第32話

 

「てめぇだったら死にはしねぇと踏んだ。だから俺は渾身の一発を叩き込むと決めたぜ」


 ケルベロスはロッドの言葉に呼応する様に、無機物の概念を覆すほどの咆哮を上げ、銃口より炎を滾らせた。来訪者の侵入を拒む地獄の門番、その異名を持つに相応しいと言える。


(……起きては、いないか)


 背後では白髪の少女が気絶したままだ。

 黒い外殻を身に纏ったままだが、あの外殻が意識を失っている状態で防御反応を示すかは定かでは無い。攻撃を防ぐように動かなければ、少女の命は絶望的だと言えるだろう。

 ロッド最大の攻撃が来るのは確定しており既に回避の選択肢は無い。

 だとすれば残された手はただ一つ。真正面からロッドの攻撃を受け止め、それを凌ぐ一撃を放つだけだ。


「カカッ! 愉しいなオルクス!」

「ーーーーちッ、世話の掛かる奴だ」

「オルクスッ!」

「エドナ……ガルド?」


 ああなってしまったロッドを止める術は無い。エドナとガルドはせめてもと、少女の前に立ち塞がった。


「悪いな、迷惑をかける」

「おう、お前達も混ざるか?」

「ふざけないで馬鹿ッ! 本当なら私がぶん殴って止めたいんだけど、あの馬鹿、今までにない程に本気なの。ああでも、こう言っちゃアレだけど半分はオルクスの責任だから」

「……無茶苦茶だな」

「お喋りはここまでだ、来るぞッ!」


 ガルドの声を皮切りにロッドはトリガーを引いた。先程まで三つに分かれた銃口から魔弾を射出していたのに対し、炎は熱風を巻き起こしながら銃口に集まっていく。射出される筈の魔弾は銃口に留まったまま肥大化を続け、辺りを灼熱の海へと変えていった。

 一見すると無防備な溜め状態にも見えるが、オルクスが攻撃に転じる事は無かった。


「ハッハー、意外と冷静なんだな?」

「こう見えてSランク冒険者なんでな」

「嫌味かよ、でも正解だぜ」


 鳥型の魔物がロッドの上空を掠めた。

 その刹那、魔物はジジッと短く音を発して塵となる。


「……なるほどな」


 攻撃までの溜め段階は炎の盾を纏う。攻守において全くの隙が無い。


「さあて、そろそろブッ放すぜ」


 ロッドの毛先が逆巻く炎によって赤く染まった。

 否ーーーーそれは毛先だけに留まらず、一瞬にして全身が炎に包まれ、ケルベロスの剣先から突き抜けて巨大なエネルギーの塊へと変化した。


「消し飛べッ! 【冥底(テオ)・琰狼孤吼(ニヴルヘイム)】」


 堰を切った力の解放は無際限の広がりを見せ、オルクスの頭上から振り下ろされた。


「ッーーーー嘘でしょ!?」


 出し惜しみなどない全力の一撃。いくらロッドが見境が無いとはいえこの攻撃はおかしいとエドナ。

 強者を相手にしている状況ではリミッターが外れる事はこれまでにも有った。しかしそれでも、最低限の加減はしてきた筈だ。

 だがこの技は話が違う。魔物が相手の場合でもほぼ使用しないロッドの禁じ手のひとつだった。

 ガルドも異常に気が付いた時には既にエドナが動いていた。

 多節棍を回転させながら詠唱を始め魔法を展開する。オルクスの眼前で瞬く間に氷の花弁が開花したかと思うと、降り注ぐ炎の斬撃を真正面から受け止めた。


「ッッッ!!」


 氷の花弁が砕けるのと同時に狂い咲く。新たに芽生えた花弁は更に攻撃を受け止めるが、何度繰り返されようとも徐々に刃は迫っている。


「うぉぉおおおおお!」


 エドナの魔法に追随してガルドが吠え、両手の爪を硬化させる能力を発動し、そのまま剣を受け止めた。


「ははははッ! いいぜお前ら、でもまだ二人とも足らねえな!」


 ケルベロスが脈動し、炎はウネリを増して吹き荒れた。エドナの氷の花は全て溶けて消滅し、ガルドの爪には亀裂が生まれる。


「完全に我を失っている……!?」


 仲間である二人の反応を見て疑念が確信に変わった。

 暴走に近い状態のロッドを止めるには、攻撃の全てを無力化するしか方法がない。今のオルクスにそれが出来る可能性があるとすれば、


「もう一度、あの技をーーーー」


 フランベルジュが覚醒し、ミストヴェノムを屠ったあの技を。


「今ここに全てを託す、この一撃ッ!」

 一か八か、コントロール出来るかは賭けだった。

 オルクスは現時点での全ての力をフランベルジュに注ぎ込み炎を押し固め、ロッドの攻撃に匹敵するだけの巨大な刀身を生み出す。

 紅蓮に向けられるは炎の白刃。天を貫く炎の斬撃は、獣の如く猛る炎を穿たんと燃え盛った。


「絶技【煌牙(こうが)・穿吼炎天刃(せんこうえんてんじん)】!!」


 斬撃と斬撃がぶつかり激しい衝撃が生まれる。

 暴発に近い技同士の接触だ、お互いにただでは済まないだろう。

 その場の全員は吹き飛ばされ、エドナとガルドは気絶しているのか沈黙している。オルクスは何とか意識は保ってはいるものの、フランベルジュを維持するだけの精神力は無いらしい。炎の剣は漆黒の包丁に戻り、同時に強い脱力感に襲われた。


「……はあ、はあ……ちッ、一撃を放つだけで……これほどの消耗か」


 二撃目は防げない。

 諦めにも近い感情が込み上げたが、硝煙の先ではロッドが意識を失い倒れていた。

 微かに獣の吠える声が響くと、ケルベロスは形状を元のオルトロスへと変化させる。


「アイツを、止められた……のか?」


 少しだけ安堵した瞬間、オルクスの意識はプツリと暗転しーーーーやがて途絶えた。



 ◆



『くッ、あの冒険者め』


 闇が支配する空間で薄紫色の瘴気が蠢く。

 霧状の肉体を持つ魔物ーーーーミストヴェノムは悪態付いた。


『油断さえしなければ、あの小娘の力で殺せていた筈なのにーーーー』

『もういいよ、それ』


 ミストヴェノムに対して何者かが声を投げた。


『何者だ? 誰に向かって口を……』

『だからもういいよ。それで、もうだったんだい?』


 抑揚を欠いた小さな声。まるで少年の様な声はそのまま、ミストヴェノムの頭上で響きながら広がっていく。

 問いに対し、ミストヴェノムは答えーーーー無かった。次に聞こえてきたのは、掠れた魔物の声とは対照的な少女の声だった。


『ーーーーあは、ノリ悪いなあもう』


 ケラケラと笑う声が続いたかと思うと、ミストヴェノムの姿がグニャリと湾曲した。

 瘴気だった肉体は消え去り、残されたのは動物の耳を模したフードを被ったひとりの少女だった。


『【悪夢コレクション】より、毒島霧香(ぶすじまきりか)ちゃん作のミストヴェノムでしたー』

『進捗を聞かせてもらおうか、メア』


 手のひらで遊ばせているのは先程まで“ミストヴェノム”として存在していた魔物の残滓だ。メアと呼ばれた少女はそれを摘み上げ、舌の上に乗せ、時間をかけてゆっくりと嚥下する。

 コクリと喉を小さく鳴らすと、改めて図上を見上げフードを被り直した。


『うん、とっても順調だよ神サマ♪』

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