第11話 鈴音(リンネ)②

「え!? 一緒に行ってくれるのか?」


 思いも寄らぬテンの言葉に、リンネは期待に顔を綻ばせる。しかし、テンの視線は相変わらず厳しいものだった。


「馬鹿言え。行くのは俺一人だ。ボクッ娘のお守りなんざしてられっか」

「なっ! ボクだって自分の身くらい自分で――ッ!?」


 テンの言葉に異議を唱えようとしたリンネ。しかし彼女は最後までその言葉を紡ぐ事は出来なかった。いつの間に抜刀したのか、リンネの鼻先には、テンの背中にあったはずのカタナの切っ先が突き付けられていたからだ。


「今のが見えたか?」


 テンの問いに、リンネは無言でフルフルと首を振る。


「そうか。ならやっぱり足手まといだ。大人しく留守番しとけ」


 容赦なしのテンの宣告にリンネは唇を噛み締めた。悔しさに涙が滲む。それでも、動きさえ追えなかった技量の持ち主であるテンの言葉には、納得するしかない。


「ふっ、ぐっ……分かった。父ちゃんを、おねがい、じまず……」


 そして、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を隠すように、リンネは深く頭を下げた。それを見たテンは、バツが悪そうにボリボリと頭を掻く。彼は左手から布切れを取り出し、リンネの顔に押し付けた。


「あー、折角の美人顔が台無しだ。それで顔拭いとけ。それからな、あの山には魔獣共が縄張りを広げてやがる」

「な!? 魔獣って、そんな……」


 美人顔と言われて一瞬緩みかけたリンネの表情が、すぐさま絶望に染まった。テンの言う事が本当であれば、恐らく自分の父親は生きてはいまい。いくら腕利きの猟師とはいえ、魔獣の縄張りに足を踏み入れて無事でいるとは思えなかった。

 それに何よりも、魔獣の縄張りが人間の生活圏内にまで及んで来ている事がおかしい。魔獣は野生の獣とは違い知能が発達している。つまり、人間と接触すれば争いに発展する事が分かっているため、人間とは意図的に距離を置いてコロニーを形成しているはずだ。


「さっきのカラスがな。見てきた・・・・んだよ」


 そんな『常識』を否定するテンの一言。そして左手に吸い込まれていったカラスを思い出してハッとするリンネ。


「親父さんの特徴とか、なんかあるか?」


 リンネには、テンの言葉は『父親の形見くらいは拾ってきてやる』と聞こえていた。だが、リンネはこれを非情とは思えなかった。

 テンは魔獣が蔓延る危険な山へと踏み入ろうとしている。下手な期待を抱かせない物言いは、かえってこの男の不器用な優しさではないかとすら思えてさえいた。


「鹿の角で作った、上等な弓を持っていた。この辺りじゃ父ちゃんしか持ってない」


 リンネは父の特徴となる所持品の中でも、もっとも分かりやすいであろう弓の事を話した。


「そうか。一応心には留めておく。ボクッ娘は村長の所へ行って村の防備を固めるよう言っとけ」

「ちょっ! アンタ一人で行くのかよ!?」


 言いたい事だけを言って立ち去ろうとするテンの袖をリンネが掴む。そして尚も続けた。


「それに……ボクが一人で村長の所へ行っても、きっと話なんか聞いちゃくれないし……」


 村長にならもう何度も父親を捜してくれるように頼んでいる。だが村長は動かない。リンネが行っても無駄だと思うのはそういう理由があった。

 それを聞いたテンはふむ、と顎に手をあてて少しだけ考える素振りを見せた。そして、自分の袖を掴んでいたリンネの手を取って、いつの間に取り出したのか、鳥の形をした紙きれを握らせた。そして、しっかりと彼女の目を見据えて言った。


「それ持って村長の所へ行くんだ。そしてこう言え。『掃除屋のテンからの伝言だ』ってな。その上で、その鳥を掌に乗せて見せるんだ」

「この紙ってさっきの……それに『掃除屋のテン』って?」

「テンは俺の名前みたいなモンだ。それじゃあな」


 式の鳥を受け取ったリンネは今一つ状況を飲み込めていないようだが、テンは構わずに山の方向へと駆けていった。


***


 山に向かったテンの背中を見送ったリンネは、村長の屋敷へと向かって走った。


「村長! 村長!!」


 ――ドンドンドン!

 

 リンネはかなり強めにドアを叩く。すると中から白い顎鬚を蓄えた老人が出て来た。リンネを見るその表情は苦々しく見える。


「なんじゃ? 山の事なら人は出さんぞ?」

「違う! その事じゃないんだよ! 山に、魔獣が縄張りを広げてきてるって! だから村の防備を固めないと!」


 村長はそんなリンネの言葉に一瞬目を剥く。しかしすぐに一笑に付した。


「ふん。バカを言うな。魔獣というものは人里に近付かんようにするものじゃ。こんな近くに縄張りを持つなんぞありえんわい」

「嘘じゃない! 『掃除屋のテン』がそう言ってたんだ!」


 リンネのその言葉に、村長の顔色が変わる。目は見開かれ、口は半開きのまま固まっており、こめかみからは脂汗が滲み出ていた。


(まさかこんな村に掃除屋がいる訳が……いや、ではなぜリンネのような小娘が裏社会の大物の名を知っておる?)


 村長は静かに思考を巡らせる。今しがたリンネが口にした名前の人物が本当にいたならば、ここはリンネに従う以外の選択肢はない。何しろ掃除屋のテンという男は、法外な報酬を要求するが、その仕事は確実なのだ。逆に報酬を渋った者の末路は口にする事すら躊躇われる。掃除屋のテンがそう言ったのならば、魔獣が縄張りを広げているのは事実なのだろう。


(しかし……本当に掃除屋と会ったというのか?)


 リンネはそんな村長の様子を見て、まだ自分を疑っているのだと察しを付ける。


「その、テンって人はね、背中にカタナを背負ってて、赤い長髪を後ろで縛ってた。で、目つきが悪くてすごい力持ち。そして不思議な力を持ってたよ」


 彼女はそう言って握っていた手を村長に向け、そっと手を開いた。


「!?」


 リンネの掌からは鳥の形をした紙きれがひらひらと舞い上がり、そして濡れ羽色のカラスとなって飛び去った。


「……式神か。どうやら間違いないようじゃな。分かった。村の若い者を集めよう」


 村長は、飛び去ったカラスを見ながら苦々し気に呟いた。


「さてさて、報酬はどうしたモンかのぉ……」

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