第1話「じつは義妹からクリスマスの話題を振られまして……」(1)

 十二月三日金曜日。

 カレンダーが替わり、いよいよ今年最後の月になって三日が経過していた。

 七月に親父おやじが再婚してからというもの、義理の弟だと思っていたあきら義妹いもうとだったと発覚し、花音かのんさいでロミオがジュリエットになり、家族旅行で遭難しかけ、まさかまさかと言っているうちにいつの間にか今年が終わろうとしている。

 終業式まであと三週間。学校に行くのもあと十五日。そのあとはいよいよ冬休み。

 だから俺も晶も、少しだけ気が抜けていた感は否めない。

 ただ、先に断っておくと、この日も『まさかまさかの出来事』が起こる——


 この日、俺と晶がいつものように一緒に家を出て学校に向かって歩いていると、不意に晶が俺の腕をとり「そういえば」と口を開いて弾むような笑顔を見せた。

「もうすぐクリスマスだね、兄貴」

「そうだな。イブに終業式があって、クリスマスから冬休みだ。……ま、その前に期末テストがあるんだけどな?」

「もう、なんでテンション下がること言うかな〜?」

「すまんすまん、念のため。一年生にとったら——」

「大事なテストだってことくらいわかってるって。——あっ! あれ見て!」

 急に晶が指差したほうを見る。

「ああ、あれか。あれが始まるといよいよクリスマスって気分になるな〜」

 住宅街の一角、ここ数年で新しく建てられた家々にクリスマスの装飾が施されていた。

 凝ったところだとイルミネーションライトのほかにも、屋根の上にサンタの模型があったり、庭にトナカイを模して作った電飾などを置いたりしている。

 おそらく小さい子供がいる家々が、こぞってか競ってか、ああいう風に家全体にクリスマスデコレーションをして子供を楽しませているのだろう。

「ああいうのいいな〜。うち、前までアパートだったからああいうの憧れるんだ〜」

「へぇ〜、出不精なのに屋外の飾りにも興味あるのか?」

「むぅ〜! それとこれとは話がべつだし!」

 晶は「もう」と言ってぷっくり頬を膨らませたが、またすぐに明るい顔になる。

「ねえねえ、毎年真嶋まじま家のクリスマスはどんな感じなの?」

「ん? うちは昔っからうちん中にツリーを飾るくらいだな——」

 映画美術の仕事をやっている親父は年末が特に忙しい。

 撮影スケジュールが押している作品があると(だいたい押すらしいが……)、年末に怒涛どとうの徹夜ラッシュが続くそうで、撮影所の近くや会社に泊まり込む日がやたら増える。

 それでも親父は俺をないがしろにはしなかった。

「小学生のときは学校から帰るとツリーが飾られていて、親父がケーキとプレゼントを用意してくれたんだ」

「さすが親父だね。中学からは?」

「親父の仕事がもっと忙しくなってさ……。でも、代わりに光惺こうせいやひなたちゃんと仲良くなったから、それからは三人で一緒にクリスマスを過ごすようになったんだ」

 それまで親父は父親らしいことをしようと、俺のために必死に時間をつくってくれていたのかもしれない——と、晶に真嶋家のクリスマス事情を説明しながら思った。

富永とみなが家もそんな感じかな〜。母さん、年末年始は忙しいから——」

 メイクアップアーティストである美由貴みゆきさんもまた年末年始は繁忙期というやつで、テレビの特番での仕事が一気に増えるそうだ。

 当然クリスマスは元旦にいで超ハードモード。

 着物の着付けがないだけマシなのだそうだが、早朝から深夜まで立ち仕事の上に現場から現場へのは聞いているだけで大変そうだ。

「だからね、富永家のクリスマスはいつも二十六日だったんだ。ボクシング・デーってやつ? シュッシュ! ——って、そっちのボクシングじゃないか」

 と、晶は一人でボケてツッコんだ。

 ちなみにボクシング・デーとは、もともとクリスマスも仕事をしなければならなかった使用人や郵便配達員のための休日で、彼らにも箱(ボックス)に入れた贈り物が渡されたことに由来するとか……まあ、諸説いろいろあるらしい。

 とりあえず、面白いというより、なるほどというより、いちいちシャドーボクシングをしてみせる仕草しぐさ可愛かわいい。

「それにね、母さんがいない二十五日はお父さんと出かけてたんだ。遊園地でしょ、ショッピングモールに、ゲームセンター。だから僕にはクリスマスが二日あったんだ」

 それを聞いていたく安心した。

 美由貴さんからも、離れて暮らす実父のたけるさんからも、二人からの愛情はきちんと晶に伝わっていたということだろう。

 晶がクリスマスの話題でこれほどテンションが高いのは、それが素敵な思い出であることに他ならない。素敵な思い出のようで本当に良かったと思う。

「それで、兄貴はあんな感じのイルミネーションとか憧れたりしないの?」

 と、晶は話を戻した。

「僕はああいうキラキラしたのに憧れるなぁ〜」

「いやいや、ああいうのはまず準備が大変だ。片付けも。あと電気代もだいぶかかりそう。クリスマスが終わったらすぐに撤収しないと大晦日おおみそかと正月がくるしな〜」

 真面目な顔でそう言うと、晶は輝きを失った目で俺を見つめてくる。

「あのさ、兄貴……。ロマンって言葉知ってる? いちおう言っておくと食べ物じゃないよ?」

「栗のことじゃないのか?」

「だからね、それ……」

 やれやれと晶がついたため息はいつもより白く濁った。

 ここ最近で今朝は特に寒い。歩いているうちに晶の鼻が赤くなってきた。色白だから余計にそう見えるのかもしれないが、なんだかトナカイやピエロのようで可愛らしい。

「兄貴、なんでニヤニヤしてるの?」

「晶の顔が可愛くて」

「ふぇっ⁉︎ なんで⁉︎」

「鼻、だぞ?」

 晶は慌てて鼻を押さえたが、みるみるうちに顔全体が赤く染まっていく。

「み、見ないでよ! 寒いとどうしてもこうなっちゃうのっ!」

「可愛いぞ、ほんと」

「そういう可愛さは要らないのっ! もう、兄貴のバカバカっ!」

 むくれてそっぽを向くところもあどけなくて可愛らしい。

 最近は晶のこういう反応を見たいがために、ちょっとだけ意地悪なことを言ってしまうあたり、俺も少しずつ兄としての余裕が出てきたのかもしれない。


       * * *


 少し早めに有栖ありすみなみ駅に着いた。

 駅の周辺や街路樹にイルミネーションライトが施されているのを見ながら、

「早くクリスマスにならないかな〜」

 と、晶が俺の肩に頭を預け、いでなにかを期待しているように目をパチクリさせながら俺を見つめてくる。……プレゼントの催促だろうか?

 一瞬その愛くるしさに胸が高鳴ってしまったが、俺はすぐに改札のほうを向き、

「晶、腕。駅だから」

 と、腕をほどくように言った。

「今日はこのまま登校しちゃう?」

「しちゃわない」

「からのぉ〜……?」

「だからしちゃわないって……」

 冗談だとわかっているが、ただでさえ学校では『規格外のシスコン』呼ばわりされる俺だ。妹と腕を組んで登校した日にはなにを言われるかわからない。

 特に西山、あと西山、さらに西山あたりがうるさい。ついでに言うと、西山がうるさくない日はない。あと俺はシスコンではなく『兄バカ』だ。

「兄貴ぃ〜、顔、真っ赤っ赤だよ〜?」

「おい、さっきの仕返しのつもりか?」

 晶はにしししと笑うと絡めた腕を解いて、代わりに俺の手を握ってくる。

「兄貴の手、あったかい。手があったかい人って心もあったかいんだよね?」

「それ言うなら、手が冷たい人は心が温かいだろ?」

 感情豊かな人は手が冷たいという説を聞いたことがある。

 感情が大きく動くために緊張して手に汗をかき、手の表面温度はかえって冷たくなるらしい——と、テレビでかじった程度の知識を口にすると、晶は顔を真っ赤にして握っていた手をぱっと離した。

「僕、そんなに手汗ひどいのっ⁉」

「いや、それは感じたことないけどな?」

「ぜ、ぜんぜん気づかなかった! 今までベタベタだったのかな……? ——ふーっ、ふーっ……」

 と、晶は焦りながら手に息を吹きかけている。

「それ、なにしてるんだ?」

「乾かしてるの! ——ふーっ、ふーーーっ……」

「必要ないって。ほら——」

 晶の右手を取り、そのまま俺のコートの左ポケットに招く——が、しまった……。

 晶に握らせようとしたカイロは右ポケットだったが……まあこれはこれで、いっか。

 晶は顔を真っ赤にしながら目を大きく見開いた。

「え? これ、僕の手、兄貴のポケットの中……」

「冷やしたら、勉強に支障が出るだろ……?」

「う、うん……」

 俺は自分からやっておきながら照れ臭くなってそっぽを向いたが、晶はからかってこなかった。なにも言わず、ただポケットの内側でにぎにぎと俺の手を握り返してくる。

 そのうち左腕を俺の背中に回すと、そのまま俺の心音を聞くように胸にぴたりと耳を当ててきた。

「どうした? 充電か?」

「ううん……」

 晶はポケットから右手を抜くと、そのまま俺の背中に右腕を回す。

 これで俺は完全に抱きつかれるかっこうになった。

「これは大好きのハグ」

「ド直球だな……」

「兄貴は人をいきなりキュンってさせるくせに鈍感だからね〜」

 人通りがあって照れ臭いし、コートの上から抱きつかれるとごわごわするが、不思議と嫌な気分にならない。むしろ、このままずっとこうしていたい気分になる。

 俺の体感温度が寒いから温かいに、温かいから少し暑いに変わったころ、ふと晶が口を開いた。

「僕ね、冬は寒いから嫌いだったんだ。でもね、今年の冬は好き。こんな感じで兄貴との距離がぐっと近づいて、あったかい冬になりそうだから」

「それ、雑誌かなんかの星占いか?」

「ううん、僕の希望、願望、野望、欲望」

「最後の二つ、いろいろぶち壊しだけど一緒にしちゃっていいの?」

「突き詰めたらみんな同じことだもん」

 晶が顔を上げて少年のような無邪気な笑顔になる。

「ってことで、兄貴は僕がいただくぜっ!」

「おいおい、俺はお宝かよ……」

 なんとなくおかしくて二人でくすりと笑った。

 ただ、こうしているあいだにも電車の時刻が差し迫っていた。

「晶、そろそろホームに——」

「えと、もうちょっとこうしてたい……」

「ほら、電車も来るし」

「もうちょっとだけ……」

 抱きつかれてからが長い——ここ最近の晶の変化で、それが一番気になっていた。

 明け方目が覚めると必ず俺の布団に潜り込んでいるし、「起きろと」と言っても「もうちょっと」と返される。

 寒いのもあってになるのはわかるが、その「もうちょっと」がやけに長いのだ。

 なかなか離してもらえないし、どうしていいのかわからず戸惑ってしまう。『秒』ではなく『分』……そのうち『時間』になるのではないかとも思ってしまう。

 とにかくひっつき虫の甘えん坊さんなのである。

 もう一度「離してくれ」と言ったが、晶は逆に腕に力を込め、俺の胸にぐりぐりと頭を押し付けてきた。少しだけ痛い。

「……兄貴はね、あの山でこうして僕を二時間もあっためてくれてたんだよ? だからね、今度は、僕がこうして兄貴をあっためる番」

 なるほど、そういうことか……。

「この前の家族旅行のこと、まだ気にしてるのか?」

「うん。気にしてる」

「もう気にしなくていいって言ったろ?」

「するよ。一生する。しなかったらただの恩知らずになっちゃうから……」

 最近晶の甘えん坊に拍車がかかっていると思ったら、どうやらこれは恩返しのつもりだったらしい。

 先月の家族旅行で俺と晶は命からがらの目に遭い、なんとかこうして帰ってこられた。ようやく普通の日常に戻ったかと思ったらまだ余波が残っていたようだ。

「逆に俺も助けてもらったわけだし、おあいこだって」

「でも、こうしてないと、兄貴、どっかに行っちゃうもん……」

「行かない。俺はここにいるぞー?」

 聞き分けのない子に言い聞かせるようにしてそっと頭を撫でてやると、ようやく安心したのか腕の力を緩め始めた。

「どこかに行っちゃだからね……。宿題まだ終わってないし。兄貴、忘れてない?」

「もちろん、忘れてないよ」

 宿題とは『藤見之崎ふじみのさき温泉郷おんせんきょう』の一角、古い石畳の道で急に出されたあれ——


『——ハッピーエンドしか勝たん! ってことで、兄貴がその女の子が幸せになる物語の続きを考えてみてよ』


 ——晶がつくった物語に登場する「女の子」がハッピーエンドを迎えるまでの続きを考えること。その「女の子」というのは、たぶんというか晶のこと。

 最終的に「王子様」と結ばれる結末にしたいらしい。

 王子様とは——いや、それはいいとして、どうにも俺にはそこまでの道筋を考えるのが難しい気がしてならなかった。

 そこで俺が晶に頼んだのは、物語の続きを一緒に考えてほしいということ。

 言い換えれば、晶がハッピーエンドを迎えるまで俺がそばにいるということだ。

 晶はそれで納得したようだったが、俺としては具体的にどんな物語を描いたら晶が満足するのかわからない。とりあえず、こうして晶との日々を過ごしているだけ。

 ただ、なにも考えなしというわけではない。

 クリスマスの話題が出たことだし、少し前から考えていたことを伝えておくか。

「宿題の物語の続き、クリスマスにしようか?」

 晶は「え?」と驚いたように口を開いた。

「そういうイベントがあったほうが物語が面白くなるだろ?」

「でも、いつもは光惺とひなたちゃんと三人で過ごすんでしょ?」

「今年は家族で過ごそう。あ、でも、親父と美由貴さんは仕事でいないからけっきょく俺たちだけなんだけど——」

「嬉しい」

 と、俺が言い終わる前に晶が口を開いた。

「僕の宿題、物語の続き、考えてくれてたんだね? しかもクリスマスイベントとはなかなかロマンチックじゃないか?」

「ま、まあな……」

「ありがとう兄貴! もう、ほんと大好きすぎっ! 愛してるぜ〜〜っ!」

 晶はひときわ強く抱きついてくると「う〜」や「あ〜」などと嬉しそうな声を出す。

 喜んでもらえて俺も嬉しいが、やはり人通りの中で愛を叫ばれると恥ずかしい……。

 往来でなにやってるんだか——と、そこでカンカンカンと踏切の音が聞こえてきた。

「晶、電車が着くぞ。行かないと——」

「じゃあ改札までお姫様抱っこしてくれる?」

「なんで⁉︎」

「兄貴は僕の王子様だから♪」

「……自分の足で歩きなさい。あと、さすがに王子様はやめてくれ……」

 俺はせいぜい村人Aくらいの立ち位置で、さらっと平気で妹をお姫様抱っこする王子様ならもうすでに知っている。

 今日もその王子様といもうとぎみに会うかもしれないのだが——俺はそのことを考えるとべつの意味で緊張してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る