第21話 ルルアーナ①


ルルアーナは、父に睨みつけられ王妃の後ろで震えていた。思わず、その場から逃げ出したくなる自分の体を必死に留める。父に逆らった者達が今まで、どうなって来たのか一番良く知っているのはルルアーナだ。父に意見した乳母は翌日には屋敷から姿を消した。些細な事で父は激高し屋敷から使用人が毎日のようにいなくなる。


ルルアーナが物心ついた時から、母という存在は屋敷の中にいなかった。父と同じ銀髪で紫眼の美しいルルアーナは、父から沢山の物や教育を与えられて成長した。


沢山の宝石、豪華なドレス、国外からも呼び寄せた家庭教師、学院に行きだしてからは、同級生からギガリア公爵の愛娘、将来の王妃のルルアーナ公爵令嬢と扱われる。


ルルアーナは、違和感を覚えていた。父はルルアーナに沢山の物を与えてくれる。だけど、それはルルアーナが選び望んだ物はただ一つも無かった。


7歳になった時に、ルルアーナは父にお願いをした。周囲の子供達には母親がいる。なのに、ルルアーナは一度も母親に会った事がない。ギガリア公爵邸に肖像画の一枚でさえ存在しない。使用人達に尋ねても、誰もが口を噤み、母親について教えてくれる人物はいなかった。


「お父様。ルルアーナはお母様が欲しいの。お母様に会わせてください。」


その時の父の顔をルルアーナは忘れる事ができない。ルルアーナを鬱陶しそうに見降ろし、父は小声で言った。


「面倒だな。見目はいいが‥‥‥」


ルルアーナは、すぐに言葉を発した。


「なんでもないわ。お父様。」


父親のギガリア公爵は、ルルアーナに沢山の物を与えてくれる。将来の王妃になる為の教養、豪華なドレス、宝石。国内で最も高貴な女性がルルアーナであると、誰よりも優秀で高貴な娘だと周囲に見せびらかす様に、ルルアーナを着飾り、存在を主張する。


ギガリア公爵が望み、必要だと認めた物だけをルルアーナに与える。


たとえ、それをルルアーナが望んでいなかったとしても。







王太子は、ルルアーナを婚約者に選ぼうとしなかった。何度か顔合わせをしたが、ルルアーナを不機嫌そうに見るだけで、近づこうとしない。


ルルアーナは、父や家庭教師から王妃になるのは、ルルアーナしかいないと言われ続けてきた。ルルアーナ以上に相応しい娘が王国にいないから、当然そうなるはずだと。父の意志に逆らわず、父の言う通りにしていれば、王太子との婚約も父が纏めるだろう。そう思っていた。


だが、王太子が婚約者を選ばない。王や王妃は、ギガリア公爵の思惑とは裏腹に静観している。父のギガリア公爵は、思い通りにならない不満をルルアーナへぶつけるようになっていた。


「ルルアーナが、もっと美しければ‥‥‥」


「ルルアーナさえ、もっと優秀なら‥‥‥」


その日も、父は荒れていた。

ルルアーナを見て、父は言う。


「ルルアーナに、もっと魅力があれば王太子もすぐに‥‥‥」


「お父様。ごめんなさい。もっと努力いたします。」






ルルアーナは、悩んでいた。


父に捨てられるかもしれない。薄々気が付いていた。父は私を愛しているわけではない。父とそっくりな容姿である私が次期王妃になる事に固執しているだけだ。もし私が王妃になれなければ、私に価値がなければ父は私を直ぐに捨てるだろう。



ルルアーナは、学院である女性に相談する事にした。

ルルアーナは複数の女性貴族にいつも取り囲まれていた。中には既に婚約し、婚家で花嫁修業をいている貴族令嬢もいる。アマリア侯爵令嬢は、赤髪の妖艶な美女で、ルルアーナとは別の意味で男子学生から人気がある。既に婚約者も決まっており、婚約者と沢山の夜会にも参加していると聞いていた。


「ねえ、アマリア。少し相談があるの。」


アマリアは、その深紅の唇で弧を描き返事をした。


「なあに?ルルアーナ?」








学院の裏庭で、ルルアーナはアマリアに相談をした。


「ねえ、教えて欲しいの。お父様から早く王太子の婚約者になるように言われているのだけど、話が進まなくて困っているの。この前もっと魅力があればと言われたわ。アマリアは、とても人気があるでしょ。貴方なら方法が分かると思って‥‥‥」


王太子の婚約者と告げた時、アマリアは一瞬顔を顰めたような気がした。でも、すぐに微笑みを浮かべ、ルルアーナを見てきた。


「魅力ねえ。ふふふ。いいわよ。」


アマリアは、ルルアーナの頬を手の甲で撫で、顔をゆっくり近づけてきた。


ルルアーナは驚き、顔を背け、アマリア手を振り払って声を発した。


「急になに?」


アマリアは小首をかしげて言った。

「そういう所よ。ルルアーナは、誰かと触れ合った事があるの?そんなつまらない反応しかできないから魅力がないなんて言われるのではないかしら。」


「私はどうすればいいの。」


「ふふふ。いい所に連れて行ってあげるわ。きっとあなたの為になるはずよ。」





ルルアーナは、黒の複雑なレースでできた蝶の仮面をつけて、アマリアと共に仮面舞踏会へ参加した。


アマリアは、婚約者と何度も参加したことがあるらしい。馬車には、寄り添い顔を寄せ合った囁き合うアマリアと、その婚約者が同席していた。


ルルアーナは、黒髪の鬘をつけて、薄紅色のドレスを身についている。ドレスや仮面は全てアマリアが準備した。ギガリア公爵家の使用人達は、ルルアーナが仮面舞踏会へ行くなんて夢にも思っていない。専属の侍女を一人買収しさえすれば、公爵家を抜け出すのは簡単だった。


馬車の中でルルアーナは、アマリアに尋ねた。

「ねえ、アマリア。貴方のドレスはとても素敵ね。どうして私のドレスはこんなにシンプルなの?」


婚約者と今にも口づけしそうな雰囲気だったアマリアは少し嫌そうにルルアーナを見て言った。


「仮面舞踏会の作法よ。新人は薄紅色のドレスを身に着ける決まりなの。ああ、貴方は母親から教えて貰っていないのね。知らなくても仕方がないわ。それに、私の事はAと呼んで頂戴。名前も身分も明かさないのがルールよ。」


アマリアが話す隣で、婚約者の男はニヤニヤと笑って言った。

「彼女が可哀想だろ。A。なにも知らないみたいじゃないか。」


「魅力的になりたいそうよ。私は手伝ってあげているの。きっと変わるわ。」


恍惚とした表情で微笑むアマリアを見てルルアーナはなぜか身震いした。









仮面舞踏会についた。


王都の外れの屋敷を貸し切って行われるその舞踏会場は広々としていた。手入れされた庭園はランプに照らされ、笑い声や話し声が聞こえてくる。沢山の人が参加しているようだった。


言われた通りルルアーナは、アマリアの後ろを歩いてついて行った。アマリアは屋敷の中に入り、エントランスホールから2階に上がっていった。エントランスホールには仮面をつけた無数の貴族達が、不躾にルルアーナを見てきた。


居心地の悪さを感じながら、ルルアーナは階段を登って行った。


広い踊り場で、アマリアは立ち止まった。


ルルアーナの耳元にそっと囁く。


「決して公爵令嬢とバレないようにする事ね。素性がバレたら貴方は終わりよ。ふふふ。なにが国で最も高貴な令嬢よ。ただの馬鹿な女じゃない。貴方の事はずっと目障りだったの。」


ルルアーナは驚き、アマリアを見る。


アマリアは、すぐにルルアーナから離れた。


踊り場にいた執事服を身につけた司会者が大声を出す。


「さあ、今日のウサギです。黒髪の美しい娘を捕まえる幸運はどなたでしょう。」



エントランスホールにいる仮面をつけた貴族達が一斉にルルアーナを見た。


その時ルルアーナは気が付いた。薄紅色のドレスを身につけているのはルルアーナただ一人だと。女性は沢山いるが、皆、暗色のドレスばかり身についている。


「今宵のウサギはかなり若いな」


「黒髪なら、あの貴族の末裔か」


「まさか、いつものように、どこかの使用人だろう」


「貴族がウサギになるわけない。捨てられる事がわかっているのに」



ルルアーナは、貴族達の声がはっきりと聞こえた。すでに中央階段を登って来ようとする男性貴族もいる。


ルルアーナは後ずさり、後ろの長い廊下へ逃げた。


離れた場所で佇むアマリアは、笑って何かをつぶやいた。


「い・い・き・み・ね」


後ろから沢山の足音が聞こえてくる。


捕まったらどうなるか考えたくない。


公爵令嬢として大事に育てられたルルアーナだが、ずっと孤独だった。沢山の教育、装飾品だけど、そこには愛が無かった。将来の王妃になる為の最高級の器がルルアーナだった。傷がついたら、質が悪ければ直ぐに捨てられる。そんな予感が常にルルアーナに付き纏っていた。


失敗した。


アマリア侯爵令嬢を信じた私が愚かだった。


逃げなければ……


ルルアーナは、2階の薄暗い廊下を必死に走った。


どのくらい走っただろう。相変わらず後ろから沢山の足音が聞こえてくる。


何度か曲り角を曲がった時に、目の前に黒光りするドアが見えた。明らかに格上の部屋のように感じる。ドアノブを回すと鍵がかかっていないようだった。


ルルアーナは、その部屋にそっと忍び込んだ。


ドアの中に入り、壁に背をつけて息をひそめる。


ドアの外から話し声が聞こえてきた。


「今回のウサギは素早いな。」


「ははは、捕まえた後が楽しみだよ。この部屋は見たか?」


「おい!そこは、あのお方の部屋だ。」


「外だ。窓から逃げたらしい。ほら、木にドレスの切れ端が引っかかっている。」





ルルアーナは、ドアの外が静まり返ってから、ほっと一息ついた。


(よかった。逃げきれたわ。ここに私がいる事はアマリアしか知らない。後は、着替えてこの舞踏会場から逃げ出せたら、またもとの日常に戻れるはずよ。)



その時、低く落ち着いた男性の声がした。

「ここに迷い込んできたウサギは始めてだな。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る