第16話 碧子様、昇天する

『那智に……高山に代々取り憑き、年々ネバつくような塊になっていたあの怨みが消えている……那智がまっさらじゃ……周りの淀みも消えて……こんなに美しかったのじゃな、那智は……』


 碧子様は私の後ろのほうをぼんやり見つめ、とつとつとそう言った。


「碧子様、碧子様はなんともなかった?」

『那智よ……碧子様がなんともあるわけなかろう? 亡霊だぞ?』


 加賀さんに呆れたように言われ、そういえばそうかと思うけれど、でも亡霊であれ、碧子様に限れば泣いたり嘆いたりしていた。心は……きっとあるのだ。


『我も……地上と繋がれていた鎖が消えたような身軽さだ。今ならば、気持ちよくどこまでも飛んでいけるような……』


『それが成仏……昇天ってやつだ』


『あらあ、昇天しちゃうんですか? もったいないこと』


 碧子様への加賀さんの説明に、青磁さんがチャチャを入れる。そんな彼女に大和さんが苦笑した。


「青磁さん、誰もがあなたと同じ価値観じゃないから」


『そうなの? ぼん?』


『…………』


 成仏っていうことはつまり……碧子様、消えるんだ。よく考えればそれが人として? 自然のことで……。


 いつのまにか、一緒にいるのが普通になっていた。

 久しぶりの故郷での一人暮らしも、碧子様がいるから寂しくなかった。

 そっか……。


 大和さんに地面に下ろしてもらった。ふらりと足元がゆらいだけれど、大和さんが後ろから腰をガッチリ支えてくれ、安心して正面から碧子様と向き合う。浮かぶ碧子様も真っ直ぐ私に体を向けた。


「碧子様、よくよく考えれば、見えるようになってからは日が浅いんだけど、碧子様は私の全部知ってて、それ前提で話せるから、もうずっと長い付き合いの気がする」


『那智……』


「……碧子様が出てきてくれてよかった。碧子様、怨霊なのに乙女だし。私と一緒に弟のために、この呪いを断ち切る手伝いをしてくれた」


『……違う。元を正せば我のせいで、我のためだった』


「それでも、碧子様が出たから決断して、碧子様がいたから、大和さんを見つけられた!」

「それは言えている。ありがとう碧子様、私となっちゃんを出会わせてくれて」


 大和さんも頭上から、碧子様に頭を下げた。


『…………』


「私、実家に戻ったときは、いつでもあの塚にビールを備えるよ。碧子様と一緒に飲んでるつもりで……」


 私の言葉が終わるころ、徐々に碧子様はプリズムで屈折させたような、七色に光に包まれた。

 碧子様の十二単衣がますます凝った絢爛なものに変化し、頭に金の冠が乗り、碧子様自身が内から輝き始めた。


『待ちに待った……お迎えだぞ?』

 加賀さんが右眉をピクっと上げた。


『あ……』

 碧子様が瞠目する。


 ああ、いよいよ、やっぱり逝ってしまうのだ。


「碧子様! ありがとう! できれば、あの世でも、たまに、章嗣様のことだけでなく、高山のことも思い出して!」


『那智! もちろん我はもう、高山を、那智を、我が子同然に! 那智の幸せを! 切に!』


「碧子さまー!」


 私が碧子様に手を伸ばせば、碧子様も私に手を差し伸べ、はじめて……触れた? 碧子様の手はすべすべしていて、少しひんやりしていた。


『な……ち……』


 碧子様を包む光はドンドン強くなり、出会った、高貴なお姫様の頃には絶対しなかった、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔のまま微笑む顔を最後に見せて、光の向こうに隠れ、その光はキラキラと霧散して……何もなくなった。


 成仏してしまった。


「うっ……ううっ……」


 それは望んでいたことで、とってもおめでたいことなのに、涙が込み上げる。嗚咽を必死に堪えていると、大和さんが自分の胸に隠してくれた。拳を噛んで堪えていると、加賀さん、青磁さん、銀狐さんと思われる優しい三つの手のひらで、そっと頭や背を撫でられた。


 涙がおさまり、顔を上げると、松明の中に残っているのは私と大和さんと遠藤くんだけだった。


「えっと、お姉さん……那智さん。LINE交換しない?」

「いいけど……どうして?」

「この……超常現象のなかで、一番俺に近い、一般人だから?」

「……よくわかる。よろしくね」

「うん。絶対よろしく」


 降りてきたヘリに、行きは四人だったのに、帰りは三人しか乗らず、遠藤くんを送り届けた。

 そして私は大和さんと二人きりで羽田に行き、空路我が家に帰った。





 ◇◇◇





 旅から戻ると、大和さんとともに、山あいの我が高山神社に向かった。


 宮司である父は、はっきりと我らに降りかかっていた呪いが消えたのを確信していた。斗真は電話で、なぜか体調がすこぶるいい、と言っていたらしい。


「那智……そこまで追い詰められて……本来は私がなんとかすべきだったのに……。それにしてもよくも卜部様と繋ぎがとれたものだ。にしてもなぜ卜部が京の山を降りて、西国にいらっしゃるのか…… いや、卜部様、此度はご尽力くださり誠にありがとうございました」


 父と母が、大和さんに手をついて頭を下げた。


「どうぞ頭をお上げください。これも神のお導きでしょう」


 父は弱小神社とはいえ宮司、卜部家を知っていたようだ。あとでじっくり話を聞かねば。


「我々に、何かご恩返しができるといいのですが?」

「ええ、是非那智さんに引き続きバイトしていただこうと思っております」


 すると、父が急に感じ悪くなり、目をすがめた。


「……遊びならばお引き取りを。恩は借金してでもお返しします。この子は既に、しないでいい苦労を一生分味わっております。あなた様ならば、うちの娘でなくとも由緒正しき姫を選び放題でしょう」


「お父さんっ! 大和さんはいい人……」

 恩人に急によくわからない言い掛かりをつけ出した父に抗議していると、大和さんが私の前に手を出して遮った。


 そして私にそっと微笑んで、父を真剣な表情で見返した。


「遊びではありません。私もこの数ヶ月、彼女を見守ってきました。そのうえでの本気です。ですが、今すぐどうこうとは思っておりません。ゆっくり、信頼してもらえれば」


 父が右眉をピクリと上げた。まだバイトに納得いっていない?


「えっとさあ、お父さん。大和さんの喫茶店、お客さん多くないけどちゃんとしたお店だから信頼していいよ。お料理ほんとに美味しいから。でも、ちょっとお客さんが特殊だから、バイトが続かないのかも? ひとまず私が高山を代表して頑張るから」


 私の宣言を聞いた父は目をパチパチと瞬きして、「マジか……」と言いながらため息をつき、大和さんにもう一度頭を下げた。


「……卜部様が強引に話を進めていないことも、全く那智に気持ちが伝わっていないこともよくわかりました」


「……わかってもらえて何よりです」


 大和さんはなぜか居心地悪そうに小さく笑い、父も気の抜けた笑みを浮かべてよいしょと足を崩した。


「頭ごなしに反対しようとは思っておりません。どこの親とも同じように、那智と斗真が幸せであれば、それでよいと思っておりますので」


 こうして? 私のモグリのバイトは親公認になった。



 ◇◇◇




 そして私はしっかり厚着をして大和さんを引き連れて、御神体の高山に登った。


「すごい神気だねえ」

「そうですか? たしかに気持ちはしゃんっとなりますね」


 奥宮の小さな社で、大和さんは榊をあげて私とともに祈ってくれた。

 そしてそのまま脇道に外れて、大岩の塚に連れていった。


「ここが、女二人の酒盛りの場所?」

「はい」


 夏休みにここでビールを飲んだ。私は今日もリュックから缶ビールを三本出して、一本は開けて備えて、もう一本は大和さんに渡した。


「飲むの?」

「もちろん」

「俺、バイクだけど」

「泊まっていってください。氏子さんが泊まるときのお布団がいっぱいあります」

「そっか。じゃあ、高山家の明るい未来にカンパーイ」

「カンパーイ!」


 大和さんと缶を軽く合わせて一緒にゴクゴクと飲んで、チラリと供えたビールを見る。何も変化はない。一気に半分くらい減るかな、と思ったのに。


「ねえ、なっちゃん。ここで奉納舞したら? 保育園の頃からちゃんと教えこんでるって、さっきお父さんが言ってたよ」


「えー? もう数年は舞ってないもん。」

「こっちにいるんだから今度の正月は問答無用でやらせるって言ってたよ。ここで練習しときなよ。俺がチェックしてやるし」


「え? ほんと?」


 うろ覚えで舞って、いきなり父に怒られるよりも、大和さんに事前指導を受けておいた方がいい気がした。


「ちょ、ちょっと待って。さすがにもうちょっと酔わないと恥ずかしくて踊れない!」

 私が残ったビールを一気に煽ると、大和さんが「おいおい!」と言って笑った。


 私はリュックを地面に下ろし、コートを脱いで、父の譲りの準備運動……四股ふみを二、三度し、パチンと両頬を叩いて気合いを入れた。


「じゃあ大和さん、しっかり見ててね」

「うん。なっちゃん、久しぶりで忘れているところもあるだろうけれど、感謝を込めて舞うんだよ?」


「わかった!」


 私は大神様に祈りを捧げ、精神統一したのちに、両手を広げて足を踏み出した。大和さんに渡された榊を持ってクルクルと舞う。

 案外体が覚えているようで、足が勝手に先へ先へと動く。いや、いつもよりも体が軽いかもしれない。

 ……というようなことも雑念だ。私は無心になって、神のためにひたすら舞う。


 やがて、レパートリー全ての舞を終え、榊に備えていた水をパラリとかけ、その榊を祝詞をあげながら全方位に振る。飛沫が大気に行き渡ったのを見届けて、私は両膝をつき、榊を塚に戻し、首を垂れた。


 息が上がり、肩で息をしていると、なぜか大和さんが隣にきて膝をつき、私の肩を抱いた。


「……え?」

「来るよ」


 何が? と聞き返すより早く、塚の奥の池から水柱が立った! それはぐんぐんと伸びて……龍の形をとる! 


「龍神様……」


 そして龍は夕焼けに届くほど高く登ったと思うと、グイッと私たちのほうに腰? を曲げてきた。訳がわからず大和さんにしがみつく。


 龍の頭がドンドン近づいてきた。すると、その背に何か、キラキラしたものが乗っているのが見えた。


「大和さん……あれは……」

「ふふっ、やっぱりね」


 光はキラキラと凝縮され、人型をとり……


『那智ーーーーっ!!』

「み、碧子さま!?」


 突然出会い、突然別れた……親友になった。


 慌てて立ち上がり、両手を伸ばすと、碧子様は、艶やかな十二単姿で私に向かってジャンプした。

 慌てて抱き止めると、なぜか質量があって、私は後ろにひっくり返った!


『那智!?』

「なっちゃん!」


「イタタタ……碧子様っ!どおしてえ?」

『那智! 我は高山塚の末神……守護神見習いになったわ!!』


「はあ?」




 私は碧子様に憑かれている。




※ ひとまず本筋は終了です。

これからは神様見習いの碧子様や、すっかり懐いた遠藤くんや、おばけ三人衆の集うコーヒー店で、大和に押しまくられる那智のお話がぼちぼち続く予定です。

今後とも宜しくお願いします。

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