ノマと魔法使い

鬼桜 寛

第1章 落ちこぼれ魔法使いとわがまま王子

プロローグ

 ノマは、村のはずれにある小さな丘の上に寝転がった。清々しいほどよく晴れ渡った空には、白い雲がぽっかりと浮かんでいる。

 緩やかに流されてゆく雲をぼーっと見つめながら、ノマは深く息を吸い込んだ。

 草花の匂いが鼻の奥へ入ってくる。幼子の時から嫌というほど嗅いできた香りだからか、多少青臭くともノマの心を落ち着かせてくれた。


 ノマの家は村で一番大きな農家だ。毎日両親と共に畑仕事に勤しむ。乾いた土に水をやり、実った農作物を収穫する。

 寒い季節は過ぎたので、数ヵ月間は今日のような暖かい気候が続く。作物たちは暖かな日差しを浴びて葉をすくすく成長させる。とても忙しくなる季節だ。

 今日も朝から村の特産であるポポの実を収穫し、村人たちに分けてきた。ノマ家のポポの実は、村中の人たちが認める美味しさだ。

 村のみんなに、今年もいい出来だねぇ! と言われるたびに、ノマは誇らしくなった。


 農作業に明け暮れる日々。ノマは両親の仕事を心底尊敬しているし、今の生活に一つも不満はない。

 両親の後を継いで農家として畑を代々守ってゆく。

 今年で十七歳になるノマは、自分の未来に何の疑問も抱いていなかった。


 平穏な今の生活こそが、ノマの幸福なのだ。


「あの」


 声を掛けられ、ノマはのどかな空から視線を移した。

 初めて見る風貌の少女がノマを見下ろしていた。村の住人ではない。

 少女が纏う服は綺麗な装飾がいくつもある。自分とは違う身分の人間だなと直感した。

 薄桃色をした長い髪が特徴的な少女は、ノマと目が合うと慌てて視線を逸らした。少し癖がある髪先を指で触り始める。


「あっ、その、突然すみません。わ、わたし……魔法使いのリリアと申します」


 ──まほうつかい。


 ノマは身を起こした。聞き慣れない言葉に眉をひそめる。

 なにかの使いの者、ということだろうか。

 まほう、とは一体。


「まほうつかい、ですか?」

「はい。バーンズ・フラマン・カルバート王の配下にある、魔法団体『リリック』に属する、魔法使いです。といっても、わたしはまだ最下級のFランクなんですが」


 目の前のリリアという少女は、謎の単語をすらすらと口にする。ノマの疑問は深まるばかりだった。


 ここ『赤の国ルーベルム』を治める王の名前はもちろん知っている。

 バーンズ王は、ノマはもちろんのこと村人たちからの信頼が厚い王様だ。けれど実際に会ったことはない。おそらくこれから先も会う機会はない。ノマには遠い存在の人物だ。

 まほう団体リリックという言葉も、ノマは初めて耳にする単語だった。

 いずれにせよ、彼女が王の関係者ということには違いないらしい。であれば、このリリアという人も悪い人間ではないだろう。王の関係者ということに踏まえ、彼女の柔らかな雰囲気が人の良さを物語っている。

 沈黙したままのノマが不審がっていると思ったのか、リリアは眉を下げた。


「あ、あの、ですね。わたし、シシカ村という村を探していまして。決して怪しい者ではなく……」

「僕はシシカ村の者です」


 立ち上がったノマに向かって、リリアは嬉しそうな笑顔を咲かせた。

 先ほどまでの恐縮した様子から打って変わり、彼女は一気に明るくなる。人懐っこい印象の少女だ。


「そうでしたか! ああよかった! 今日中に辿り着けないんじゃないかと。わたし地図を読むのが苦手で」

「シシカ村にどのような御用でしょうか」


 村へやって来る人は、特産品のポポの実を目的とした行商人がほとんどだ。規模としても大きくないシシカ村へ、リリアのような若い少女が来るなんてかなり珍しい。

 リリアは姿勢をぴっと正した。持っていた錫杖を胸の前で握り締める。繊細な装飾を施された錫杖には赤色の宝石が埋め込まれていた。


「はいっ。わたし、シシカ村で人助けをするために参りました。なにとぞよろしくお願いいたします!」


 透き通った声ではっきり言い放ったリリアが、深々とお辞儀をする。


「ど、どうも……?」


 やけにかしこまった雰囲気に釣られて、ノマもお辞儀を返した。

 顔を上げたリリアは、ふんわりとノマに笑いかけた。

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