第39話
▪️帰還
ケーニッヒオーダーと別れ、オルクスと莉緒はアルシアを目指して帰路に着いた。
不安要素はいくつもあるが、まずは落ち着ける場所を確保するのが先決だろう。何より莉緒を不安にさせてはいけない。
「……大丈夫か?」
「う、ん」
掛ける言葉を探してみても気の利いた台詞は一向に出てこない。エドナの様に警戒を解きつつ接する方法など自分には無理だと諦めつつ、オルクスは無力さを噛み締めながら歩みを進めた。
◆
(……すぐに着いてしまった)
悶々としたまま歩き続け、数時間後にはアルシアに到着していた。
街の賑やかさは相変わらずで、莉緒はやや警戒の色を濃くしている。
異世界で多くの人の目に触れるのは初めてなのだろう。オルクスは心配ないと言い聞かせ、自らが先導してギルドへ向かった。
「あ……」
途中、莉緒は足を止めて何かに視線を奪われる。
「どうした?」
「あの、赤いの……」
「赤い……ああ、オルオレアの実を飴でコーティングしたものだな」
「オルオレア?」
「この地方で採れる果実だ。甘味は少ないが歯応えがいい……食べてみるか?」
「……うん」
小さく頷く莉緒。
良かった、少しは雰囲気に馴れてくれたに違いない。その様子に少し安堵したオルクスは出店に駆け寄り、一本の飴細工を購入して戻ってきた。
「……オルクスは、食べないの?」
「俺はいい。そう言えばミリアは好きだったな」
「ミリア?」
「俺の元パーティメンバーだよ。今は別のパーティに入っているんだ」
「……さみしい?」
「どうだろう……ミリアはミリアのやるべき事が有って、俺も俺にしか出来ない事がある。別の場所に居ても寂しくはないよ、家族だから」
「……素敵だね、その関係」
「と、とりあえず食べてくれ、美味いぞ?」
「う、ん」
手渡された飴の端に歯を立てると、カリッとした食感と共にしっとりとした歯触りが追いかけてくる。飴のコーティングはかなり薄く、一口で実の部分まで到達していた。
飴の甘さ、オルオレアの実の食感、それらが合わさって程よい風味が口に広がる。
「……おいしい」
「甘いものは好きか?」
「……好き。あと麺類も大好き」
「麺類か……パスタとかか?」
「うどん」
「……え?」
「うどん……この世界には、ないの?」
「ああ、初めて聞いた。どんな料理だ?」
「太い麺、お出汁をかけて食べるの。ツルツルしててコシがあって、とても美味しかった……はず」
「ふむ」
やや記憶が朧げなのだろう。
しかし、現世での食の記憶が僅かにでも残っているのなら行幸だ。微かな記憶だろうと、それを手掛かりに再現するのは難しくない筈だ。
「じゃあまた俺が作ってやろう。もっと詳しく思い出したら聞かせてくれ」
「うん、ぜったい思い出す」
(余程、好きな食べ物だったんだな)
食に対する思いは強い。
かつてウォルフが振る舞ってくれたハンバーグの様に、記憶の根幹に根付いた料理は思い出として深く刻まれるものだ。
言葉や態度で示すのが苦手なオルクスにとって、莉緒を安心させられるのは美味い料理だけだろう。ならば、莉緒の記憶にある料理を手掛かりに、色々と引き出していかなければいけない。
「じゃあギルドに行こう。紹介したい人達がいるんだ」
「……少し、緊張する」
「安心しろ、良い人ばかりだから」
「オルクスがそう言うなら……うん、分かった」
飴を舐めつつ、莉緒は小さく頷いた。
◆
「ただいま」
ドアを開けると、ギルド内は少数の人間だけで閑散とした雰囲気に包まれていた。
時間にすれば昼を過ぎた辺り。目新しい依頼も捌けており、人気が一番少ない時間帯だ。
「あらオルクス! おかえりなさい」
受け付けから顔を出したのはロロアだった。
最後の冒険者の手続きを終えると、ピーク時の疲労からか、腰を伸ばしながらカウンターから出てきた。
「ウォルフさんは?」
「夜の仕込みをしてるわよ。それよりその子……」
「如月、莉緒です」
「キサラギ……リオ? 変わった名前ね」
「話せば長くなる。出来ればウォルフさんと一緒に聞いて欲しいんだ」
「ふうん、何か訳アリって話ね。分かったわ……お父さーん! ちょっと来てー!」
呼びに行くでもなく、ロロアはその場で大声を張り上げた。すると程なくして、キッチンの奥から不機嫌そうなウォルフが顔を出した。
「何だ大声出しやがって」
「オルクスが帰ったわよ」
「あん? おうオルクス、依頼の方は上手くやったか?」
「それについては色々と言いたい事があるんだが?」
「ガハハ、細かい事は気にするな」
「……そのつもりだ。それより聞いて欲しい話がある」
「あン? 随分と真剣な顔してんじゃねえか」
様子の変化に気付くと、ウォルフは莉緒の姿を一瞥して目を細めた。
「まあ、聞かせろや」
「……実はーーーー」
それからオルクスはソラス嬢の件を皮切りに、莉緒と出会うまでを二人に語った。
魔神に等しい能力を持った魔物ミストヴェノムとの戦い、月の雫、ケーニッヒオーダーとの出会い、そして最後に莉緒が魔王の力を有している事を。
なるべく驚かせまいと言葉は選んだつもりだが、それでもやはり、魔王というワードが出た際には、流石のウォルフも目を丸くしていた。
スキルボードも直接確認してもらい、莉緒が異世界から呼び寄せられ、魔王として生きる事を科せられた事実を包み隠さず、有りの侭に話した。
「……こいつは難儀な話だな」
「無理を承知で頼む。莉緒をこのギルドに置いてやってくれないだろうか?」
「私は大歓迎なんだけど、その、魔王の能力っていうのが……どれだけのものか、ねえ?」
計り知れない能力を前に、流石のロロアも言葉に詰まる。経緯だけで言えば、ロロアなら莉緒を率先して保護するだろう。しかし背面にある魔王という肩書きが、彼女の判断を鈍らせたのだ。
「オルクス、お前が何とかするって言うが、具体的にはどうするんだ?」
「分かっているのは食事をすれば安定するという事実だけだ。極限までの飢餓状態にさえならなければ、暴走しないと考えている」
「とは言え、憶測の域を出ない話だろう?」
「……それは」
「お父さん」
「万が一の時にこのギルドが吹っ飛ぶくらいなら俺は別に構いやしねえよ。だが街の連中にまで被害が及ぶとなれば、流石に話は変わってくる。プレジールだけで収まるものじゃねえなら、即断はしてやれねえ」
「…………」
ウォルフが言う事はもっともだ。
ギルド長として責任は負ってやる。そう言ってくれたが、街まで影響を及ぼすならウォルフの一存だけでは難しい話だろう。
そうなれば街の責任者である人物に許可を取りに行く必要があるが、魔王である事実を公表するとなればどうしても前向きに検討出来ない。
ウォルフやロロアには包み隠さず話せても、流石に他の人間に有りの侭を伝えるのは愚策と言える。密告でもされた日には、莉緒の身に危険が及ぶのは火を見るより明らかだろう。
「すまねえ、お嬢ちゃん」
「ううん。自分の事だから、ちゃんと分かってる」
魔王というレッテルが貼られた自分の立場を理解しつつも、莉緒はそれでも腐っていなかった。
「ありがとうオルクス。私は私なりに、頑張ってみる」
「お、おい……何処にーーーー」
「お腹が空かなければ大丈夫なら、魔物を食べていれば生きていけるから。この状態でも魔王の力を少しだけ使える、死ぬ事はないはず」
「……莉緒」
このまま行かせて大丈夫なのか?
そんな考えが頭を過ぎようとした瞬間、オルクスは去り行かんとする莉緒の手を握っていた。
「俺が、付いていく」
「え?」
「お前が無茶をしない様に、俺が付いていくと言ったんだ」
「……でも」
莉緒の視線が泳ぎ、ウォルフやロロアを一瞥してオルクスに止まる。
自分の為に居場所を失ってしまうのではないか。不安は言葉よりも先に、表情として表に現れた。
しかしオルクスは首を横に振り、ウォルフに向き直って燐天を掲げる。
「俺が莉緒を魔王にさせない。俺の料理で満たし続けてやれば大丈夫だ」
「それがお前の答えか、オルクス」
「ああ、二言は無い」
ギルドを離れ、料理人としての責務を背負うという誓い。真っ直ぐなオルクスの視線に、ウォルフはオルクスの肩を叩いて応えた。
「ちゃんと戻って来いよ」
「……ああ、必ず」
「オルクス……?」
「安心しろ。お前が暴れたりしない様に俺がちゃんと見ている。もし仮に暴れたとしても止めてやる」
「いい、の?」
「言っただろ? 二言は無いってな」
「……ッ!」
ぽろぽろと涙が溢れた。
異世界で孤独に包まれていた真っ黒な日々に、明るい日差しが差し込んだ様な温かさを感じた。
「私も……この力、ちゃんと制御してみせる、から」
「ああ」
「ありがとう……ありがとうオルクス」
居場所が無いなら作ればいい。
かつてオルクスの居場所が孤児院からギルドへ移り変わった様に。
孤独に蝕まれた心が溶けていくーーーーゆっくりと、ゆっくりと。
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