第4話 あなたの本当の未練を教えてください。
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シミズ キョウヘイという人間の人生はひどく平凡で、そしてほんの少しの幸せがある人生のはずだった。
両親共働きで働く田舎の家庭に生まれたシミズは、平凡に生活をする。
平凡に学生生活をし、平凡に都会で一人暮らしを始め就職。
そして平凡に幸せを享受し寿命を迎えるはずだった。
だが、シミズの人生はたった1人の人間によって変わってしまった。
「このグズ野郎! 何度言ったら分かるんだ! ほんと使えねーな!」
「申し訳ありません……」
「お前の申し訳ありませんは聞き飽きたんだよ!」
「す、すみません……」
「あーったく、俺の手を煩わせるんじゃねーよ。仕事ができないならせめて俺の前から居なくなれよな、それくらいなら出来るだろ?」
「すみません……」
上司はシミズに過剰なほど説教をする。
だがその説教は決して意味のあるものではなく、単純に上司自身が気持ちよくなりたいがためのもの。
そしてその標的として、言い返す勇気が無さそうなシミズが選ばれてしまったのだ。
当然、そんな上司の自己中心的な行為に付き合う必要など一切ないのだが、シミズは真面目な性格のため上司の言葉全てが正しく、悪いのは自分だと考えてしまっていた。
相手は悪くない。
悪いのは全て無能な自分。
そんな風に考えてしまうシミズは上司にとって都合のいいおもちゃでしかない。
ハラスメントは日々苛烈さを増し、とうとうシミズという名のおもちゃに亀裂が入る日が訪れた。
「……あなたは今の仕事を辞めるべきですね」
「へ? お、お医者さん、それってどういう意味ですか!?」
「あなたは心の病気です。これ以上今の仕事を続けてしまえばあなたの心、いいえ、心体共に壊れてしまいます」
「そんな……でも……」
たまたま健康診断で知り合った古い友人に勧められたカウンセリングでシミズは、担当医からそんな言葉を突きつけられる。
ハラスメントに耐え続けて数年。
シミズに訪れたのは継続によるキャリアアップでも、昇進による上司からの逃走でもない。
人生を変えるほどに重い、心の病だった。
「そこまでしてどうして今の職場に勤めたいのですか? 冗談抜きでこのままでは身が持ちませんよ?」
「で、でも僕はグズでノロマな奴隷だから……今の仕事をやめたら再就職なんて……」
シミズの言葉に担当医は言葉を詰まらせる。
何故ならシミズの心は、担当医が考えた以上に壊れてしまっていたのだから。
日々のハラスメントで擦られた心は、自身を1人の人間ではなく奴隷と認識し現状を受け入れる事で何とか崩壊を保っていたのだ。
その事実に担当医は驚愕すると共に、すぐさま解決へと行動を移した。
それから1年後。
担当医から現状を知らされた友人や家族からの説得で仕事を止める事になったシミズ。
しかしその選択こそが最大の過ちであったと後にシミズは考える。
「僕は……僕は……」
『で、でも僕はグズでノロマな奴隷だから……今の仕事をやめたら再就職なんて……』
この言葉はまさしく退職後のシミズを表していた。
一度壮絶なハラスメントを経験をしたシミズに再就職の選択肢など生まれるはずもない。
だが世間はそんなシミズに働かないという選択肢は与えなかった。
精神疾患による生活保護の申請は両親の共働きが原因で受理されず、慰謝料の請求も証拠不十分で行えなかったシミズに退職後、働かずに生きられるようなまとまった金が入る事は無かった。
働こうにもハラスメントのトラウマが原因で体が動かない。
しかし働かなければ生きていけない。
そんなジレンマは、日に日にシミズの体を飢えという形で蝕んでいった。
「金……金さえあれば……。あぁダメだしばらく何も食べていない所為か頭が回らない……」
働けないシミズにまともな食料を買う余裕すらない。
もやしやインスタントで何とか誤魔化す日々だ。
実家からの仕送りも見込めない。
多少の備蓄があったシミズは親に心配をかけたくないと仕送りを断り続けた。
両親はその行為に騙され安心したのか余生を楽しむプランを組んでおり、今更実家を頼るなど出来るはずがなかった。
そして多少程度の備蓄が何ヶ月も保つはずもなく、とうとう先月で銀行の残高は4桁を切ってしまった。
今月払う家賃や光熱費すらもまともに用意できない事実に、空腹とはちがうヒリヒリとした痛みがシミズの胃を襲う。
「はぁ……はぁ……飯……水……」
シミズに与えられた選択肢はたった2つ。
死を受け入れ来世に期待をするか、それとも現世という地獄で這い上がるか。
シミズが選んだのは後者の方だった。
「ほらお望みの10万だ。10日で1割。返せなかったら……」
「は、はい! 分かっています! 返せない時は臓器でも何でも売ります!」
「よろしい。はっはっは、健康には気をつけろよ!」
金がないなら借りればいい。
だが収入源がないシミズに金を貸す、まともな消費者金融などない。
ならばまともでは無い所から金を借りればいいではないか。
シミズがたどり着いた答えは、最もたどり着いてはいけないものだった。
闇金から借金をし、足りなくなればまた借りる。
返せなくなれば別なところからお金を借りて……。
そんな事を繰り返す内にシミズの借金は総額200万円を超えていた。
普通に考えれば、働く事ができないシミズにそんな借金を返す事など不可能に近い。
しかし返金をしなければ貸してくれなくなる。
ならばと考えたシミズはさらにもう1つ、地獄のような道を見つけてしまう。
その道とは投資だった。
闇金から更に借金をし、その金のほぼ全てを投資に回し、生活費は勿論ギリギリまで削る。
生活は辛く苦しいものにはなるが、成功すれば何倍にもなってシミズの手元に戻る。
そうなれば一発逆転、勝ち組の仲間入り。
そんな夢のような作戦を本気で信じたシミズは投資での勝利に文字通り全てをかけ、勝ち組に入るべく投資を必死に学んだ。
しかし、残念な事にその作戦には1つ重大な欠陥があった。
シミズにはギャンブルの才能もなければ、投資の才能も無かったのだ。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
結果残ったのは数え切れないほどの万札ではなく、投資で更に膨れ上がった1000万程の借金と、生きる希望を失った心のみ。
「ハッ――! カ……カハッ!」
そしてとうとうシミズに最後の刻が訪れる。
まともに動かせない体を必死に動かし、なんとか目の前のパソコンにしがみつく。
もう彼に残っているのは投資で苦楽を共にしたパソコンのみだったのだ。
シミズは今までの人生を振り返りこう呟く。
「あぁ、あのクソッタレ野郎……」
その発声がシミズの体に残された最後の力だったのだろう。
ろくに食べ物を与えられなかった体の鼓動は、静かにその役目を終えたのだった。
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「そうだ、僕はシミズ キョウヘイ……。僕の死因は……はは、結局餓死……か」
「……シミズさん」
シミズさんは俺達に自分の一生を説明すると、その場でへたりこみ虚な目でただ虚空を見つめている。
「最初から、何となく記憶はあったんです。貧乏な生活でクソつまんない人生だって事も……でもまさかここまでクソな人生だったなんて……ははは……」
シミズさんはそう呟くと、目線を虚空から俺へ向ける。
そして懇願するように俺の足へ縋りついた。
「もう未練なんてどうでもいい! はやく、早く僕を……早く僕を消してくれ!」
「……」
「頼む! 頼むよ案内人さん!」
「シミズさん……分かりました。ではこれよりあなたを成仏させ――」
「待ってよ!!」
俺が強制成仏の札を取りだそうとした時、サナは大声で俺の行動を静止した。
声を荒げるなと言ったそばからの大声だ。
俺はキツく叱ろうと目線をサナに向ける。
だが、俺はサナの目をみて叱る声など出せなかった。
何故ならサナの目は、顔は、雰囲気は、女子高生のそれではなく、1人の人間としての怒りと憎しみと同情が入り混じった、真剣な顔つきだったからだ。
「ここで何もせず成仏しちゃダメだよ!」
「サナ……?」
「シミズさん! あなたの成仏は豪遊でも何でもない! そうでしょ!?」
その言葉にシミズさんは、反論の言葉を発せない。
いや、おそらく反論の余地がないほどに事実なのだろう。
「そんなにお金に困っていたのに、ご飯を食べる事も遊ぶ事も未練じゃ無かった! ならもう残る未練は1つだけじゃない!」
サナは俺の足に縋り付くシミズさんをじっと見つめ、1つ深呼吸をする。
そして数秒の静寂が過ぎた後、サナはゆっくりとその唇を開けた。
「シミズさん。今度は私があなたに問います。あなたの未練を教えてください」
「僕の……未練は……」
「……」
「僕に……未練なんか……」
シミズさんは、あまりにも真っ直ぐ見つめるサナに根負けしたのか目を逸らす。
だがサナはその行動を許さない。
ドタドタと肩を揺らしながら近づき、シミズさんの両頬を掴むと、首の骨が折れるのではないかと思うほど勢いよく物理的に目線を自分へ向けさせる。
「言いなさい! あなたの未練は何!」
「僕は……僕は――ッ! 僕は2度とこんな人間を産まないように、アイツを更生させたい!」
「コウ! 可能なの!?」
「ハッ、ハイ! 可能です!」
「よし! それなら行くわよ! そのクソ上司とやらをギャフンと言わせてやるんだから!」
サナはそういうと、シミズさんを立ち上がらせて大量に置かれたゴミや群がる虫を気にも留めず、ズンズンと進んでいった。
その後ろ姿たるや、まるで熟練の戦士のような頼もしさがある。
シミズさんもその後ろ姿にすっかり惚れ込んだのか、目を輝かせ今にもイエッサー!と心臓に拳を当てそうな狂信ぶりだ。
まさか、この数秒であんな熱心な兵士を作り出すとは……。
サナ……恐ろしい子……っ!
……ん? あれ、何か忘れてないか?
あっ!!!
「おいサナ! 現世転生の輪を外してくれ!」
すっかりやる気モードのサナとシミズさんに追いつくのは、1時間も先の事だった。
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