第20話 参拝

 翌朝、私は母から花を受け取って、裏山……高山にある奥宮に向けて登ろうとしていると、レイに声をかけられた。

「おはよう」

「おはようレイ。早いね。よく眠れた? 二日酔いじゃない? いびきうるさくなかった?」

「俺飲んでないもん。それにいびきや歯ぎしりは施設で慣れっこだよ。大部屋だったし」


 そうだ。レイはまだ18歳だった。

 レイは昨夜、氏子さんたちが用事のときに寝泊まりする別棟ではなく、うちの座敷で父と弟と雑魚寝したのだ。


「朝からお参り? 俺もついていっていい?」

「お若い方、良い心がけです」

「なんだそれ?」


 二人で遅い春を迎えた山をのんびり登りながらたわいのない話をする。

「もうレイって呼ばれることには慣れた?」

「慣れてはいないけど、戻ったって感じ」

「なるほど」

 彼にはレイと呼ばれていた幼き日々の思い出がしっかりあるのだ。


「レイ、って呼びやすいしカッコいいし、レイにピッタリ」

「うん。ママ……母がつけてくれたんだ。日本でも外国でも通用する名前ってことで」

「確かに! お母さん、柔軟だったんだね」

「うん……ふふふ」

「どうしたの?」

「こうして母の話ができるなんて、夢のようだ」


 彼が幼い頃から歩んできた苦難の日々と、まだ、父親の本妻に命を狙われている状況にあることを思い出した。


「……ここは絶対に安全だよ。田舎だから、他県ナンバーの車が走っただけでニュースになるし……碧子様が全力で、大事なレイを守るに決まってるもの」


 碧子様の最愛の、章嗣様の子孫なのだから。


「それね、子孫の俺が言うのもアレだけど、うちの父方の家系ほんっとクズだよ。碧子様、とっとと未練捨てればいいのに」

「調べたの?」

「大和さんにもらった情報から、辿れる分だけ」


「そっかあ。でもレイはママ似だから大丈夫よ! あ、そこ木の根があるから気をつけて」

「あ、わかった。……だといいんだけど。遺伝子上の父親たちに引っ張られないか不安」


 遺伝子上の父がクズだったとしても、その人たちに育てられたわけではないから問題ないと思うけれど……よっぽど酷い調査結果だったのだろうか?


「レイ、不安な時はいつでも凡人代表の私に聞くといいよ。一般的にアリかナシか、ジャッジしてあげるから。とにかくひとりで悶々としないこと。男同士の方が話しやすい場合は斗真、年上の意見を聞きたい時はうちの父に相談するんだよ」


「そこまで頼っていいのかな……」


 1,000年に渡る呪いを解くのに協力してくれた人が、何を言ってるんだか。


「羽田のわらびもちで手を打つよ」

「あの通路に張り出してるやつ? あれ美味しいの? わかった!」

「そうそう。私のことは斗真のように、ねーちゃんと呼んでちょうだい」


「那智……ねーちゃん?」

「よくできました!」


 奥宮に到着すると、ちょうど太陽が雲間から顔を出し、燦々とこの山頂に降り注いだ。お供物をして、作法どおりお参りする。よし、と目を開けると、レイが私をじっと見つめていた。

「どうかした?」


「……いや、那智ねーちゃん? ちょっと雰囲気変わったなって」


「どういう風に?」


「……なんていうか……透明感が増したっていうか、ちょっとキラキラしてる」


「この時期の陽の光はまだ穏やかだからね」


『違う。呪いが消えたからだ。大和もそう言ってただろう?』

 すうっと青磁さんが現れた。朝の空気にそぐわないほど艶やかだ。


「青磁さん、おはよう」


『おはよう。那智は今24歳だったかしら? 24年間全身に膜のようにこびりついていた澱んだ呪いが消えたら、漂白剤を使ったように白く、あかぬけて見えるだろうね。さらに当たり前にあった体調不良が消える。よく眠れる。細胞が活性化し健康になる。そんなところだねえ』


「やっぱり、俺の幻覚じゃないんだ」

『那智、いわゆるモテ期がくるぞえ?』


 私は思わずぷっと吹き出し、顔の前で手を横に振った。

「まっさかあ! ぜーんぜんモテたことないし、これからもありえない」


「な、なんで?」

 レイが戸惑うように聞いた。18で大学に入ったばかりのレイは、恋への憧れがいっぱい胸の中にあるだろう。でも私は……、

「もうね……こりごりなのよ……」


 抗ったにも関わらず、好きになってしまった中里さん。その中里さんとの一連の経験は、私をクタクタにした。呪いがなくなったとはいえ、また傷つくのは……キツイ。


 すると、私をじっと見つめていたレイは、何か一度口をぎゅっと引き結び、静かに尋ねた。


「やっぱり那智ねーちゃんじゃなくて、なっちゃんって呼んでいい?」

「大和さんみたいに?」

「……そう」


 やっぱり「ねーちゃん」は子どもっぽくて気恥ずかしいのだろうか? 呼び方に特に注文はない。

「いいよ。レイは恩人で仲間で遠い親戚もどきだもの」


「なっちゃん……一緒に元気になって、一緒に……生きよう?」

 レイの控えめな優しさにジンと来て、元気に返事した。

「いいねえ!」


『おやまあ……レイ、あんまり遠回しでは気づかれないわよ? そもそもが年下の弟扱い』

「若さで突破するし」

『ふーん。まあ、ハンディがあるレイに、この青磁さんはついてあげようかねえ』


 青磁さんとレイが顔を寄せ合ってヒソヒソ話をしていると、パチンッとラップ音が鳴った。


『ちょっと! レイに憑くのはやめてちょうだい?』


「あ、碧子様、おはよう〜!」

 朝日に輝く碧子様の登場だ。


「碧子様どもー」

『れ、レイ、お、おはよう……』


 碧子様、神様見習いなのに、レイに話しかけられて顔は真っ赤でしどろもどろになっている。


「あ、俺、碧子様に言っておきたいことがあるんだけど?」

『な、何? なんでも言ってちょうだい!』

「俺と章嗣様重ねるの、金輪際やめて? 時代が違ったってのはわかるけど、浮気する男と一緒にされるのマジで気分悪い」


『……別に、章嗣様と重ねてはおらん』

「そうかな〜」


 レイは疑ってるけれど、私は碧子様の言う通りだと思う。

 碧子様が重ねているのは……自分が産むかもしれなかった、子どもだろう。


『レイ、我はこれでも神籍に身を置いた。嫌かもしれんが、我の加護を受けてほしい。さすれば、レイの母を殺めた女から守ることができる』


「え? いいの? ラッキー!」

 レイは軽くそう言って、バンザイと手を上げる。


『まあ……加護なんてのは、私は渡せないからねえ……。くれるってもんはもらっときな。そのくらいしてもらってもバチは当たらないさ』


 青磁さんはそう言って肩をすくめた。


 碧子様は恐る恐るといった風にレイに近づき、目をぎゅっと閉じて、レイの額にキスをした。


『我、汝を力の限り護らん。そなたにこの現世の最大の祝福を。そしてそなたに厄災を持ち寄る魔のものは魂を焼き尽くすことを誓う』


(((……重すぎない?)))


 私、レイ、青磁さんの心の声が重なった。




 ◇◇◇




 そして、斗真は地元の友人に会いに行ったので、私はレイを連れて〈喫茶大和〉にドライブした。


「いらっしゃい、なっちゃん、レイ君、青磁。碧子様は修行?」


「そう。油売ってる暇はないんだって」


「その節はどうも。大和サン。俺のことは呼び捨てでいいよ。ずいぶんと年下だしねー」


「そうだね。俺から見ればまだまだ子どもだ。そうさせてもらうよ。俺も大和でいい」


『あらあら、なんだか面白いわね』


 青磁さんが美しいお顔で色っぽく微笑んだ。


「よくわかんないけど……みんなブレンドでいい? 大和さんお手伝いするね。今日は加賀さんは?」

「加賀さんも暇じゃないの。今日は見えてないよ。じゃあ手伝って」


「はーい!」

 私はカウンターの中にまわり、二階にエプロンを取りに駆け上がった。




 ◇◇◇





「ねえねえ、大和。なっちゃんはさあ、今、フリーなの?」

「……まだ、ね」

「ふーん。俺、めっちゃ働いて一流になって、がっぽり稼いで、なっちゃん狙うから」

「……同世代のほうが楽しいんじゃないの? 大学一年生?」

「なんで可愛くて優しくて、秘密を共有してるなっちゃんがいるのに、他の女を見つけなきゃいけないの? なっちゃんのおかげで……自由になった俺がいる」

「……自分の身を守れるようになってから、一人前の口はきけ」

「やだよ。誰かさんみたいにのんびり待ってるやつの気がしれない。俺は二人で成長しながら幸せになるタイプだから」

「レイの宣戦布告は受け取ったよ」




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