第45話

月曜分


▪️最強の剣士と新たな魔神


「……さて、どこから話そうか」


客間に戻ったヴァンは椅子に腰掛けると、窓から外を眺めながら話を切り出した。

楓矢は壁にもたれたままで耳を傾けて、リアンとミリアはヴァンの向かいの机に座っている。


「魔神は自らを【イース・ルーツ】と名乗っていた。そもそも私がリアンと離別したのはその魔神の影響によるものらしい」

「それは……どういう事だ?」


リアンは驚きを露わにする。てっきり自分の不手際だと思っていたが、そこに魔神が介入しているとは露にも思わなかった。


「厄介な魔神だった。リアンと離別させられた私はその魔神が支配する空間に閉じ込められ、やっとの思いで脱出する事が出来た。……空間を支配する存在など聞いた事もないからな」


自らに起こった体験を反芻(はんすう)しつつヴァンは表情を険しくした。理由は明白だ、魔神の存在を認識したにも関わらず、討ち取る事が出来なかったからだ。


「イース・ルーツは二体で成り立つ魔神だった。私は片方を斬り捨てる事に成功したが、もう片方が生きている限り完全な消滅はしないらしい。結果的にその時点で元の空間に戻されたのだが、亜空間から放り出される瞬間、斬り捨てた方が再生するのが見えたんだ」

「つまり、二体同時に倒せって話か?」

「分からんがその可能性は高いだろうな。しかし厄介なのが魔神の能力だ。奴らは亜空間で自在に姿を消して奇襲を仕掛けてくる……私でも両方を相手にするのはギリギリの戦いだった」


最強と謳われる冒険者の言葉に楓矢は固唾を飲んだ。

キマイラの討伐に成功したが、もう一度魔神と相対した時、同じ様に力を発揮できるのだろうかと。


「なあ、頼み……聞いてもらえないか?」

「む? 何だ楓矢殿」


楓矢は壁から離れると、ヴァンの目の前に立って聖剣を掲げた。


「俺に剣を教えてくれ。勇者とか関係なく、ちゃんと人を守れる様になりたいんだ」

「…………」


そのまま静かに楓矢に視線を写し、瞳を真っ直ぐに見据えた。


「ふむ、なるほど」

「ど、どうなんだよ! 俺は本気でーーーー」


焦りを浮かべた楓矢に対しヴァンは立ち上がると、楓矢の背中をバンバンと叩いた。


「痛ってえ!」

「楓矢殿、まずは裸の付き合いだ」

「……え?」

「風呂を借りよう。まずは風呂に浸かって疲れを癒すところからだ」

「いやちょっと、俺って人と風呂とか入った事なくて……」


銭湯の経験すらない楓矢は挙動不審になりつつリアンに助けを求めた。だがリアンはニヤッと笑い「父さんは気に入った人間と風呂に入る癖があるんだ」と一蹴される。


「何だよ癖って! そんな癖があってたまるか!」

「まあまあ楓矢殿、背中くらい流してやるぞ?」

「やだよ恥ずかしい!」

「む? 男同士じゃないか」

「男同士でもだ!」

「うーむ、では剣の手解きは諦めてもらうとしようか」

「なッ!?」

「どうする楓矢殿?」

「ひ、卑怯な……!」


ぐぬぬッと表情を険しくするが根負けしたらしく、楓矢は開き直って叫んだ。


「入るよ! 入りゃあいいんだろ!」


その場で服を脱ぎ出そうとする。


「え、ちょっと楓矢!?」

「お前……ここで脱ぐなッ!」

「はははは! 楓矢殿は愉快だな」

「笑ってないで止めてくれ父さん!」





「さっきは焦ったね」

「まったくだ」


湯船に浸かりながらミリアとリアンは大きく息を吐いた。

パンツ一枚になった楓矢はヴァンに担がれて風呂に向かい、残された女子二人も入浴する運びとなったのである。


「ヴァンさんって毎回ああなの?」

「ああ、気に入った相手に限るがな」

「じゃあ楓矢は気に入られたんだね、良かった」

「……しかしミリア、お前は誰かと風呂に入るのは抵抗ないんだな。ちなみに私は少し恥ずかしいぞ」


ブクブクと湯船に泡を作りながらリアンは顔を半分だけ沈めた。それを見てミリアはクスリと笑うと、大きく伸びをしてみせる。


「昔はよく妹や弟達とお風呂に入ってたからね」

「妹や弟……兄弟が多いのか?」

「あ、えっとね……私は孤児院の出だからさ」

「っと、すまない」

「謝らないでよ、楽しかったよ孤児院での生活は。毎日が大騒ぎだったけどね」


明るく笑みを浮かべるミリアを見て、リアンは湯船から浮上する。


「それは羨ましいな。私はずっと旅ばかりで、家で過ごした記憶は殆ど無いんだ」

「そうなの?」

「私は小さな頃に母親を亡くしていてな。それからは父さんと修行しつつ、ギルドを転々として依頼をこなしてきたんだ」

「そうなんだね」

「私の場合は寂しくないと言えば嘘になるかな。もちろん父さんには言えないが、母さんの事が大好きだったから……」

「……リアン」

「すまない、なんだか湿っぽくなったな」


普段は勝気な態度を見せるリアンだが、この瞬間だけは表情が物悲しさに包まれていた。

いくら手練の冒険者であっても自分と同じくらいの歳である。強がる自分を貫く為に、色んなものを押し殺してきたに違いない。


「私の前くらい素直になりなよ」

「え?」

「楓矢に知られると恥ずかしいかもだけど、私はそんなリアンの方が好きだな」

「す、好きって……お前、そんな恥ずかしい事を平然とーーーー」

「私って素直に伝える事が下手くそなんだ。今までがそうだったから、これからはちゃんと口にしようって思う」

「……ミリア?」

「さてと、背中流してあげるね!」


ザバッと立ち上がるミリア。

その勢いでタオルがハラリと湯船に落ちた。


「……おいミリア、何食べたらそんな大きくなるんだ?」

「あ、ちょっと! あんまり見ないでよ恥ずかしい!」

「うん? さっきは恥ずかしくないと言ってたよなあ?」

「それとコレとは話が違うってば!」

「せっかくだ、揉ませろ」

「え!? あ、やめ、リアンってば!」





「……隣が賑やかだ」


バチャバチャと立てられる音が壁越しに響く中、楓矢はヴァンに背中を流してもらっていた。

結局、済し崩し的に風呂に入った楓矢だが、思ったよりも緊張せずに居る自分に驚いている。転移する前は「銭湯なんか一生入らねえ!」とさえ誓っていた筈が、この心境の変化も異世界ならではなのだろうか。


「リアンにも良い友人が出来たらしい」

「友人ねえ……まあ真逆のタイプだけど仲良いよな」

「私が不器用な分、あの子には色々と苦労をかけてきた。同世代の友人はとても貴重だよ」

「…………」

「楓矢殿?」


突然推し黙る楓矢。

しかし、次の瞬間には顔を上げると、ガバッと振り向いてヴァンに頭を下げた。


「ヴァンさん……いやヴァン師匠! さっきも言ったが、俺に人を守れる剣を教えてくれ!!」

「おいおい楓矢殿、どうしたんだ?」

「あの時、俺が不甲斐ないばっかりにリアンが大怪我をしたんだ。デカい傷も残った……ミリアちゃんが居なければ、都合良く勇者の力が覚醒しなければ、怪我だけじゃなく……みんな死んでいたかも知れねぇ!」

「…………」

「だからッ! 俺がちゃんと守ってやれる様に強くなりたいんだ……それに」

「それに?」

「ある男と約束したんだ……ミリアちゃんを絶対に守るって。そいつは気に入らねえが約束は死んでも守るつもりだった。でも、今の俺じゃあ……誰も守れねえ」


膝をついたままヴァンを見上げる。


「どんな厳しい修行だって耐えてみせる……だからヴァン師匠、俺に人を守れる剣を教えてくれ!!」

「…………」


全てを曝け出した楓矢の言葉。

オルクスと交わした約束を守る為、何もかもを脱ぎ捨てて本心を剥き出しにする。無意識に涙が溢れるが気にする事はない。ただ心から溢れた言葉を口にしているだけだった。

悲痛とも懇願とも取れる叫びだが、ヴァンはそれを聞き入れつつ、そっと楓矢の肩に手を置いた。


「さっき楓矢殿の目を見た時、ちゃんと分かっていたさ。だから私は君を認めた」

「……え?」

「時に楓矢殿、人の強さとは何だと思う?」

「人の強さ……剣や魔法の才能、とか?」

「不正解だ、そして楓矢殿は既にそれを持っている」

「……俺が?」

「剣の腕は鍛錬でいずれ上達するだろう。しかし自分の志しや意思ともなれば、より難しい」


ヴァンは楓矢の胸に拳を置くと、ニカっと笑みを浮かべて見せた。


「誰かの為に泣けるだけの信念、それを持っている君だからこそ……勇者と呼ぶに相応しい」

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