第7話 無力な自分
ソボン婆さんの家を出る頃には、すっかり日が暮れていた。暗い道には松明の灯りがぼんやりと浮かんでいる。
ロレソンの葉を届けるだけなので時間はかからないはずだったが、ソボン婆さんの長話に付き合わされてしまった。
ソボン婆さんの長話は村中で有名だ。なので、いつもは軽く受け流してさっさと立ち去るのがノマ流だった。
しかし、リリアが大真面目に会話の節々で相槌を打つものだから、ソボン婆さんもすっかり気を良くしていつもの何倍もの話を聞かされた。ノマはリリアに合わせてなるべくにこやかでいたつもりだ。無理に笑っていたせいか、さっきからずっと頬の筋肉が強張っている。
リリアは満足気な面持ちで歩いているが、ノマは疲れ果てていた。
「ソボンさん、喜んでくれてよかったです」
「リリアみたいに真剣に話を聞いてくれる人ってあまりいないから、相当嬉しかったと思うよ」
「今度またお話をしに行こうと思います」
「僕は遠慮するけど……」
あんな時間は二度と御免だ。ノマは苦笑いをして肩のクワを担ぎなおした。
今日はサロとソボン婆さんの手助けをした。村にはリリアに感謝する人たちが順調に増えてきている。
リリア自身も村での生活に少しずつ自信を持ち始めている様子だ。これなら城への報告書にはきっと良い内容が書けるに違いない。
村の中心部に近付いたところで、リリアが立ち止まった。
彼女は、ノマの身長よりも高い場所で燃えている、巨大な松明を見上げていた。
村で一番大きな大松明は、日中でも火を消すことがない。
あるものを祀っているからだ。
「この村でも『炎龍ヴァルノーヴァ』を祀っているんですね」
「うん。三十年前のバグマ火山大噴火から、国を護った神獣だからね。村のみんなも毎日感謝してる」
この国には数百年前から、炎龍ヴァルノーヴァという巨大な龍が棲んでいると言い伝えられている。
三十年前、国の北東に位置するバグマ火山が大噴火した。国全土が真っ黒な黒煙に包まれ、近隣の街は流れ出したマグマに全て焼かれたらしい。
国民が危機に晒された時立ち上がったのが、ノマたちが敬う国の王、バーンズ・フラマン・カルバートだった。彼はバグマ火山に伝説の炎龍ヴァルノーヴァを喚び出し、炎龍の力で大噴火を収めたという。その後王は全国民から感謝され、炎龍も神獣として崇められた。
「王様も炎龍もこの国の英雄だよ。僕も父さんや母さんからしか話を聞いたことないけれど、ずっと感謝してる」
「……そうなんですね」
リリアは目を細めた後、大松明に深々とお辞儀をしていた。
ひんやりとした空気に包まれた夜の道を歩いていると、遠くの方から動物のような鳴き声がいくつか聞こえてきた。
夜だというのに、やけに騒がしい。
辺りは暗く、音がする方向へ目を凝らしてみても何もわからない。
けれど──なんだか嫌な予感がする。
「確かあっちは……サロさんの養鶏場の方ですよね」
リリアもただならぬ気配を感じたのか、神妙な声色でぼそっと呟いた。
「行ってみよう」
ノマとリリアは小走りで音の方角へ向かった。
養鶏場に着くと、シャベルを手にしたサロが慌てた様子で右往左往していた。松明に照らされた顔面が青ざめている。
「サロ、何かあったの」
ノマが声を掛けると、サロは顔をしわくちゃにして今にも泣きだしそうな声を発した。
「あぁ! ノマ! 大変なんだ! お、お、俺の愛おしいカックルたちがイワギツネにっ!」
柵の中を見ると、カックルたちが隅っこに集まっていた。柵をなんとか追い越そうと跳ね回っているカックルもいる。
そして、柵の入口には鋭い目つきをした二匹のイワギツネがじりじりとカックルたちを追い詰めていた。
イワギツネはこの辺りではかなり厄介な動物で、畑の作物を食べたり家畜を襲う。ノマ家もやつらに畑を荒らされた経験は一度や二度ではない。
やつらは頭がずる賢く、人間が対策をしても何度も突破されてしまう。その上、下手に手出しをすれば人間も攻撃されることがあり、村長ウルマも度々頭を悩ませていた。
サロも当然そのことを知っているので、柵の中に入ることが出来ず右往左往していたのだろう。しかしノマだって気持ちは同じだ。目の前のカックルたちを見殺しにはしたくない。
でも──。
イワギツネがギャッと短く鳴きながらカックルの集団に飛び掛かった。鋭い牙が一羽のカックルに刺さり、赤い血が流れ出る。辺りは騒然となり、パニックになっているカックルたちのけたたましい声が響く。
もう一匹のイワギツネが別のカックルを襲い、瞬く間に柵の中は地獄絵図となった。
ノマたちが呆然としている間に、イワギツネは次々とカックルを噛み殺してゆく。
「あぁ……あ、ああぁ、やめろぉ!」
耐えきれなくなったサロは、手にしたシャベルをぶんぶん振り回してイワギツネを攻撃する。が、シャベルはかすりもしない。それどころか、イワギツネがサロの足首に噛み付いた。
ぎゃあ、と叫んだサロはそのまま柵の外へ退避した。
このままじゃ駄目だ。やつらを追い払わないと。
ノマは震える手でクワを掴んだ。
サロが傷付けられたことで、怒りに似た感情がノマの中で湧き始めていた。
ノマは意を決して柵の中に飛び込んだ。ところが、すぐにイワギツネがノマの方を振り返った。
血だらけの口元は見るだけでおっかない。ノマは一瞬足が竦んだが、なんとかクワを握り締めた。
クワを力任せに一振り、二振りするが全く当たらない。イワギツネはやすやすとノマの攻撃を避けてみせる。動くもの相手では照準が定まらない。
「ノマ後ろっ!」
クワを振った反動でよろめいていると、リリアの叫び声が聞こえた。
振り返ると、もう一匹のイワギツネがノマへ目掛けて飛び掛かってくるところだった。ノマは腰をかがめてその一撃をしのぐ。体勢を整える暇もなく、今度はさっきまでノマが攻撃していたイワギツネが口を開けた。血濡れた牙が光った。
ノマは咄嗟にクワの持ち手を横にしてイワギツネの攻撃を防いだ。木製の持ち手がごりごりと何度もイワギツネに噛み締められる。押し返そうとするが、逆に押されてしまう。すごい力だ。そうしている間に、もう一匹がノマに迫っていた。
「そ、そうだリリアちゃん、イワギツネを追い払えるような魔法はないのっ!?」
サロはリリアに向かって叫んだ。
魔法。そうだ、それがあるじゃないか。きっとイワギツネに攻撃出来るような魔法があるに違いない。
ノマは横目でリリアを見る。錫杖を胸の前で握りしめたリリアは瞳を泳がせ、浅い息を吐いていた。
「え、わ、わたしが……」
「な、なんでもいいから! 頼む!」
ノマが急かすように言えば、リリアは慌てて呪文を唱えた。この呪文には聞き覚えがある。畑仕事の時に使っている水魔法だ。
近くにあったバケツの水が浮かび上がり、イワギツネたちに向かってゆく。
水はイワギツネの上で一瞬止まった後、重力に従いバシャリと落ちた。
しかし頭上から水を浴びたイワギツネは動揺する様子を微塵も見せず、目の前のノマを狙ったままだ。クワに噛み付くイワギツネも、力を緩める様子はない。
「ほ、他に! 他になにかないのかい! 爆発したり、大きな音を立てたりさぁ! 頼むよリリアちゃん」
「あ……え、えっと……」
片足を引きずったサロは涙目でリリアに懇願するが、リリアは眉を寄せて後ずさりをした。
「ご、ごめんなさい、わたしは」
涙目で顔をくしゃくしゃにしたリリアは俯き、それ以上何も口にしなかった。
駄目だ。もうこれ以上は。
ノマが力を抜きそうになった時、
「ゴラアァァッ!」
突如響いた大声に、イワギツネたちは耳を伏せて怯んだ。噛み付いていたクワも放され、その隙を突いてノマは柵の中から這い出た。
「早くどこかへ行けぇ! バカギツネどもッ!」
柵の中を見れば、ウルマの大きくてたくましい背中が見えた。
彼はノマと同じようにクワを振り回している。クワの刃がイワギツネの胴体に命中し、ギャ、と鳴き声が上がった。ノマとは違って、ウルマはイワギツネたちへ確実に重い一撃を与えている。
さすが父さんだ。それに比べて、自分はなんて無力なのか。
ウルマのおっかない迫力と攻撃に恐れをなしたらしいイワギツネたちは、柵を越えて逃亡した。
息を切らしたウルマが大丈夫か、と声を掛けてきたが、ノマは無言でクワを握り締めることしか出来なかった。
ノマは無傷で済んだものの、サロは足首に深い怪我、そして六羽のカックルが犠牲となった。
リリアに足の手当てをしてもらっていたサロは、項垂れながら力なく呟いた。
「なにも出来ないんだな……魔法って」
おそらくリリアのことを心底憎んで言った一言ではないのだろう。
しかし、リリアは唇を噛み締め沈黙したまま、一言も発しなかった。
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