第22話

 

 ▪️邂逅


 ククル樹林から流れる川には不思議な効能が存在する。

 ボリスの代から全区域を管理しており、その水はあらゆる病に一定以上の効果を見せると囁かれていた。

 この噂は人伝に広まり、やがてククル樹林を経由した水を月の雫と呼ぶ様になるが、かつては私欲を肥やす為に争いさえも起こる結果となった。

 被害の増大を危険視したボリスは類稀なる魔法の才能を活用し、十八歳の時に領地内の全方位に強固な結界を張った。それから数十年経った今でも、ボリスは結界の維持と管理を継続している。

 月の雫に関しては必要な人には無償で提供しており、信頼のおける医者などに届くよう手配されている。

 効能だけ考えれば素晴らしいものだが、その反面、月の雫の効果の源は分かっていない。山頂から流れる川が街に降りるまでのどこかに秘密があるとボリスは考えていたが、試しに山頂辺りの川を採取しても効果は無く、転々と採取場を変えてみても不規則に効能が現れるという結果だけが残った。

 結局、効能に振れが存在しない川下を採取場所に制定して今に至る。


「そして父は多忙を極める中でも月の雫の管理を続けた。自分の全てを削りながら、街の人達の事だけを考えて……」


 ソラスはククル樹林の入り口に佇み、分厚い結界に手を添えた。後ろではオルクスにペトラ、グラウがその様子を見守っている。


 ミストヴェノムから解放されたソラスは一晩で目を覚ますと、何の後遺症も感じさせない様子で起き上がった。まだ安静にと周りが言うのを聞かず、率先して月の雫の採取に赴いたのである。

 余程、父親が心配なのだろう。

 そう考えたオルクスだが、ソラスは元々何かが原因で部屋に閉じこもっていたのを思い出した。その理由を聞いて良いものかと悩んでいたが、ペトラはオルクスのそんな様子を察してか、黙って首を横に振って耳打ちした。


(ちょっとちょっと、タイミングってもんがあるでしょ)

(……む、そうだが)

(オルクスはデリカシーの欠片も無いんだから自覚しなよ)

(……ッ!?)

(やっぱり無自覚だったか)


 やれやれと肩を落としたペトラは前に出ると、未だに表情を固くするソラスの隣に立った。


「大丈夫?」

「……うん、ありがと」


 静かな緊張感。指先が近付くとピリッと軽い衝撃が突き抜ける。かなり強い魔法耐性を付与してこれだ。うっかり素手で触れてしまえば指先が消し飛ぶかも知れない。厳重に張り巡らされた侵入禁止措置を横目に、ソラスはそっと自らの指先を噛んだ。

 父親の魔法に触れるのは初めてだった。

 領主としての責務と魔法の研究、その両立の為に常に仕事に明け暮れていたボリス。昔はそうじゃなかった。母親の死後より一層仕事に没頭するようになった。

 食事も疎かになり、疲労と心労でやつれていく父親の背を見て、ソラスはこれまでに複雑な気持ちだけを募らせてきたのだ。


(背負うものが大きいのは知ってる。重圧や期待に答える為に、己の身を犠牲にするのがお父様の考えだから)


 生真面目過ぎる父親の性分は痛いほどに理解している。だがそれ故に、どうしても許せない部分が存在する。


 なぜ私に手伝わせてくれないの?


 私はお父様の手伝いが出来る様にと魔法の勉強だって欠かさなかったのに。負担を減らしたい、ただその一心だったのに。

 そうすれば一緒に食事するくらいの時間は出来たのではないか? 好きだった読書も気兼ねなく出来たのではないのか?

 どれだけ努力しても振り向いてもらえない寂しさに押し潰されそうだった。


 きっと、私が頼りないからだ。


 やがて自暴自棄になったソラスは引き篭もる様になり、他人との接触を閉ざしたのである。

 しかしペトラに出会い、どんな状況からでも変われる事を学んだ。どれだけ本を読んでも理解出来なかった疑念を短い時間で、肌で感じる距離で、その身で示してくれた。

 気持ちひとつで、人間はどこまででも強く在れるのだと。


「私はちゃんとお父様と向き合います。目を見て話をして、きちんとお父様の考えを聞いた上で判断します」


 再び結界の前に立つとソラスは胸の前で両手を交差させ詠唱を始める。呼応する様に大気が震え、微かな振動となって全域に広がった。


「折り重なる精霊の加護よ、汝の祝福を宿さんとする堰をーーーー」


 言葉が紡がれるのと同時に、ソラスの周りに幾つもの微精霊が舞う。

 通常は視覚できない存在である微精霊だが、ソラスの身体を介する事で周りにも認識できる様になっていた。

 なんと凄まじい量だ。

 ククル樹林を覆う結界の全てが微精霊を凝縮した壁だとするならば、その規模は途方もなく膨大で、人間の扱える魔法の領域を軽く超えているだろう。

 身体を巡っていく微精霊達の魔力を感じながら、ソラスは父の大きさを肌で感じた。


(すごい……お父様はこれを、たった一人で)


 結界の全てを解除するのは効率が悪い。採取場所を限定して入り口を作るだけーーーーよし、大丈夫だ。

 結界に小さな穴を開けるだけで恐ろしい程に魔力を消費されていく感覚に少しだけ恐れが混じる。

 なるほど、完成された結界への干渉をする人間が居ない理由はこれだ。並の魔術師ならば、結界の術式に触れただけで廃人と化すだろう。

 だがしかし、彼女は違った。


「いいよペトラ、お願い!」

「!? おおよ!」


 ソラスの声が響くと、ペトラは慌てて川に駆け寄った。

 作られた小さな結界の穴をすりぬけ、予め準備していた水桶で川の水を汲み取る。水桶には並々と月の雫が満たされ、ズッシリとした重みが手に伝わる。

 ペトラは目的を完遂するとすぐに結界から外へ出て合図を送った。どう大丈夫、完成だと言わんばかりに。

 時間にして数秒程度だろう。ソラスはすぐに結界を閉ざす為に、ククル樹林の全域に広がる膨大な術式をーーーー閉じる側に反転させた。


「……これでッ!」


 ズズゥン。

 透き通る結界の壁は鏡面の様に反射したかと思うと、穴が空いていた場所が跡形も無く消え失せた。そこに穴があったと言われても信じないほどの完璧な術式。ボリスの魔法を十分理解したソラスだからこそ成せる技だ。

 やがて安堵からか、ソラスはその場にへたり込んだ。


「ソラス!」


 水桶をオルクスにパスしてペトラは慌てて駆け寄った。


「……私、ちゃんと出来たよね?」

「ああ、バッチリだよ」

「良かった」


 グゥウウ。


「……あ」

「あはは、元気な証拠だね」

「うん、なんだかとっても……お腹空いちゃった」


 威勢の良い腹の音に、思わずオルクスも苦笑した。


「屋敷に帰ったら夕食にしよう」

「はい!」


 すれ違った親子の想い。結界を閉ざした微精霊達の残滓は、淡く輝きを残しながら空に溶けていった。

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