第17話 鈴音(リンネ)エピローグ

 『食事処・酒処』

 そう書かれた看板を掲げた、木造の趣きのある建物。


「ナナさん! これはどこにしまえばいいですか?」

「あ! それはねえ、そこ! その右側の戸棚の二段目だよ!」

「はぁ~い!」


 正統派美少女とボーイッシュな美少女。タイプこそ違えど、いずれ劣らぬ容姿の二人が甲斐甲斐しく働いている。

 時折、優し気な視線を投げかけながら、帳簿に目を通している女将のノン。

 昼間は大衆食堂、夜は大衆酒場としてやっている、通称ノン酒場。今は鉄火場のような忙しさも落ち着き、昼の部を閉めて後片付けに精を出しているところだ。


「まったく、あの子はこの店をどうしたいんだろうねぇ……おかげでお客も増えたしいい事なんだけどさぁ」


 ある日、テンがいきなり連れて来たナナシという少女。そして数日前、ノンにも馴染みのあるスイカという女傭兵が連れて来たリンネという少女。聞けば、どちらもテンによって救われたクチらしい。その二人を受け入れているのがここの女将であるノンだ。

 そしてさらに、スイカまでもがこう言い放った。


「ねえ、ノンさぁ~ん? 私ぃ、アイツに捨てられちゃって~。この街を拠点にする事にしたのぉ~。それでぇ、ホール係兼、用心棒として雇ってくれないかしらぁ~?」


 それを聞いたノンは思わず苦笑したものだ。この店はいつから孤児院になったのかと。しかも若くて見目麗しい女ばかりの。

 しかしながら、自分も含めて全員がテンに恩義を感じている者ばかりだ。むしろ、テンがいなかったら今頃どんなみじめな思いをしていたか。

 だからノンは思う。ここにみんなが集まったのがテンが紡いだえにしならば、それを受け入れる事に否やはない。


「いいわよ? この店もかわいいコが増えたし、スケベな客も来るようになるでしょうしね。アナタに接客してもらえるなら安心だわねぇ」


 ノンはそう言って、一気に四人に増えた人員のシフトに頭を悩ませるのだった。


***


 夜の部の営業も終わり、片付けも終わった時間に、女四人が集まってお茶をすすりながら楽し気に会話をしていた。


「それで、テンはどうしたの?」


 この店にはスイカとリンネの二人だけで、テンは姿を現さなかった。テンのゆかりの人が来たと聞いて喜び勇んだのにも関わらず、テンがいなかった事でナナシは激しく落胆した。


「それが、途中の村で宿をとっている間にいなくなっちゃって……」

「そうよね! アイツ。そういうヤツだったわ!」


 そういうリンネも辛そうな表情に変わる。そしてナナシはぷんぷん怒り始めた。


「あんな朴念仁の事よりぃ~、みんなの勘違いの話、聞きたくなぁい~?」


 やや雰囲気が暗くなりかけたところで、すかさずスイカが話題を変える。そしてそれぞれテンとの出会いを思い出していた。

 大体は皆、胸を揉まれた、尻を掴まれた、くんかくんかされたなどのセクハラ行為だったが、一人だけ、周囲から羨望の眼差しを向けられた者がいる。


「何の力もない女が一人で生きて行くにはまだ厳しい時分でね。辛くて辛くて、一人でひっそりと泣いていたのさ。そこに現れたのが十四か十五くらいの赤髪のガキさ」


 そう言って、懐かしそうな目で話を続けるノン。


「あたしは流しの歌手だった。だけど行く店行く店でぼったくられたり夜の相手を強要されたり。ほとほと疲れ果てたあたしは絶望しちゃってねぇ。もう死のうかと思ってたのさ」


 ノンの語りに、みな固唾を飲んで続きを待つ。


「で、その赤髪のガキが言うのさ。『腹でも痛いのか?』って。あたしはその声の主の方を向いた。そしたら当然目が合う訳だよ」

「「「ゴクリ……」」」

「そしたらねぇ、そのガキが優しく抱きしめるんだよ。十も年上のあたしをさ。抱きしめて欲しそうな眼ををしてたって。そう言ってね」


 そこで一口お茶を口に含み、喉を潤してからノンは続けた。


「不思議と嫌な気持ちは無かった。あたしは人の優しさに飢えていたんだろうね。あいつに抱きしめられて、それまでのささくれ立った心が洗われていくようだったよ。不思議なガキだったねぇ……」

「ほわぁ……テンって昔はまともだったんですねえ……」


 いきなり胸を揉まれた自分とは雲泥の差だと言わんばかりのナナシだ。


「でも女将さん、歌は辞めちゃったんですか?」


 そんな質問をしたのはリンネだ。


「歌じゃ食べていけないからねぇ。で、テンはまだ十五かそこらのクセにいろんな所に伝手があってさ。この店を任されたのさ。その時にね、歌は捨てたんだよ」


 そしてノンは続ける。自分の本当の名前は歌音カノンだと。しかし歌を捨てた時に自分の名前にある歌の字も捨て、ノンと名乗るようになったと。


「そうだったんですかぁ。女将さん、また歌って下さいよ! ボク、女将さんの分までお店、頑張りますから!」

「そうですよノンさん! あたしにもお料理仕込んで下さい! ノンさんがお店で歌えばいいんです!」

「あんた達……」


 リンネとナナシの言葉に感極まったか、ノンはそっと目尻を拭う。


「例え大事なものを無くしても、生きてさえいりゃいつかいい事がある。あの時テンが言ってたよ。まったく、本当だったねぇ」


 ノンの話にみな感動している中、一人そっと挙手した者がいた。


「あのぅ……」


 挙手したのはリンネだ。全員の視線がリンネに集中する中、リンネがいかにも言い辛そうに口を開いた。


「もしかすると、一番おいしい思いをしたのはボクかもです。ボク、お姫様抱っこされちゃいました……」

「「「それは羨ましいわ!!」」」


 ……まだ誰も、テンへの想いを吐露してしまった事に気付いていない。玄関先ではマロ眉の仔犬が退屈そうにあくびをしていた。

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