第6話

 




 ▪️折られたプライド


「……あっ、お帰りオルクス!」

「…………」

「オルクス?」

「…………」


 時刻は深夜に差し掛かろうとしていた。

 誰もいない閑散としたギルドの中でひとり、ミリアはオルクスの帰りを待っていたらしい。カウンターに空のカップが二つ並んでおり、どちらも女性もののカップだった。恐らくロロアも先程まで起きていたのだろうか。


「オルクス……」


 ミリアの問いに対してオルクスは何も口にせず、ふらふらと歩きギルドの一番奥の席に座った。

 静かに天井を仰ぐ様子にミリアは胸の奥の騒めきを隠せずにいたが、物音で目を覚ましたロロアはその光景を目の当たりにすると同時に、大凡の状況を理解したのかミリアの肩にそっと手を置いた。


「ミリアちゃん」

「……ロロアさん、私どうすれば」

「今はそっとしておいてあげて。オルクスにはきっと、大事な経験と時間だから」

「……うん」



 負け。

 敗北。

 虚無。


 静かなギルドでポツリと座り込む。

 自分の中にベットリと張り付く初めての感情を一身に浴びるのを感じつつ、ゆっくりと熱を帯び始めた苛立ちから、思い切り拳を壁に打ち付けた。


 なんてザマだ、情けない。


 血の滲む拳に痛みが走る。

 たとえ勇者が相手だとしても負ける訳が無いと確信していた。しかし、そんなものは所詮、何の根拠もないものだった。

 戦いの経験がないから勝てる? スキルを覚えたてだから勝てる? くだらない、実にくだらない妄言だ。

 これは単なる己の驕り、慢心と怠慢以外の何ものでも無い。

 オルクスは生まれて初めてひどく己を嫌悪した。

 ーーーー何が『S級冒険者』だ。

 いくら勇者である楓矢が気にいらないとはいえ、本気で立ち向かったと言葉にしたとしても、心の片隅にあった僅かな綻び、それは剣を握る者として相応しく無いものだった。

 そう、今の自分には剣を握る資格すら無い。


 自己嫌悪だけが募る中、暗闇の中でボソリと声が響いた。


「シケた面してんなオルクス」

「……ウォルフさん」



 気が付けば、いつのまにか正面にウォルフが立っていた。

 その圧倒的な存在感にも関わらず、オルクスは認識すら出来ていなかったらしい。こんな気持ちだと、ここまで警戒心が落ちてしまうものだったのか。自分がいかにの人間であると痛感させられる。


「ははん、その様子じゃあ派手に負けたんだな?」

「…………」

「まぁ、勇者相手なら仕方ねぇんじゃねぇか? あんま気にすんな。煽ったのは俺だがよ」


 勝ち負けなんてモンは生きていれば繰り返すもんだ。ウォルフはそう言いながらオルクスの対面のソファーにドカリと腰を下ろした。

 しかし依然としてオルクスの表情は暗がりに溶け込み、ウォルフの言葉に対する反応は読めないでいる。


「俺は、負けるべくして負けたんだ。俺は、俺には剣を握る資格なんて無い」

「かッ、こいつぁ重症だな。少し待ってろ、勝手に寝んじゃねぇぞ?」


 それだけ言ってウォルフは厨房の裏へと消えていった。

 今は何も考えたく無いし、誰とも話したくない。静寂に包まれたギルド内でガランとした視界が広がるが、今の心境だと逆に有り難くも感じる。

 昼の賑わいと打って変わり、音のないギルド。自分の居場所の新しい側面に触れつつ、そして全てから目を背けようと目をとじた。


「…………?」


 どれくらいだろう。体感ではほんの十分程度だろうが、目を閉じ敏感になったのか、微かな香りが鼻腔をくすぐってきた。

 その匂いはだんだんと近づいて来ているらしく、遂には辺り一面がその香りに包まれた。


「……これは?」


 瞼を開けると、目の前のテーブルの上に一皿の料理が置かれていた。当然、それを用意した主はウォルフである。


「オルクス、お前が孤児院から出て冒険者になりたての頃覚えてるか?」

「確か……十二歳くらいだったかな」


 二年の歳月を経て、採取系の依頼から始まったのを覚えている。薬草を拾い集める依頼ばかりに苛つき、早く剣を握らせろと唸ったものだ。


「だな。あん時のお前は背伸びしまくりでよ、まだまだクソガキなのに変に大人ぶって、見ていて面白かったぜ?」

「……昔の話だよ」

「ま、俺から見たら今も大して変わらないがな。ほれ、この料理だって覚えてるか?」


 目の前に置かれたのは皿らしきもの。

 オルクスはそれを確認すべく、起き上がってギルドの照明に手を伸ばす。

 すると、明るくなったテーブルの上にはなんの変哲もないハンバーグが姿を見せた。

 拳大の大きさのハンバーグは湯気を立ち上らせ、まだ熱いプレートの上でソースが焦げて香ばしい匂いを漂わせている。

 付け合わせも至ってシンプルな人参のグラッセのみ。バターを纏い、火を通してなお、鮮やかな色をしていた。


「……ハンバーグか。昔はよく、俺がクエストを失敗した時に出してくれていたっけ。あの時は形も歪だったし、焼き加減なんて酷かったが」


 当時を振り返り苦笑する。腹に入れば同じだと、焦げだらけのハンバーグを食べさせられた記憶は鮮明に覚えている。


「俺も毎日進歩してんだよ。見てみろ、今の出来栄えなんて王国の専属シェフにだって引けを取らないぜ?」

「……それは大きく出すぎだよウォルフさん」


 ガハハと笑うが、確かにウォルフの料理の腕は確かだ。いや、昔と比較すると良くなったと言えるだろうーーーーそれも格段に。

 ひとえに料理人のスキルを磨いていただけでは無い。スキルで料理の腕自体は上がるだろうが、その上達の裏にはスキルボードの恩恵以外の“何か”が存在していた。

 上手く表現出来ないが、どこか信念に近い、強い気持ちの結晶とも呼べるだろうか。


 ウォルフはこのギルドを受け継ぐまでは冒険者だった。

『A級』までの依頼をこなし、妻を病で亡くしてからは男手一つでロロアを育て上げてきた。

 ウォルフが依頼に赴く際はギルドメンバーがロロアの子守りをしていたとも聞く。

 そして当時のギルドマスターが引退するにあたり、人間性や実力を加味して次世代のギルドマスターとしてウォルフが選ばれ、それに合わせてロロアも受け付け嬢として働くようになった。


 当初のウォルフはギルドマスターと兼任で冒険者としての依頼もこなしていた。しかし自らの限界と、長らくクエストなどでロロアに寂しい思いをさせてきたという思いから、職業を変えて現在まで料理人兼ギルド長として働いている。

 当然、その当時は料理人としては駆け出しも駆け出しであり、普段から料理などしなかったウォルフの腕前は『食えたものでは無い』レベルだった。

 しかし、冒険者達からどれだけマズイと言われても、言われ続けても、決して諦めたりする事なく料理と向き合った。

 折れる事なく、真っ直ぐに向き合い続けた努力は身を結び、今ではウォルフの料理目当てに冒険者以外もギルドに顔を出す程となっていた。


 その料理の過程の一端を見てきたオルクスは、ウォルフの努力とひた向きさを理解している。

 その結晶が目の前にある。このハンバーグはウォルフという男の磨き上げた全てだ。


「……いただきます」

「おう! 冷めない内に食え食え!」


 大事な事は多く語らないのがウォルフだ。

 この料理を食べる事で伝えたい何かがあるのだろう。オルクスはそれを理解し、料理が冷めぬ内にナイフとフォークに手をつけた。


「…………」


 ハンバーグの表面にナイフをあてがい、その中央にゆっくりと力を込める。焼き色の付いた表面に刃先が沈むと、若干の弾力を経てその断面が露わとなり、溢れる様に肉汁が皿に広がる。やがてソースが混ざり合い、立ち込める匂いは食欲の根底を強く刺激した。


(そういえば……今日はまともに食事をしていなかったな)


 勇者の降臨、そして戦いに没頭するあまり空腹など忘れてしまっていた。

 本能である食すら霞む程、自分は楓矢という人間に執着していたのだ。その結果、自身の魂とも言える『燐天』を折られる結果になったのだから目も当てられない。

 いや、今は余計な事は考えない様にしよう。目の前の料理だけに集中し、そして味わおうと決め、意識をそっと食事に戻した。


 二つに割ったハンバーグを更に一口大に切り分け、たっぷりのソースを絡めて口へ運ぶ。

 頬張ったその瞬間、口一杯に広がるのはガツンとした肉の旨味だ。更にそれを引き立てるソースの酸味と甘み。口の中で解けた肉に絡み合い、双方が渾然一体となり、噛みしめる度に波のように旨みが押し寄せる。


「どうだ、美味いだろ?」

「美味い……けど、これ何の肉だ?」


 咀嚼が終わり一息つくと、僅かな疑問に包まれた。

 味は抜群だ、もちろん文句なんて無い。

 ただギルドで振舞われる料理に使用される食材は、牛や豚などの家畜だけでは無いのをオルクスを始め皆が知っていた。現に今食べているハンバーグ、これの食感は一般的な家畜のそれとは微妙に違っている。

 豚肉に歯ざわりは似ているが少し硬く、牛肉の赤身より味が濃い。それを聞いてウォルフはニヤリと笑い、厨房に引っ込むと直ぐに出てきた。

 その手には、あまり食事中に見たくはない光景が広がっているではないか。


「何の肉って、『フライフロッグ』の足の肉だ。ここらで獲れるヤツらは特に活発でな、ほれ、見てみろこの足! 爬虫類系の魔物にゃ見えねぇだろ!?」


 一メートルはある巨大な両脚。調理済みのそれらを片手に持ってウォルフは嬉々としていた。大体の察しはついていたが、やはり食用の魔物だったらしい。オルクスもまさかカエルだとは思いもしなかったが。


「……見るんじゃなかった」

「バカヤロウ、お前このフライフロッグは凄ぇんだぞ? 戦闘能力はそこまで強くないが、故に繁殖力は高く安価で取引きされる。ハッキリ言ってボロ儲けだ。ガハハ」

「……これ、メニューには何て書いてあるんだ?」

「あん? 『ウォルフ特製愛情ハンバーグ』ってそこに書いてんだろ?」

「……いや、何の肉かは書いてないだろ。カエル肉食わされて文句言われたりはーーーー」

「何を言ってやがる。ギルドで出される飯なんてモンは大体がそうなんだよ。魔物は倒すだけが終わりじゃねぇんだ。というか、魔物を食うのは常識だろ? あとお前の好物で魔物を使ってるのと言えばーーーー」

「いい、やめてくれ、俺が悪かった」


 他愛もない話だが、少しだけ胸が空く様な気がした。

 美味い料理と居心地のいい場所。それがあるだけで、こんなにも荒んだ心が満たされるものなのか。


「がはは、取り敢えず食っちまえ、そんで寝ろ。美味いもん食って寝りゃあ多少は紛れるだろうさ。あ、皿は洗っとけよ?」


 ウォルフはそれだけ言い残し、二階にある自室へと帰って行った。


「……ありがとう、ウォルフさん」


 既に聞こえないのは承知の上だが、この時は自然と感謝の言葉が漏れた。

 そして鞘に収まった折れた燐天に手を置く。


「すまない……ッ、ごめんなーーーー燐天」


 袖でグッと顔を拭うと、オルクスは再びナイフとフォークを皿の上に走らせた。



 ▪️違う道と



(あれから眠れなかったなあ)


 一夜が明けたというのにミリアの憂鬱な表情は晴れなかった。

 昨晩はオルクスの顔を見て、胸が引き裂かれそうな感覚に陥りながらも、下手に言葉を掛けるのはオルクスの為にならないと判断した。

 実に長い夜だった。

 悶々としたまま何度か戻ろうとも考えたが、その度に頬を叩いてはベッドに潜るを繰り返した。入り口まで歩いてはベッドに戻る。それをひたすらに繰り返し、気がつけばベッドにもたれ掛かる様に眠りについていたのだ。


「うう、ちょっと寝違えたかな」


 首元にヒールをかけつつ、重たい足取りでギルドの広間へと足を運んだ。


「あ……」

「……ミリアか」


 既に起きていたオルクス。

 窓際の席に座り、登ったばかりの朝日が照らす風景をぼんやりと眺めていた。


「お、おはようオルクス! あの……その!」


 言葉を紡ごうとするが上手く声にならない。

 どうしても上ずってしまう自分のたどたどしさを恨むミリアだが、対するオルクスの声に目を見開いた。


「ああ、おはよう」

「!? ……お、おはよう! おはようオルクス!!」


 ただ挨拶を交わしただけで、ミリアは水を得た魚の様に飛び上がる。

 良かった、元気になってくれたんだ。

 パートナーの細やかな笑みに、ミリアの胸の内はあっという間に晴れ渡った。


「あ……そっか」


 浮つきながらもハッとして動きを止める。

 昨日はあやふやになったが、今日はいよいよ勇者である楓矢と旅に出る日じゃないか。


 魔王討伐、まだ見ぬ戦いの境地。


 ミリアが固唾を飲んだ瞬間ーーーーゆっくりとギルドのドアが開いた。


「ちわーす」

「あ……ええと、おはようゴザイマス勇者様」

「えっと、確かミリアちゃんだっけ。楓矢でいいよ。勇者様なんて堅苦しいし」

「え!? ……さ、流石に無理です!」

「……あっそ」


 楓矢は僅かな不機嫌さを見せるが、パッと表情を切り替えて顔を上げた。そしてゆっくりとこちらに近づき、二人の顔を交互に見つつ続けた。


「んじゃ旅に出るけどよ、ミリアちゃんだよね? キミだけついて来てよ」

「ーーーーえ?」


 予想もしなかった楓矢の一言に、オルクスは驚きよりも先に怒りを露わにした。


「ふざけるな!」

「ふざけてねえよ。俺は決めたんだ、ミリアちゃんだけ連れていくってな」

「俺はーーーー」


 オルクスが喋り終えるのを待たず、楓矢は鞘に入ったままの聖剣をオルクスの目の前に振り下ろした。

 空を切る音が顔の前で止まり、鼻先に触れるかどうかの僅かな空間を残して止まる。


「全部言わないと駄目か? 昨日は成り行きでパーティ組んだのは組んだけど、もう決めたんだよ」


 その言葉に、オルクスは言葉を紡ぐ事が出来なかった。今の楓矢からは昨日までとは違う。そこには確かな圧力を含んだ凄みが存在していた。

 僅かな沈黙を挟み、楓矢は吐き捨てる様にオルクスに言葉を投げた。


「やっぱ俺、お前のことキライだわ」

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