第14話 大和の仕事
『大和、黄昏だ』
加賀さんが、タバコを携帯灰皿でもみ消しながらそう言った。空を見ると、日没したばかりのようだ。オレンジから藍へのグラデーションが広がっていた。
「なっちゃん、いい? 俺を見てて。俺を信じて」
そう言って大和さんが中腰になり私を覗き込んだ。
「もちろん信じてます」
私はしっかり頷いた。現代科学で説明できない高山の事情を言葉にする以上に察してくれた。碧子様を見ることができて、私と彼女を受け入れて、打開策を見つけてくれた。こんな親切な人、他にいない。
「親切心だけじゃないんだけどね。それはまあ、おいおい……なっちゃんの心が落ち着いたら。じゃあ始めるよ」
大和さんは私の肩に手を乗せて、額にサラリとキスをした。え……っと恥ずかしくなる前に、私の体が、何か、静電気のような膜で覆われたのがわかった。
き、きっと、さっきのは、キスじゃなくて……加賀さんがくれたのと同じ、なんかの技……なのだろう。
大和さんは私の正面の陣の淵に立った。そして気がつけば私の右手に加賀さん、後ろにキツネさん? そして左手に女性が移動していた。これは、何か決まった方位なんだろうか? 皆様の足元には複雑な模様のサークルが描かれていた。
そして私の左後方に、緊張した面持ちの遠藤くんがいて、私の肩からふわりと碧子様が頭上にのびあがった。十二単衣が深い緑の森と松明と群青色の空のなかで、はためいている。
大和さんが流れるような動作でメガネを外し、胸ポケットに入れた。
右手を前に出し、人差し指と中指を立て、素早く横縦と印を切りその手を自分の顔の前に戻し、目を閉じた。
他の三人がザッと音をたて、足を横に半歩開き、右手を大和さんと同じように立て、左腕を大きく横に広げる。この空間から……何か? を外に出さないように?
なんにせよ、いよいよ始まるのだ。私は両手を胸の前で合わせ、大和さんを見つめ、ひたすら成功を願う。
大和さんがゆっくりと目を開いた。
その目が……赤く光っている!
「開!」
『『『開!!』』』
大和さんから何か、恐ろしい圧力が私に向かって放たれた!
「うっ……」
台風並みの風のような圧力が周囲に吹き荒れて、私は散り散りに分解されそうになるけれど、私を覆う大和さんの静電気みたいな膜が、私の原型をとどめてくれている。
さっきの言葉を思い出し、目を開いて大和さんを見つめ直す。大和さんは、赤い瞳で私を見つめ返しながら、滔々と何か呪文? のようなものを抑揚をつけて紡ぎ続けている。
時折、彼の両手が、手刀のように動くと、ブワッと私に圧が襲いかかる。その威力は恐ろしいけれど、空気そのものは悍ましいものではない。大和さんの纏う、地に足のついた絶対感のある気だ。
何度も吹き飛ばされそうになるのを、大和さんの瞳を見て凌いでいると、唐突に、背中からドロリとした何かが、重力に負けて落ちていく感覚があった。
「剥!」
『『『剥!』』』
重い何かが足元後ろにゾロリと落ち、私はバランスを失い膝をつく。振り向いてそれを見れば重油のようにどこまでも黒い何かで、それは蠢き、クプクプと宙に浮かび人型を形成し面積を広げ、再び、私を飲み込もうとした。
「きゃーーっ!!」
私が悲鳴をあげると、その物体と私の間に加賀さんが滑り込み、焦茶の着物をさっと腕まくりした。そこから太い、ゴツゴツとした真っ赤な腕が伸びて、その物体を逆手でゴンッ殴りつけた。
その黒い物体は殴られた勢いのまま、遠藤くんに向かった。
「い、いやだーーーー!」
しかし、遠藤くんの叫びよりも早く、ドス黒いドロドロの人型はますます拡張し、遠藤くんの背中から全身を覆った。アレは依代にしがみつかなければ生きていけない性質なんだろうか?
遠藤くんがゲホッと胃の中のものを吐きながら、膝をついた。
「遠藤くん!」
『那智、わしは持ち場に戻る。いい子だからここを絶対動くなよ』
加賀さんが、遠藤くんから目を離さずに言った、
「は、はい!」
私が返事した時には、加賀さんは元のサークルに戻っていた。
『わーお。本当に拗れてた念が解けたわね』
『おい、確かに単純にはなったが、年季が違う。侮るな』
『やれやれ、お堅いこと』
「おまえら、うるさいよ」
痴話喧嘩? していた女性とキツネさん二人は、大和さんの静かな一言で体をビクッと震わせ黙り込んだ。
そうだ、大和さんを見ておくように言われていたのだ。私は遠藤くんから大和さんに視線を戻した。
「遠藤くん、約束通りすぐ終わらせるよ。……剥!」
『『『剥!!』』』
遠藤くんに一瞬まとわりついた黒いのが、再び糸を引きながら引き離されていく。なんとかしがみつこうともがいているのか? 気味の悪いグエエエ? というような鳴き声があたりに響く。
しかし、四人分の術のためか? やがて遠藤くんから完全に分離し、私の時と違って地上から三メートルほどのところに見えざる何かによって持ち上げられた。四人の術者の両手も、頭上のそれに向いている。
遠藤くんも口を手で拭いながら、体をねじり、その様子を唖然とした表情で見ている。驚いたことに、彼は金髪に近い茶髪、そして目も日本人にしては薄い茶色に……変化していて……ひとまずそれは後回し。
「高山を祟るのは楽しかった? 善良な人間の泣き声こそが、お前らの糧だもんねえ」
『……くっ』
大和さんは間違いなくその黒い物体に語りかけたのだが、頭上の碧子様が顔を歪めた。
「まあでも、終わりだ」
大和さんはやはり二本の指を立てて、宙に何か文字を書くような仕草をした。
「除!」
大和さんの目が一際赤く光ると、周囲の松明が轟音とともに激しく天に向かって柱のように燃え上がった! その火の先頭が生き物のように伸びて、四方からその黒い悪霊? に到達する。火はなぜか赤から青に変わり、黒い体に螺旋状に巻き付いて引き絞り、太い一本の火柱のようになった。
加賀さんたち三人は、右手は顔の前で二本の指を立て、左手は中心の火柱に伸ばし、何か祝詞のような文言を唱え続けている。
呪いを抑えているのか? 大和さんの力を増幅させているのか? いずれにせよサポートに見える。
恐ろしい断末魔が数分上がり、時折、炎の中から抜け出そうと黒い体がねじり出てくるが、すぐに周囲の松明から火が伸びてその穴が塞がれる。やがてそんな不気味な行動も見えなくなり、青い炎の柱はじわじわと細くなった。そして炎は白に変わった。
大和さんは注意深く目を凝らし、螺旋の火の中の様子を確認し、
「滅」
と言って、指をパチンと鳴らした。
白い炎がリボンのようにバラバラに解ける。中は空洞で、あのおどろおどろしいものは消えてしまっていた。
煙は何故か細く横に棚引き、キツネさんの口に吸い込まれた。
『いじきたない』
『大和の炎を喰らえば、格が上がるからな。このために今日は来たようなものだ』
もう、限界はとっくに越えたので、いちいち驚きはしない。
和らいだ空気に終わったのかと大和さんに視線を戻すと、彼の目はまだ赤く爛々と輝いていた。
「まだだ。遠藤くん、見える?」
「え?」
遠藤くんが怖々と大和さんの視線の先……自分の背後を見上げると、ユラユラと空気が揺らめき……そこには碧子様を何十倍も薄めたような、女性のような影がいた。
「……ママッ!!」
その女性の亡霊? はふわりと遠藤くんの肩に乗り、彼の頰にキスをして、名残りおしげに徐々に薄くなり……キラキラと光の粒になって消えた。
遠藤くんの必死に伸ばした手は、無情にも間に合わなかった。
「ママ! ママ! ママーー! いやだ! 行かないで! 俺を置いてまた? うわああああああ………!」
崩れ落ちた遠藤くんの慟哭は、胸にズシンと響いた。
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