第13話
◆
グラウの話はまさに寝耳に水だった。
ただ料理を振る舞えば良いだけだと思っていた矢先、そこにたどり着くまでには幾つもの障壁が待ち構えていた。
ギルド・ハーメルンが請け負った依頼は、表面上はラングウェイ家の総合的な問題の解決だという。総合的なーーーーという曖昧な表現自体が普通なら可笑しな話だが、依頼人である執事・テノスは至って真剣だった。
それぞれを砕いて考えた場合、病に伏したボリス伯の治療に必要な薬草の手配、調合はマストである。そして娘であるソラスの面倒と、並のギルドなら請け負うのすら躊躇うレベルと言えるだろう。
「なぜアンタはこの依頼を受けた?」
当然、オルクスはそれを問うた。
グラウはその質問に対してニヤリと笑い、メイドが淹れ直したコーヒーを飲みながらぴしゃりと言い切る。
「理由はひとつだろう。貴族とのパイプ、それ以外に何がある?」
「……随分と生々しい理由だな」
「なら逆に聞こう。お前はなぜこの依頼を受けた?」
「……だ、騙された」
「ん?」
「ちッ、ウォルフさんに嵌められたんだ」
眉間に皺を寄せて苦々しく答えるオルクス。
きっとウォルフは件の詳細を把握していた筈だ。本来なら依頼と実際の内容があまりに乖離している場合、請け負ったギルド・冒険者にはそれを破棄する権利がある。
プレジールのウリはそういったトラブルが皆無な所だ。
ロロアが精査した依頼のみが冒険者に行き届くよう徹底されており、今回も例に漏れない筈だ。ならば答えは必然、ウォルフが仕向けたに違いない。
「はは、依頼書をしっかり読まなかったお前が悪いな。いや……今回のケースならそもそも依頼書自体を見てないんじゃないか?」
「くッ……」
「図星だな」
悔しいが言い返す言葉も無かった。
最近は料理に没頭するあまり、空き時間はずっとメニューの事ばかり考えていた。ギルド内でも、キッチンでも、外に出れば市場に寄ったりと余念が無い。
そんな中で料理を振る舞う依頼となれば、依頼書に目を通さずに二つ返事をしてしまうのは仕方がない事だろう。今のオルクスの根底にあるのは料理の事だけだ。
「意外と抜けてんのなオルクス」
近くで聞いていたペトラに揶揄われる。
「……お前は馴れ馴れしく名前で呼ぶな」
「あれ、恥ずかしいの?」
「ちッ」
あからさまに邪険にしつつ、オルクスはペトラを押し退けて本題に切り込んだ。
「グラウさん、アンタのいう協力とは何だ。ソラス嬢は部屋に魔法結界を張っているだけだろう? それを突破して料理を振る舞えば俺の依頼は完遂できる。協力など必要ない」
多少硬い結界など燐天の前では紙切れ同然だ。例え包丁になったとてその切れ味は変わり無い。
「随分と簡単に言うなオルクス。だが本当にその通りにいくと思うか?」
「なに?」
「まず一つ、部屋に結界を張る人間が突然現れた赤の他人の料理を食べるか? 二つ、お前はソラス嬢の情報を全く知らない。そして三つ、いや……これは今教える義理はないな」
ここに来て勿体ぶる。商人の出だというだけあり、駆け引きのタイミングはバッチリらしい。
「待て、そこまで話したんなら聞かせろ」
「くく、俺ら商人上がりの人間にとって情報は金と時間と同価値だ。聞きたいなら俺達に協力してもらおうか」
顎に手を置いて身体を引く。
ゆっくりとソファーに背中を預けると、腕を組んでオルクスのリアクションを伺った。
グラウの読みは的中したらしく、オルクスは自分の見通しの甘さをすぐに理解して舌打ちをした。
確かにグラウの言う事は真っ当だ。
身体一つで屋敷に来た事実は変わらない。ソラス嬢にコンタクトを取る手段だって、結界を破壊すれば良いだけだと考えていた。
(悔しいが、向こうの言う事が全てだろう)
塞ぎ込んでいる人間の殻を無理やり剥いで料理を食べさせるつもりか? いいや有り得ない。料理人の本質すら見失うところだった。
「……ちッ」
「くく、では改めて」
グラウはコーヒーを飲み干し、空になったカップを覗き込む様にシャンデリアに掲げた。
「ーーーー交渉成立だ」
▪️月の雫
屋敷の裏手には鬱蒼と生い茂る森があった。
ドルドゥの街には山から流れてくる川があり、その水に含まれる成分には精神を落ち着かせる効果に加え、回復魔法であるヒールに近い効能があるという。
効能自体はその森ーーーーククル樹林を経由している事に起因するのだが、人々はそれを『月の雫』と呼んで大切に管理していた。
魔物や部外者によって荒らされる事が無いようボリスが自ら魔法で結界を作り管理し、必要があれば無償で解放している。
しかし今はどうだ?
結界を解くボリスは病に伏している。誰も手が付けられない。『月の雫』はボリスの病に効く可能性もあるが、その水を採取するにはボリスの力が必要なのだ。
「高ランクの僧侶(ヒーラー)を連れて来るのはどうだ?」
「試したさ。しかしウチの連中では無理なのは検証済みだ」
治癒魔法はあくまで外傷を癒すものだ。先天性の疾患や病気までは癒せない。
その領域は神の力の一端と言えるだろう。
「そこでソラス嬢の力を借りるんだ」
「ソラス嬢?」
オルクスは背中でグラウの言葉を聞きつつ、食材の保管庫で品定めをしていた。
やはり貴族の屋敷ともなるとどの食材も一流である。少なくともそこらの魔物の肉は混じっていない。不謹慎かも知れないが、プレジールではお目にかかれない高価な食材達に胸が躍った。
「おい聞いてるのかオルクス」
「いや聞いてなかった」
「ほほう、良い度胸じゃねえか」
「ぐッ……!」
ガシリと頭を掴まれ首を九十度曲げられる。腕っ節は商人上がりのそれではない。
「ソラス嬢はボリス伯に匹敵する天才だ。きっと川を覆っている魔法結界も楽に取り除けるだろう」
「ぐぎぎ……し、しかしソラス本人も結界に閉じ籠っているんだろう? まずはそこから出させるのが先じゃないか」
「それならもう手は打ってある」
「なに?」
そう言えば先程からペトラの姿が無い。
オルクスがそれに気付くと、グラウは意味深に笑いながらオルクスの背を叩いた。
「あと三時間もあれば充分だろう。お前はその時間に間に合う様に、ソラス嬢に振る舞う料理を作ればいい」
「三時間……本当にあいつで大丈夫なのか?」
「心配いらん。それにソラス嬢に響く料理を作る為にはーーーーさっきの隠していた三つ目の話を聞かせてやろう」
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