは知ってる。

 物価やガソリンの値段に跳ね返ったり、自衛隊に行った幼馴染みにとっちゃそれこそ身近な問題だってこともわかってる。だけど、俺が言いたいのはそういうことじゃない。

 いい加減、ハッキリさせていいだろう。もう「デカイ一発」なんてのは来ないってことを。

 あれほど騒がれたY2K。そういやノストラダムスなんてのもいたっけ。ワールドカップの時、周囲の熱狂ぶりに違和感を覚えたのは俺だけか?

 深夜のコンビニバイトで退屈にため息をつきながら、ゼミの飲み会でほとんど話したこともない奴に親友面されながら、俺は俺の人生を変えた映画のセリフを思い出す。

『俺たちの可能性は潰されている。職場といえばガソリンスタンドかレストランに、しがないサラリーマン。宣伝文句に煽られて、要りもしない車や服を買わされている。歴史のはざまで生きる目標が何もない。世界大戦もなく、大恐慌もない。俺たちの戦争は魂の戦い。キミもいつの日にか億万長者となり映画スターやロックスターになるのだ、なんてテレビは言う。大嘘だ』

 そう、そんな日は来ない。

 大嘘の価値観を叩き込まれて終わりのない日常を、ただ生きるんだよ。

 そんなことを知ってしまった俺は、同じブラウン管使うんならってんで、より意のままになるゲームを選んだ?

 俺の話をここまで聞いていてそんな分析しかできない奴は、さっさと帰っていい。寝てたほうがよっぽど建設的だし、そもそもイカれた人間の話なんか聞きたくないだろ?

 ゲームってものの魅力は、ボタンを押すと技が出るとか、レバーを倒してキャラクターを操作するとか、そんなところにはない。

 一切の行動に至るまでに過ごした葛藤、そして一瞬毎に明らかになる結果。

 それを味わえるところが、ゲームの魅力の本質だと俺は断言する。

 たとえば、悩みに悩んだ末に脳味噌が導き出す、答え。

 あるいは、刹那の瞬間に反射神経が選択する、答え。

 その瞬間と密度。

 そうした意味で、俺は、現実とゲームに何か違いがあるとは思わない。

 アクションとその結果としてのリアクション。そこに付随する様々な感情が俺の脳髄を駆け巡る。

 ゲームのカテゴライズには、やれメディアだ、芸術だ、商業娯楽だのと、不毛な議論があるがどれも的外れだ。その場に立つ一人ひとりのプレイヤーにとって、ゲームは体験であり、記憶であり、湧き起こる感情なんだ。

 だから、俺はゲームをやっている。

 経験したいんだ。

 たとえどんなに小さなことであっても構わない。

 自分にとって大切な、記憶に残るような「デカイ一発」ってやつを味わいたい。

 それは紛れもなく、俺自身の、俺だけの物語だから。

 ……こんな狂った主張が他人に届くとは思わないから、俺は人と分かち合うことを諦めていた。

 それでも俺は、一人で家路を辿りながら、俺の想いが無駄にならないことを祈る。

 めんどくさい希望だと、俺も思う。

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