第1話「じつは義妹からクリスマスの話題を振られまして……」(2)

       * * *


 有栖南駅から電車で揺られて十分のところに結城学園前駅がある。

 ここから学校まで徒歩五分ほどの道があるのだが、そこでおおよそ登校時間が同じ上田うえだ兄妹きょうだいと出会う。

 今朝も二人の後ろ姿を見つけた——が、やはり俺は緊張して声をかけるのを躊躇ためらった。

 ——というのも、最近上田兄妹の様子がおかしい。

 今朝も後ろから見ていてなんとなく二人の並んで歩く間隔が広く感じられた。

 二人のあいだになにかあったわけではないと俺は光惺から聞いていたし、晶もひなたからそう聞いたらしいが、明らかに様子がおかしいことには俺も晶も気付いていた。

 そして——どうやら今回は俺も関係しているかもしれない……。

 躊躇いつつも、いつもよりおどけた調子で声をかけてみることにした。

「よっ! 王子様! ご機嫌きげんうるわしゅ〜!」

「は?」

 不機嫌そうに光惺が振り向く。

「いや、俺様だったか? それとも王子様の自覚あるのか、光惺?」

「うっざ……」

 我ながらなかなかうざい絡みをしたものだと思ったが、光惺がいつも通りの反応をしてくれて安心する。こいつは本当に不機嫌だとなにも反応してくれなくなるのだ。

「お兄ちゃんが王子様って呼ばれて反応するからでしょ?」

 ひなたがくすりと笑うと、光惺は「うっせぇ」と不機嫌そうに返した。

 そのやりとりのあと、晶がひなたの側に寄っていった。

「おはよう、ひなたちゃん!」

「晶、おはよう。——あ、昨日のLIMEありがとう!」

「昨日のあの動画、面白かった?」

「うん! お部屋で一人で笑っちゃった〜♪」

 この二人の様子も相変わらず仲が良さそうでほっとする。

 ここまではいつものような俺たちのやりとり……が、問題はこの先だ——

「あの、ひなたちゃん……」

「りょ⁉︎ ……涼太りょうた先輩、おはようございます」

 俺が直接話しかけるといきなりひなたの顔が真っ赤になった。

「あ、うん。おはよう……」

「け、今朝はいつもより寒いですね〜……」

「そうだね。雪、降るかも……」

「そうですね……降るかもですね……あははは……」

 それ以上会話が広がらず、ひなたは苦笑いのまま俺から顔を逸らした。

 ——とまあこんな感じで。

 家族旅行から帰ってきてからひなたは急に俺への態度を変えた。

 会話をしていても上の空だったり、落ち着きがなかったり、いきなり顔を真っ赤にしたと思ったら今度は暗くなったり、泣きそうになったりと、なぜかぎこちない状況が続いている。

 端的に言えば——距離を置かれている、のか……?

 前までは肩が触れても特に気にせず笑いかけてきてくれたひなたが、今は晶や光惺、あるいは演劇部の部員の誰かをあいだに挟んで俺と話すようになった。

 ——俺、なんかひなたちゃんにしたっけ……?

 特に嫌われるようなこともしていないはず。たまたまそういう時期なのか、あるいは本当に俺がなにかやらかして気づけていないだけなのか……。

 どちらにしろ、俺とひなたとの関係に問題が生じているのは確かなのに、俺はどうしていいのかわからず手詰まり状態だった。

 晶とひなたが少し先に行ったので、改めて光惺にいてみることにする。

「……あのさ、光惺。ひなたちゃんなんだけど、やっぱなんかあった……?」

「ん?」

「最近、距離を置かれてる気がしてさ……」

「ふ〜ん」

 光惺は俺に目もくれず、ただ怠そうに前を向いて歩いている。俺は構わずに続けた。

「俺、ひなたちゃんになんかしたかな……?」

「ひなたに直接訊けよ」

「訊いたら教えてくれるかな?」

「さあ? あいつバカだから……」

 光惺は怠そうに頭を掻いて、一つため息をついた。

「とにかくそんなに気になるなら直接ひなたに訊いてみろよ?」

 光惺はそれ以上なにも言わず、俺も深く掘って訊くことはしなかった。

 ただ、ひなたとの今の関係は、ちょっとというか、だいぶモヤモヤする……。


       * * *


 廊下と教室の寒暖差が激しい。

 俺と光惺がすっかり暖かくなっている教室に入ると、すでに半分以上の生徒が登校していてがやがやとなにかを話している。

 俺は鞄を机に置いてコートを脱いだあと、スマホを弄る光惺に話しかけた。

「なあ光惺、今年のクリスマスのことなんだけど……」

「ん? ああ、あれ?」

 あれ——今朝晶にも話した、上田家のクリスマスパーティーのこと。

 上田家のご両親も年末年始は忙しく、例年は俺たち三人だけでクリスマスを祝っていた。

 たぶんうちの事情を知っている上田兄妹が、な俺に気を使って毎年企画してくれたのだろう。

 ただ、今年からは事情が違うので二人に気を使わせる必要もなくなる。

「今年も計画してくれてるのか?」

「まだひなたと話してねぇけど、やるだろうな」

「そのことなんだけど、悪い。俺、今年は家族で過ごすんだ」

 今までの感謝の気持ちを素直に伝えると、光惺は少し不機嫌になった。

「今年は入れて四人じゃないのか?」

「そうなんだ、悪いな……。それと、今まで準備してもらったり気を使ってもらってありがとな?」

「べつに、気なんて使ってねぇけど……」

「でも、プレゼントとか準備とかいろいろやってもらってただろ?」

「ひなたがやりたがってただけだ」

「そっか、ひなたちゃんが……」

 ただ、今の俺とひなたの関係を見たときに今年はどうか……。

 ひなたの様子を見ていると、今年はやりたくなさそうな感じもする。

「つーか、家族で過ごすって、チンチクリンとだろ?」

「あ、晶も家族だって……」

「ふ〜ん」

 このなにかを見透かしたような光惺の目が俺は苦手だ。

 以前、光惺から晶に惹かれているのではないかとつつかれた手前、今の俺と晶の関係を伝えていないのはなんだか心苦しい。嘘はついていないが本当のことは話していない——たぶん俺が光惺の立場でも釈然としないだろう。

 もしかすると、とっくに俺と晶の関係に気づいているのかもしれないが……。

「ま、俺はどっちでもいいけど、ひなたはどうすんの? お前がうちに来んの、毎年楽しみにしてんだぞ?」

「そうなのか……?」

「そりゃ俺と二人じゃ味気ないからな」

「そんなことないだろ? ひなたちゃん、お前のこといつも——」

「お前さ、ひなたのことどう思ってんの?」

 と、光惺がぴしゃりと遮った。

「どうって、なんだよいきなり……」

 ひなたは光惺の妹で、彼女が小学六年生のときから知っている。

 素直で愛想も良く、前向きで努力家。性格だけでなく見た目も可愛くて、俺と同じ演劇部で——と、そういうことを光惺は訊いているわけではなさそうだ……。

 俺が返答に困っていると、光惺は怠そうに頭を掻いた。

「断るならそれもひなたに言え」

「ああ、わかった……」

 とはいえ、今のひなたに直接話しかけるのはなんだか気が引ける、と——

「そういや、期末テスト近いな?」

 光惺がいきなり話題を変えた。

 脈絡がなさすぎて一瞬ポカンとしてしまったが、

「あ、ああ、そうだな……。近いな……」

 と、慌てて話を合わせた。

「お前、バイトばっかで勉強してないだろ?」

「そっちこそ、家じゃチンチクリンとだらだらしてるんだろ?」

 図星を突かれてぐうの音も出ない。

 今回の数学はかなり厳しいというのに、俺ときたら晶とだらだら漫画を読んだりゲームをして現実逃避に勤しんでいた。正直、今も授業についていけているのか微妙……。

 俺は自分に厳しいタイプだからギリギリまでなにもしない——などと言ってられる状況ではなくなってきたのかもしれないな……。

「光惺、今回は数学がガチ鬼門だ。このままじゃガチでヤバい!」

「お前でもヤバいの?」

「ああ、もうはっきり言って宇宙人と交信するレベル……」

「マジかよ……」

 俺と光惺が軽く自業自得の絶望を味わっていたら、


「——もしかして期末テストの話?」


 と、クラスメイトの星野ほしの千夏ちかが明るく話しかけてきた。

 明るくて真面目。交友関係は広く、リア充のたちのグループにいる女子。

 花音かのんさいでは実行委員を務め、クラスの模擬店のコスプレ喫茶では俺と光惺に王子様の衣装を用意した人だ。

 まあ、王子様の衣装についていろいろ思うところはあるのだが、そのおかげで俺も光惺も「ロミオとジュリエット」の舞台に上がることができたので、ある意味では恩人である。

 ちなみに星野は花音祭の後夜祭で光惺に告白するつもりでいた。

 ところが、ひなたの事故の件があってうやむやに終わり、その後も星野は気持ちを伝えられていないらしい。

 正直言って『脈なし』なのだが、そのことは星野もわかっている。わかっていて告白の機会を窺っている——そんな健気な星野に、俺は少なからず好感を抱いていた。

 ただ、直接光惺に関わろうとしても鬱陶うつとうしがられるため、最近では今のように俺と光惺が一緒にいるときに話しかけてくるようになった。

 そういうわけで、俺は空気を読んでなるべく黙るようにしている……。

「そういえば上田くんと真嶋くんって、テスト前いつも二人で勉強してるよね?」

「べつに。なんとなく」

「真嶋くんと中学からずっと同じクラスなんだよね?」

「ただの腐れ縁。うちの妹がこいつを気に入ってるだけ」

「へ、へ〜……。その割には上田くんと真嶋くん、仲良さそうだけど……」

「気のせいじゃね?」

 ——この金髪イケメン野郎、泣きそうだぞっ! 星野も俺もっ!

「でもいいなぁそういうのっ! わ、私も一緒に勉強したいなぁ〜……なんて、あははは、はは——」

 乾いた笑いとともに星野がチラッと俺の顔を見てきた。

 流れ的には、まあ、そういうことなのだろう……。

「ああ、うん! 俺も光惺も数学が苦手だから、、教えてくれたら嬉しいな〜……なんて、ははっ、ははは……——」

 ——さあ星野、ここで数学が得意だって言えば——

「あ、数学は私もヤバいかも……」

 ——って、オイ! 正直すぎるだろっ!

「ほ、星野さんも良かったら一緒にどう⁉︎ ほら、勉強会っていうの⁉︎ そういうの楽しくできていいんじゃないかなっ⁉︎」

「え、いいのっ⁉︎ それ楽しそう!」

「なあ、光惺もいいよなっ⁉︎」

 俺と星野はわずかな希望を込めて光惺を見たが、

「だったらお前ら二人でやれよ。俺は邪魔しねぇから」

 と、俺たちの希望は呆気なく消え去った。

 俺と星野はモアイ像のようにずーんとした顔になって見つめ合う。

 ——光惺、そういうことじゃなくて……。ついでに傷つけられる俺の身にもなれ……。

 しかし、星野も悪いところがある。

 なにかしらイベントにかこつけて告白を狙う節があって、なかなか先に進まない。

 花音祭のあと「ハロウィンパーティーやらない?」と光惺に提案した際には「だるい」の一言で一蹴されていた。……光惺的にはコスプレにうんざりだったのかもしれないが。

 だから鈍感扱いされる俺でも、さすがに星野の思惑に気づく。今回は期末テストを通じて光惺との関係を深め、そのあとのクリスマスに狙いを定めているのだろう。

 ——すっと呼び出してさっと告白を済ませればいいのに……。

 イベントでの告白は成功率が上がるという統計でもあるのだろうか?

 まあ、付き合い始めた日はカップルにとって新たな記念日になるのだろうから、なにかしらそういうイベントにかこつけたがる理由もわからないくないが——と、そんなことをしょっぱい顔で考えていたら、しばらくのあいだモアイ像だった星野が、

「あ、そうだ!」

 と、起死回生の一手を見出したかのごとく窓のほうを向いた。

結菜ゆいなっ!」

 星野が向いた先、窓際の席の女子がおもむろにイヤホンを外し、涼しげな視線をこちらに向けた。


「——なに?」


 気怠そうな、それでいてよく通る綺麗な声が、騒がしい教室のあいだを縫って聞こえてくる。

 彼女は月森つきもり結菜。

 一学期に隣の席だったこともあって二、三度言葉を交わしたことがある人だ。

 月森はわざわざ席から立ってこちらに向かってきた。

 すらりとした長身の後ろで、しなやかな長い黒髪が左右に揺れる。

 スタイル抜群で、気怠そうな歩き方が少し色っぽくも見え、同い年といえども大人びた印象を受ける。切れ長のきりりとした目も彼女を美人な雰囲気に印象づけていた。

 ただ、俺はちょっとだけ月森が苦手だったりする。

 例えば、星野と話しているときも——

「じつは次の期末テストの数学、ちょっとマズくってさ〜」

「それで?」

「ほら、結菜、理数得意じゃん?」

「べつに、得意ってほどじゃないよ」

「まったまた謙遜しちゃって〜。こないだの中間良かったじゃん?」

「あれはたまたま」

「一学期もそう言ってなかったっけ?」

「あれもたまたま」

 ——とまあ、こんなふうに。

 とても綺麗な顔と声をしているのに、この淡々とした口調でどこか冷めた感じで聞こえてくる。

 お高くとまっているわけでもなく、不機嫌などでもなく、これが月森の基本姿勢。

 とにかく愛想がなくて、このどことなく漂うミステリアスな雰囲気——だから俺は彼女のことが苦手なのだ。うちの義妹がわかりやすいやつで助かる……。

「それでね、結菜に理数を教えてもらいたくって〜1 上田くんと真嶋くんと一緒に勉強会やらない?」

 月森は俺と光惺の顔を左右に見た。

 目が合うと、長い睫毛の下の黒い瞳が宝石のように微かに光った。じっと見つめられると不思議とその黒目の底に吸い込まれそうになり、俺は慌てて目線を外す。

 月森は星野のほうを向くと、目を閉じて「はぁ〜」とため息をついた。

「……わかった」

「やったぁ! ありがと結菜! 助かるよ〜」

「いいって。それよりも離れて」

「結菜、大好き〜」

「はいはい……」

 目の前で繰り広げられる美少女同士の友情(?)を横目に、俺はやれやれとしながら光惺を見る。光惺も月森と同じようにため息をついて、

「授業始まるぞ……」

 と、こいつには一番似合わないセリフをはいた。


 ——と、あくまでここまでは前兆にすぎない。

 日常に少しずつ変化があった俺たち。気になることはあっても、けっきょくはいつも通りに授業を受け、少し先のクリスマスに向けてちょっとだけ期待に胸を膨らませていた。

 そして『まさかまさかの出来事』が起きるのは、この日の放課後のことである——

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