第4話 暗転
◎現在判明しているルール
1:あなたたちの中に1匹、狼が紛れ込んでいる。狼に噛まれた場合、あなたは死亡する。
2:制限時間以内にこの建物から脱出できなかった場合、あなたは死亡する。
3:建物から出る方法は2つ。正しい鍵を見つけるか、狼を死亡させるか。その他の方法で出た場合、あなたは死亡する。
「っ、ひっ!?」
尻もちをついて震える雅史の後ろで、声にならない悲鳴が聞こえた。
女子高生が様子を見に来たのだろう。
だが雅史には、振り向いてそれを確認する余裕もなかった。
(何だよ……何だよこれ……!)
この作業着の男は、さっきまでは普通に喋っていたのだ。
クソみたいなゲームに付き合わされて、ボヤきながら一緒に歩いていたのに。
今はもう動くことは無い。
己の首から流れ出た血溜まりの中で、その生を終え、ただの肉塊となってしまった。
「うっ、おえっ。」
溢れかえる血の匂いに、雅史は思わずえずいた。
何が起きたというのか。
何も分からない。何も浮かばなかった。
ただただ今は、この場から逃げたかった。
物言わぬ死体から、少しでも離れたかった。
だが、足に力が入らない。思うように、身体が動いてくれなかった。
雅史に出来たのは、呆けたように死体を眺め続けることだけだった。
身動きも取れずその場に佇んでいると、ふいに廊下を走る足音が耳に届いた。
作業着の男を殺した何者かが戻ってきたのかもしれない。
(や、や、ヤバい!逃げ、逃げないと!)
自分も殺されてしまうという恐怖が、雅史の頭の中を埋め尽くした。
壁に手を付いて立ち上がろうとするが、手が震えてうまく身体を支えられない。
焦れば焦るほど体が言うことを聞かず、もはや雅史はパニック寸前だった。
「おいっ、どうした!大丈夫か!?」
だが、聞こえてきたのはスーツの青年の声だった。
雅史の悲鳴を聞いて、駆けつけてきてくれたに違いない。
底しれぬ安堵に、雅史は再び地面にくずおれていった。
「なっ……!」
「えっ!?ちょっ!ぎゃあああ!なになになになんなのこれえ!」
死体を目にしたスーツの青年とギャル系女子のあげる声が、ひどく遠い音のように聞こえる。
頭の中に霧がかかっているような、虚ろな感覚が全身にまとわりついていた。
これは本当に現実なのか?実はまだ自分の部屋で眠ったままで、悪い夢でも見ているのではないだろうか。
雅史は壁に背中を預けたまま、身じろぎもせず現実逃避をすることしか出来なかった。
「……説明してくれ。何があった?」
スーツの青年が、雅史の前に立って問いかけた。
しかし雅史はその言葉に反応せず、死体から目をそらして黙したままだった。
そんな態度にしびれを切らして、青年は雅史の肩を掴むと強く揺さぶった。
「おいっ!何があったかって聞いてるんだ!」
突然の大声に、思わず身体がビクリと跳ねる。
慌てて顔を向けると、険しい顔で睨む青年と目があった。
思わず目をそらすと、首のない死体が視界に入る。
(ああ……夢じゃないんだな。)
一気に現実に引き戻されて、雅史の心は暗い感情に埋め尽くされていった。
同時に、辺りに漂う血の匂いが鼻について、雅史は再び嗚咽した。
「おえっ。……す、すいません。一旦ここから離れてもいいですか。」
「それ賛成。あたしもこれ以上ここに居たくないんだけど。」
口中に広がる酸っぱい味に耐えながら懇願すると、ギャル系女子がすかさず賛同してくれた。
「……わかった。じゃあ、あれが見えないところ、そうだな、どこか別の部屋まで歩こうか。」
スーツの青年の同意も得られたので、雅史は安堵のため息をつくと、力の入らない身体をなんとか奮い起こした。
ふと女子高生の方へ視線を向けると、顔を覆ってしゃがみこみ、ガタガタと震えているのが見えた。
ギャル系女子が手を貸してようやく、フラフラと立ち上がる有り様だった。
女子高生の準備がどうにか整ったことを見届けた雅史は、スーツの青年に視線を送る。
しかし青年は、この場を離れようという気配を見せなかった。
血に染まっていく死体をまじまじと見ながら、何かを考えているようだった。
(何だよ、こっちは早くここから離れたいのに。)
雅史が訝しんでいると、青年はこちらの視線に気づいたのか、顔を上げて口を開いた。
「ああ、2人が先を歩いてくれるかな。」
「えっ!?ま、マジすか……。」
開口一番、唐突な事を言いだした。
この薄暗がりの中、死体を見つけて憔悴している2人に先行しろというのか。
「うん。僕らで後ろを警戒するからさ。何か問題あるかい?」
一体何が問題なんだと言わんばかりの青年の口調に、雅史は何も言い返せなかった。
言葉の裏に、強めの圧力がにじみ出ている。
そこまでおかしいなことを言っているわけでは確かにないが、有無を言わせぬ物言いに雅史は嫌な雰囲気を感じ取った。
「わ、わかりました……。」
ちらりと女子高生に視線を送り、彼女もまた反論出来なさそうなことを確認すると、雅史は諦めて足を動かし始めた。
第1歩を床に踏み降ろした時、靴の裏についた血がべチャリと床に足跡を残した。
ゾッとして、慌てて床にこすりつけて血糊を落とす。
「それで?何があった?」
「うえ?」
歩き始めて少ししたところで、スーツの青年が背後から再度説明を促した。
別の部屋まで移動してからだと思っていた雅史は、意表を突かれて素っ頓狂な声を出してしまった。
やや強めの口調も気になったが、大人しく口を開く。
「お……俺たち2人は、あ、あの赤い部屋を調べてたんです。」
喋りだすと、声が震えているのが自分でも分かった。
出来るだけの平静を装いながら、なんとか説明を続ける。
「で、その……あの人は、出口を見張っててくれたんですけど、調べ終わったときには、その、姿が見えなくて。それで、廊下まで見に来たら、もう、あ、あの状態だったんです……。」
死体へは視線を向けないよう、終始前を向いたままで説明を終える。
ちらりとスーツの青年の方を伺うと、鋭い目で雅史を観察しているのが分かった。
「……あのチンピラの姿は、特に見かけてないってことか。」
「あ、は、はい。廊下に出てすぐに周りを見回したんですけど、見つからなかったです。」
「なるほどね……。」
そこまで話し終えると、スーツの青年は顎に手を当てて厳しい顔で黙り込んだ。
雅史の話を吟味しているようだ。
作業着の男を殺したのは、チンピラ風の男の仕業だと考えているのだろうか。
別行動をしているのがあの男しかいない以上、もっとも疑わしいのは間違いない。
今にもあの男が暗がりから飛び出してきやしないかと、雅史は不安で仕方なかった。
「えと、やっぱり、あのチンピラっぽい人がやったんですかね……?」
「どうだろうね。まだなんとも言えないな。今確かなのは、僕らが参加させられたこのゲームが、実際に人が死ぬゲームだったってことぐらいかな。」
スーツの青年は驚くほど冷静な声で、空恐ろしいことを言い放った。
これがゲーム?この人死が出ている状況は、ゲームのルールの内だと言うのか。
確かに提示されたルールの中には、“死亡する”という文言がこれでもかとばかりに何度も出てくる。
だが、それが実際に人が死ぬことを表しているだなんて、誰が想像出来ただろうか。
「ねえ、もうそこの部屋でいいんじゃないの。」
雅史が陰鬱な思考に囚われていると、ギャル系女子が近くにある通路を指差して言った。
チンピラ風の男が襲ってくる可能性を考えると、雅史もさっさとどこかの小部屋に身を潜めたかった。
しかし、スーツの青年は首を縦に振らなかった。
「いや、もう少し先まで行こう。」
それだけ告げると、もはや言うことはないとばかりに口を閉ざしてしまった。
だが雅史はこれ以上、無防備なままでこの廊下を歩いていたくはなかった。
「で、でも、このまま歩いてると、殺人犯と鉢合わせするかもしれないんですよ?」
精一杯の反対意見を述べる。
それでも、スーツの青年は頑なだった。
「いや、いいんだ。他に良い場所があるから、もう少し歩こう。」
「ねえ、ちょっとまさか……!」
「しっ!さっき話したろ?今は黙っててくれ。」
ギャル系女子が何事か抗議の声をあげようとした。
しかし、スーツの青年の制止を受け、不服そうにしながらも渋々口をつぐんだ。
(……何だ?何の話をしてるんだ?)
2人は何か、こちらには分からないやり取りをしている。
どこか様子がおかしいのは明らかだ。
人死にが出ているのだから、さっきまでと態度が変わるのもやむ無しと言えなくもない。
だがスーツの青年の言動からして、どうにも何かを隠しているように感じる。
もっと言うと、こちらに対して棘があるというか、何か疑惑の目を向けているような気がしてならない。
雅史と女子高生の2人で、作業着の男を殺したとでも疑っているのだろうか。
こちらとしては、さっき説明した以上に話せることはない。
他に明確に疑わしい人間がいるのに、なぜそこまでこちらを警戒するのだろうか。
もっと警戒するべきはチンピラ風の男に対してではないのか。
納得のいかない思いで、同意を求めて女子高生の方へ視線を向ける。
彼女は相変わらず怯えきっており、自らの身体を抱きしめながら俯いてしまっていた。
(こんなにビビりまくってる俺らに、人なんて殺せるわけないだろ……。)
スーツの青年に若干腹が立ってきていたが、自分より身体能力の高そうな相手にあえて反抗する気にはなれなかった。
薄明かりが照らす廊下を、怯えつつも黙って歩く時間が続く。
楕円形の廊下をもう半周もしたのではないかと思えた頃、スーツの青年が口を開いた。
「ああ、見えてきたな。あの部屋だ。」
その言葉に青年の視線を追ってみると、大きくカーブした廊下の先に、小部屋につながる通路の入口が見えた。
ようやく身を隠すことが出来ると安堵する雅史。
いつ襲われるかも分からない廊下を歩かされるのは、もううんざりだった。
駆け寄りたい気持ちを抑えながら通路へ近づいていくと、徐々に通路の奥まで視界が開けていく。
わずかに覗く部屋の色は、少し緑がかった鮮やかな青色だった。
「ん?何か……。」
ゆっくりと部屋の内装が見えてくる中、雅史は通路の中程に何かがあることに気がついた。
最初は、何か大きな袋のようなものが置いてあるのかと思った。
通路の内側に照明は無いため、廊下から入る薄明かりではよく見えなかったのだ。
だが徐々にその暗さに目が慣れていくと、その何かの周囲に暗い影のようなものがあるのを見つけた。
そして次の瞬間には、そこにあるものの正体に思い至った。
「!!……な、何だよこれえ!?」
「え!?い、いやあ!!」
雅史の大声につられて、女子高生も悲鳴をあげる。
そこにあったのは、ついさっき見たものと酷似した光景だった。
それは死体だった。それも、首のない死体だ。
通路の壁に背を預けるようにして、床にしゃがみこんだまま死んでいる。
かつて首のあった部分から溢れ出した血液は、辺りに点々と血痕を残し、床には血溜まりを作っていた。
「う、げえっ。」
予想していなかった2度目の光景に、雅史は再び嘔吐感に襲われた。
これは一体何なんだ。
どうしてまたこんなものを見なくちゃいけないんだ。
死体から目を逸して床を見つめたまま、雅史の心には恐怖と混乱がないまぜになったような感情が渦巻いていた。
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