第10話

 人々のざわめきがあちこちから聞こえてくる。窓を開け放っているため、三階にいるアウグストの耳にもよく届いた。

「なにやってるの?」

 ひょいと後ろから覗きこんできたのはマスベルだ。顔を上げると、耳の真横に彼女の顔があって少しばかり驚いてしまう。アウグストは壁際の机にこぶりの鉢を置き、そこに放り込んだ数種類の薬草をすり潰していた。

「一昨日とその前とで使っちゃった目くらましを作り直してるんだよ」

「へえ! 見てていい?」

「面白いものじゃないと思うけど、いいよ」

 やったあ、とマスベルはしゃがみこんで机の端にあごを乗せ、にこにことアウグストと鉢を交互に見つめていた。その瞳は覆われていない。気楽そうな様子に、知らずと口の端が綻んだ。

〈機関〉の二人組に襲撃された翌々日、アウグストたちがたどり着いたのはかなり広い市街地だった。どうやら街の各所で温泉が湧いているらしく、大勢の旅人が疲れをいやしに訪れるのだとロメリアが教えてくれた。

『人っ子ひとりいない草原だとか林に隠れるより、どうせなら人であふれている場所に潜んだ方が見つかりにくいだろう? ここに用事もあったしちょうどいい。二人は宿でゆっくりしてなさい。私? 私はちょっと出かけてくるよ』

「って言ってたけど……なかなか戻ってこないな」

 ごりごりと薬草をこまかく潰して、適当なところで白い粉を中に入れる。

「ねえねえ、その白い粉はなに? 美味しい?」

「これはいろんな薬草から絞り出した汁を分離させてそこに残った粉末をまとめたものだよ。ようするにただの不純物。食べてもおいしくない……って言ったそばから舐めようとしない!」

「本当だー、全然美味しくない」

「だから言ったのに」

 マスベルは不満げに唇を尖らせて苦みを訴えている。呆れはもちろんあるが、それ以上にどこかおかしさを感じてアウグストは思わず笑みをこぼした。

 今まで不要として捨てられていた粉末を有効活用できないか、と考えたのは父だと聞いている。試行錯誤の最中に亡くなってしまったため未完成だったが、ある日突然、姉が保管されていたそれを見つけて、いつの間にか完成させてしまったらしい。

 当時アウグストも姉も四歳だった。魔術師や薬師としての教育を本格的に受ける前だ。なのに父すら作成に四苦八苦していたものを、大人たちが知らないうちに作り上げたのだ。

 ――懐かしいこと思い出したな。

 周囲はすごいと称賛する中、当事者である姉はずっときょとんとしていた。自分がなにをしたのかいまいち分かっていなかったのだろう。

 マスベルにそれを話してやると、彼女は羨ましそうに目を細めた。

「アーグストのお姉さんってすごい人なんだね」

「勉強が嫌いだったから薬草の知識はあんまりないんだけど、魔術師としての才能はずば抜けてるんだよ。だから多分、あの時も神力イラで遊んでたらなんとなく作れちゃった、みたいな感じだったんじゃないかな」

 明るく前向きで誰とでも仲良くなれる魔術師特化型の姉と、暗く陰気で人見知りの激しい薬師特化型のアウグスト。二人が一人だったらちょうどよかったのに、と揶揄されることもしばしばあった。子どもの頃にはわざと聞こえるように言ってくる輩もいたものだ。

「アーグストのお姉さん、会ってみたいなぁ。お家に行ったら会える?」

「残念だけどもう僕の家にはいないよ。結婚して出ていったから」

「結婚? 結婚ってなに?」

「好きな人とずっと一緒に暮らすってこと。楽しみも苦しみも分かち合って幸せに暮らす、みたいな」

「えー、じゃあ会えないの? アーグストは寂しくない?」

「たまに遊びに戻ってくるから、別に。会ったら会ったで『大人しく当主になりなさいよ』ってうるさいから面倒くさいけど。僕には神力がないって何回も言ってるのに……」

「? あれ、ないの?」こてん、とマスベルが首を傾げた。「ロメリアが言ってたよ、『坊やには神力がある』って」

「…………そんなわけないと思うんだけどなあ」

 これまで実感はなかったし、これからも得られる気がしない。

 本当に自分に神力があるのなら、と道中で色々と試してはみたのだ。〈機関〉の男のように風を起こしたり、なにもない場所に砂を出してみたり。果たしてなにも起こらなかった。

『神力ってのは「なんでも出来る力」であり「なんでも出来ない力」でもあるんだろう? 人によって使える力は違うんだ。坊やに神力があると仮定した場合、恐らく「神力の無効化」に能力が偏っているんじゃあないかな。だから他のことは一切できないのかも』

 一昨日の夜、ロメリアは近くの川から獲ってきた魚を食べながら己の予想を述べていた。火を起こすと追手に気づかれる恐れが増すため生食だ。アウグストは全力で拒否して、大豆や野菜を粉末にしてまとめた携帯食料を口に運びつつ、『でも』と反論する。

『今まで誰にも指摘されてこなかったんだけど』

『そもそも神力があるかどうかって、どう判断してるんだい?』

『どうって……水を湧き出させたり、風を操ったり、火を起こしたり……あとは怪我を治したりとか』

『だとすると、無効化以外は出来ないんだから今言った一通りのことも出来なかったわけだろう? だから神力がないって判断された。違う?』

『……まあ、そう考えたら筋は通るけど……』

『ちなみに今まで坊や自身が怪我をしたり病気になった時って、お姉さんや母親が神力で治したりは』

『いや、「薬師として患者の気持ちも知るべきだ」って言われたから僕への治療にそれは使われてこなかった』

『じゃあますます気がつきようがないね。まあ本当に神力が無くてただ単純に効かない体質って可能性もあるけれど』

 アウグストとしてはそちらの説を推しているのだが、確かめるすべは今のところない。神力があると分かったところでなにも出来ないことに変わりはないし、物理的な攻撃は防げないのだ。自分の力にどこまで意味があるのか分からない。

 はあ、と思わずため息が漏れた。薬草を潰す手が止まったところで、マスベルが勢いよく立ち上がった。

「アーグスト疲れたの? じゃああたしが続きやる!」

「そんな楽しいものじゃないよ」

「いいの、やりたいの! どうやってやればいい?」

「あー……じゃあ、中の粉をまんべんなく混ぜて。草を潰した液体を、粉ひとつひとつに染み渡らせる感じで。まぜるのにはすりこぎ使えばいいから」

「分かった! アーグストは休んでていいよ! あ、でも分からないことあったら教えてもらうかも」

「なにそれ。休めないじゃん」

 ふ、と淡い笑みをこぼして、アウグストは窓に向かい外をながめた。

 これまで立ち寄ってきた村や街と違い、ここはずいぶん活気がある。それだけ温泉を求めて観光客が訪れているのだろう。道の整備も進んでおり、その大半に石畳が敷かれていたのが印象深かった。

 家々も石造りがほとんどで、木製のそれはあまり見かけない。石自体もひと目で高価と分かるような艶と光沢があり、街のうるおい具合が察せられた。中心地から少し離れた場所にはひときわ大きな邸宅があるが、この付近を治める貴族のものだろうか。街の南端にあるレーヴェ教の教会の敷地に勝るとも劣らない広大さを誇っている。

「……もし〈機関〉が追いついてきても、さすがにこの中で暴れたりしないよなあ……」

 街中で竜巻を起こそうものなら大勢の人々や家屋、施設が被害を受ける。アウグストたちを捕らえるために払う犠牲があまりに大きいのだ。そのあたりの分別があれば良いのだが、よくよく考えてみると彼は宿の壁を壊したり林をなぎ倒したり、意外と容赦なくやっている。

 ――いや、どっちも僕から逸れちゃったのが原因か……?

 ともあれもし見つかった場合は暴れられるより先に降参した方がいいだろう。そうすれば周囲に迷惑は及ばないが、アウグストたちの安全は露と消える。

「……男の方は鼻が利きそうだったし、僕らのにおいも覚えてるよなあ……確実に今もそれを辿ってきてると思うし、ううん……においを消せるような効果の草ってあったかな」

「ただいまー」

 扉が開く音に首だけで振り返ると、ロメリアが陽気な声で帰宅を告げていた。

「いやあ、さすが観光地だけあって店もいっぱいあるね。目移りしてたらいつの間にか時間が経ってたよ。昼ごはんはまだだろう? いろいろ買ってきたから好きなものを食べなさい」

「お客さん、ここに置いておいたらいいですか?」

 ロメリアの背後には少年がいた。彼は背中になにかを担いでいる。

「ああ、悪いね。部屋の中に適当に置いてくれると助かる」

 少年は指示通りに、部屋を入ってすぐのあたりにどんっと荷物を下ろした。ロメリアが礼を言いながら銅貨を数枚渡すと、彼は満足げにかぶっていた帽子をちょいと傾けて去っていく。

 なんだろう。布で包まれているため中身はよく分からない。床に置いた音から考えてそこそこ重みがありそうだ。昼ご飯を買ってきたと言っていたが、それはロメリアが腕に抱えているパンを差しているはずだ。

「……これなに?」

「あとのお楽しみだよ。まずは腹ごしらえをしないかい、坊や。パンはどれがいい?」

「わあ、すごい! 見てみてアーグスト、これお魚の形してるよ!」

「おっ気づいたかいマスベル。可愛いだろう? 食べるのがもったいないくらい」

「……あんたのその魚に対するこだわりはなんなの……」

「私は頭からがぶっといくのが好きなんだけど、坊やとマスベルは?」

「あたしはお腹ー!」

「僕の話は無視かよ」

 アウグストは格子模様の焼き目が付いたパンを一つ手に取った。顔と同じくらいの大きさだろうか。見た目はふわふわと柔らかそうだが、ずっしりとした重みもある。二つに割ってみると、中に橙色のジャムが詰まっている。恐る恐る食べてみると、口いっぱいに甘酸っぱさが広がった。

 他にも野菜の餡が入っていたり、ゆで卵がまるまる一個包まれていたりと、かなり種類が豊富だ。先ほどマスベルが取った魚型のパンにはほぐした魚の身が練りこまれていたようで、幸せそうに頬張る様子が微笑ましい。

「色んな所から旅人が入ってくるから、それだけ各地の情報も得られるんだろう。こういう変わり種のパンの作り方とか、どこの地域にどんな名産品があるかとか、とある国で有名な曲芸師が近々ここにやってくるみたいだとか、毎日あふれるほどの情報がここじゃあ行きかってるみたいだったよ。私が捜してる人たちにつながりそうな話も、ね」

「……人身売買関連の話題?」

「そう。この街で競売オークションが行われるらしいっていうのは少し前に掴んでいたんだけど、どうやら本当だったみたいだ」

 ロメリアは腰に下げていたカバンから封筒を引き抜いた。中に入っていた便せんには流れるような文字で何ごとか書かれている。マスベルは字が分からないというので、アウグストはゆっくりと読み上げてやった。

「『あなたの読み通り、招待状が届いていた。同封したので日時などよく確認されたし。いいか、そこはあなたの国ではないのだからくれぐれも危険な真似と無茶はしないように』……ってなにこれ?」

「ほら、少し前に手紙を出しただろう? あれに競売のことを書いたんだけど、案の定お招きのお知らせが届いていたみたいだね。言っておくけど、競売とはいっても表向きはただの舞踏会だよ。だから招待状もそういう名目で届いている」

「いや待って、招待状? 舞踏会の? そんなの届くって、あんたいったい」

「まあそれはいいじゃないか。とりあえず次の目標はここに忍びこむことなんだけど」

 そこで必要なのがあれ、とロメリアは床に放置していた荷物を指さした。

 マスベルも中身が気になっていたのだろう。開けてもいいと促され、嬉々として荷をほどいていく。

 現れたのは大量の衣服だった。

 ブラウスやシャツ、スカートとワンピースにドレスなど、女物のありとあらゆる服だ。目を輝かせたマスベルが次々に手にとっては広げていくため、床がまたたく間に見えなくなる。

 並べてみると圧巻だ。襟や袖のかたち一つとっても同じものは一つとしてなく、服以外の装飾品や靴も数えきれないほどある。

「わあ、すごい! いっぱいあるね!」

「ふふ、マスベルや坊やたちに似合いそうだなと思って選んだんだ。どれが気に入った?」

「あたしはねえ、そこの紫のドレスが好き! すごくかわいい!」

「人魚を思い浮かべながら作ったんだって店の主人は言っていた。マスベルは背が高いしぴったりだよ。必ず似合う」

「本当? 嬉しい!」

 しかしこれだけの量を一気に買うなんて、どういう金銭感覚をしているのだ。服を選ぶのならアウグストたちを連れて行けばこんなに大量に買わずに済んだはずなのに。

 ――この人の財源はどうなってるんだ。

 ひっかかるものを感じつつ床を一通り見つめて、ふと気づいた。

「あの、さ」アウグストは封筒に同封されていた招待状を確認して、次いでロメリアに目を向けた。「舞踏会っていうか競売の開催日、今日の夜になってるけど……この服ってまさか、舞踏会用じゃないよね」

 ぎこちなく問いかけたアウグストに、ロメリアの答えは「そうだけど?」とさらりとしていた。

「表向きはただの舞踏会なんだから、さすがにこの服のまま行けるわけないじゃないか。だから見繕って来たんだよ」

「……二人だけで忍びこむの?」

「ん? 坊やにも来てもらうよ? だってお留守番をしている間に〈機関〉が来たら大変じゃないか」

「は? いや、でも」

 アウグストが見落としているのでなければ、目の前に広がっているのはすべて女物だ。男が着るようなタキシードなどは一つも見当たらない。

 ――嫌な予感がする。

 無意識にじりじりと後じさるアウグストに、ロメリアは近くに広がっていたドレスを手に取って、にっこりといっそ不気味な笑みをこちらに向けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る