第5話 急転

◎現在判明しているルール

1:あなたたちの中に1匹、狼が紛れ込んでいる。狼に噛まれた場合、あなたは死亡する。

2:制限時間以内にこの建物から脱出できなかった場合、あなたは死亡する。

3:建物から出る方法は2つ。正しい鍵を見つけるか、狼を死亡させるか。その他の方法で出た場合、あなたは死亡する。 



 鮮やかな南国の海を写し取ったかのような、やや緑がかった青色で満たされた小部屋。

 そこから伸びる通路に広がった赤い血溜まりが、強いコントラストを印象づけていた。

 血溜まりの真ん中には、首のない死体。

 通路の壁にもたれて、音もなくそこに佇んでいる。


「な、なんで……?」


 口の中がカラカラになり、雅史はそれ以上の言葉が出せなかった。

 何がなんだか、わけがわからない。

 この短時間で、死体を見るのは2度目になる。

 それも、どちらも首から上が失われているという、異常な事態だ。

 こみ上げる吐き気をこらえながら、雅史は後ろを振り向いた。

 すぐ隣には、しゃがみこんで震える女子高生がいる。

 少し離れた位置には、スーツの青年とギャル系女子が並んで立っていた。


(こいつ……知ってて連れてきやがったのか……。)


 涼しい顔でこちらを見るスーツの青年の様子に、雅史はそれを確信した。

 この青年は、この死体がここにあることを知っていたのだ。

 その上で、あえて黙って雅史たちを連れてきたに違いない。

 ここまでの道中、2人の会話に感じた違和感の正体はこの事だったのだ。

 ギャル系女子が気まずそうな表情をしていることから、彼女は青年から口止めでもされていたのだろう。

 つまり、この騙し討ちの主犯はスーツの青年に違いない。


「どういうことですか、これ……?」


 怒りと恐怖の半々で声を震わせながら、青年を問い詰める。

 青年はしかし、悪びれる様子もなく肩をすくめた。


「どういうことかってのは、こっちが聞きたいくらいでね。」


 青年は首無し死体へ一瞥をくれると、雅史の横を通り過ぎ、平然と通路へ足を踏み入れた。

 ギャル系女子は死体を目にしたくないらしく、その場を動こうとはしなかった。


「君が向こうの死体を見つけて悲鳴をあげる少し前に、僕らもこっちの死体を見つけていたんだ。僕らがここに来たときには、既にこの状態だった。分かってるのはそれだけだ。」


 青年が淡々と経緯を告げる。その説明に、特に疑わしい点は無いように思えた。

 だが問題なのは、それをここに至るまで黙っていた理由だ。

 納得の行く理由を聞けなければ、青年に対する不信感は募るばかりだった。


「どうして先に言っておいてくれなかったんですか?」


 雅史は青年を睨みつけた。

 青年はと言えば、雅史の視線なぞどこ吹く風といった調子だった。


「君たちがどういう反応をするか、確認しておきたくてね。この無惨な死体をよく見てくれ。何か、気づいた点はないかな?」


 何でもないことのように、青年は死体を見るよう促してきた。

 こんな不意打ちをくらわせておいて、まだそんなことをさせようという青年の神経が分からない。

 この男は一体何を考えているんだ?

 青年の言動に得体の知れなさを感じて、雅史は若干心が折れそうになった。

 自分1人でこの青年を問い詰められる気が全くせず、助けを求めて女子高生の方を伺う。

 しかし当の女子高生はといえば、しゃがみこんだまま顔を覆ってしまっていて、とてもそれどころではなさそうだった。


(くそ……。ムカつくけど、ここは逆らわないでおくか……。)


 青年の言いなりになるのは腹が立つが、ここは大人しく指示に従うことにした。

 自分でも情けなくなる程気弱な選択だが、喧嘩などしたこともない草食系の雅史にはこれが限界だった。

 死体に近づくため、嫌々ながら通路に足を踏み入れる雅史。

 じっとこちらを見つめる青年の視線を感じながら、覚悟を決めて死体に目を向けた。


(うう、2度目だろうが、キッツイわこりゃ……。)


 吐き気をこらえながら、どうにか目の焦点を合わせていく。

 辛い作業ではあったが、改めて冷静に見てみると何点か気づいたことがあった。

 まず、2つの死体は共通点として首が胴から離れてしまっているという点があるが、こちらの場合頭部が近くに見当たらなかった。

 また、この死体の傷口は妙に乱雑と言うか、不規則にギザギザしていて無理に引きちぎったような跡をしていた。

 作業着の男の方はもっと直線的というか、鋭利な刃物でスパッと切ったような傷口だった気がする。

 もっとも、1度目の時はほぼ直視出来ていないので、あまり記憶に自信はないのだが。

 この違いが、何を意味するのかは分からない。

 あまり意味は無いのかもしれない。

 それよりも、次に気付いたことの方がよほど重要だと思えた。

 それは、この死体が一体誰なのかということだった。


(この服、はっきりとは覚えてないけど、多分そうだ……。)


 死体が着ていたのは、派手な柄をした黄色地のアロハシャツだった。

 こんな服を着ていたのは、あのチンピラ風の男だけだ。

 首から上が失われてしまっているため確認はできないが、おそらくこの死体はあの男なのだ。


「これ、あのチンピラっぽい人ですよね。」


 スーツの青年に向き直り、問いただす。

 青年はといえば、そんな当たり前のことを聞くなとばかりにため息をついた。


「まぁ、そうだろうね。顔がわからないから、絶対にそうとは言い切れないけど。ただ、この死体があのチンピラだとすると、1つ問題が出てくるんだけどわかるかい?」

「え?」


 その口調があまりに平静だったので、青年の言いたいことが何なのか、雅史には測りかねた。

 だから、青年が次に起こす行動も、予期することが出来なかった。


「うぐっ!」


 何の前触れもなく、スーツの青年は雅史のみぞおちへ強烈な蹴りを放った。

 とっさに防ぐことも出来ず、雅史はくの字に折れながら後ろに倒れ込んだ。


「きゃあ!」


 倒れ込む雅史の頭上で、女子高生の短い悲鳴が聞こえる。

 だが雅史は起き上がれず、激痛の走る腹を抱えてうずくまることしか出来なかった。

 息を吸い込んでもヒュウヒュウと吐息が漏れてしまい、うまく呼吸することさえ出来ない有様だった。


「ちょっと!なにやってんだよ!」

「いいから黙ってろ!」


 何やら言い争う声が聞こえる。

 息が出来ないまま苦痛に耐える雅史の視界の端に、スーツの青年とギャル系女子が口論する様子が見えた。

 スーツの青年は何かを掴んでいる。

 よく見るとそれは、女子高生の髪だった。

 青年の足元には、髪を掴まれてひざまずく女子高生の姿があった。


「どいてろボケがっ!」

「いった!」


 スーツの青年がギャル系女子を蹴飛ばした。

 ギャル系女子は背後に飛ばされ、尻もちをついた。


「ってえな!てめ、何すんだよ!」


 ギャル系女子が語気荒く青年を咎める。

 だが青年は気にした様子もなく、呆れたような表情で彼女を見下ろした。


「だから、さっき教えてやっただろうが!チンピラがここで死んでんだから、あの作業着のオッサンを殺ったのはこいつらのどっちかしかいねーんだっつーの!わかれよボケ!」


 先程までとはうって変わった荒い口調で、スーツの青年が吠える。


「なあ、そうだよな?」

「痛い痛い!やめてお願い!」


 女子高生の髪を掴んでいる手に力を込めたらしく、彼女の痛々しい悲鳴が薄暗い廊下に響き渡る。

 さっきまでの爽やか系ビジネスマンだった青年はもはやおらず、この場を力で支配する暴君へと豹変してしまったようだ。


「あんな首をかっ切るような真似、どうやったか知らねえけどよぉ。そっちがその気だってんなら、殺られる前に殺ってやるよ!」


 青年は声を荒らげながら、女子高生の頭を床に叩きつけた。

 鈍い音がして、くぐもった悲鳴をあげた女子高生は頭を抱えてうずくまった。

 興奮と狂気に歪んだ笑みを浮かべながら、スーツの青年が雅史の方へと振り返る。


「まずはお前から殺してやる。お楽しみは後に取っとかねえとなぁ。」


 尋常ならざるセリフが冗談でないことは、その表情から否応なしに読み取れた。

 この男は、本気で雅史を殺すつもりだ。


「うっ……うあ……。」


 抵抗しなければ殺される。

 立ち上がろうともがく雅史だが、腹筋に力が入らないため四つん這いのままわずかに後ずさるのが精一杯だった。


(こ、こ、殺される!やばい、やばい、やばい!)


 焦燥感と恐怖に駆られ、何も考えられない。

 手は震えて言うことを聞かず、体は思うように動かない。

 ゆっくりと歩み寄る青年を前にして、逃げ出すことすらままならなかった。


(何でも良い、何か……何かないか……!)


 窮地の自分を助けてくれる何かを求めて、必死に辺りを見回す。

 だが、そう都合よく救いの手が見つかるはずもない。

 絶望が頭の中を占めていく中、ふいにあるものが雅史の視界に映った。

 それは、自分の左腕に着けられた、スマートウォッチのような端末だった。

 この悪夢のようなゲームの参加者、全員に配られていたものだ。

 その端末を目にした時、雅史の脳裏に小さな閃きがよぎった。

 細い糸のような、おぼろげな何かが見えた気がした。

 確かな考えがあったわけではない。

 それでも雅史には、その僅かに見えた希望にすがる以外に選択肢はなかった。

 さながら、蜘蛛の糸を掴むカンダタの如く。


「んん?てめえ何して……。」


 青年が掴みかかろうとしたほんの数瞬前に。

 雅史の指が端末のディスプレイ上、“call”と表示された部分に触れた。

 そしてそれと同時に、スーツの青年の声が瞬時に遠ざかった。


「……やがる!」


 ほんの数瞬前まで肉薄していたはずの青年の声が、やけに遠くで聞こえた。

 何が起きたかはよく分からない。

 だが、変化はそれだけではなかった。

 這いつくばっていたはずの雅史の体が、いつの間にか垂直に起こされている。

 もっと言えば、雅史は椅子に座っていた。

 その椅子は、よくよく見覚えのあるものだった。


「……は?」


 誰かが呆けたような声を出した。

 さっきまでの緊迫した状況に全くそぐわない、間の抜けた声だった。

 だが、それを咎めるものはいない。

 何が起きたのか、理解出来ている者がいないからだ。

 この場の誰もが、今の状況を飲み込めずに固まったままでいた。

 目に映る光景は、ついさっきまでいたはずの死体のある場所ではなかった。

 そこは、全てが灰色に塗りつぶされた部屋だった。

 雅史が今座っているのと同じ椅子が、円を描くように幾つか配置されており、その全てが円の中心へ向いている。

 椅子の前には、これまた見覚えのあるモニターが設置されていた。

 そこは、皆が最初に目覚めた、椅子とモニターの並ぶ部屋だった。

 そして、今生き残っている全員であろう4人が、それぞれ椅子に座らされている。


「え?え?ちょっと何?何がどうなってんの?」


 ギャル系女子が狼狽しきった様子で疑問を口にしている。

 もちろん、答えられるものは誰もいない。

 雅史もまた、あまりの出来事に呆然とたたずむしかなかった。

 だが、雅史の脳裏にはかすかな予感があった。

 これは、チャンスだ。

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