第13話
まったく、自転車に乗れないので、ばあちゃん家に行くのもひと苦労だった。
ひと苦労というのは、道中のことではなく、その手前の話なのである。
つまり、こんな状況でもパソコンを触るために、都合の良い理由を見つけなければならない。
パソコンどころか、テレビゲームさえロクに与えなかったこの親が不純にうわつく僕に感付けば、きっとこの定例訪問は打ち切りとされてしまう。
だけど、今日は火曜日だ。
僕の人生がゆるやかに動きはじめてから、ちょうど6日と24時間が経った。
長い長い1週間だった。
この気持ちを誰かに伝えたい。
けど、こんな程度で舞い上がっている様子を見られようものなら。
思春期である僕の底が知れて見下されるかも知れないと思って。
ずっと自分の中に留めていた。
人は不思議なもので、抑うつされれば、それだけ体積が大きくなる。
今、まさに僕はリバウンドのさなかにあった。
針を刺せば破裂してしまうほど、パンパンに膨らんでいる。
どれだけ考えても妙案は出なかったので、苦し紛れに塾で使う英語のテキストをばあちゃん家に忘れてきた芝居をしつつ、そそくさと家を出た。
明日の水曜日は英語の授業なのだ。
本当は宿題も終わってるから大丈夫だよ、と心のなかで母ちゃんに言い伝えながら、僕は恐る恐る自転車にまたがった。
納屋のようなパソコンルームのドアを開ける。
本来、クローゼットとして使うであろうそこは、ドアというよりはたった1枚の薄い板を挟みこんだだけの扉という表現の方が適切かも知れない。
コクーンに乗り込むような感覚で、身を椅子に委ねる。
軋む音が背骨に響く。
もともと、2階にあった作業机と対になっていた椅子だった。
古い会社にしか置かれていないような殺風景な灰色の一点張りで、油が乾き切ってしまったのか単なる摩耗であったのかは分からないが、足元の駒が回りにくくなった椅子だった。
座面と足場をつなぐ丸い一本のパイプの内側には、きっとおびただしい無数の年輪が刻まれているんだろう。
何故かは分からない。
ばあちゃんは、ずっとこの椅子を大切にしていた。
お隣さんの大きな柿の木が遠近感をなくさせるこの部屋には、大きなゆりかごが置かれている。
僕はなんとも言えない背もたれの曲線を指でなぞる、その感覚が大好きだった。
だけど、決まってばあちゃんは小さな灰色を選んだ。
単に、入り口の近くにあったからかも知れない。
単に、ばあちゃんの大きなお尻にフィットするからかも知れない。
だけど、そこに座るばあちゃんの目はいつも遠くを見ていて、この椅子を手に入れた遠い遠い昔の1日にずっと腰掛けているようだった。
途方もないような長い年月をこの家で過ごし、来る日も来る日もばあちゃんの身体を、心を、支え続けた功労者をねぎらうように。
僕は敬意を持って、浅く腰掛ける。
「久しぶりだね!忘れられてなくてよかった(笑)」
忘れるどころか、ずっとずっと今日を待ってたなんて、言えない。
「元気だよ、今日は雪がひどくて困っちゃった。そっちはどう?」
「こっちは毎日雪まみれだよ(笑)」
「だよね、失礼しました笑」
京香は旭川の隣町に住んでいて、人類を二分するならば、この場合、雪をかく側の人間だった。
僕の住む街とは、優に1,500km以上の距離があった。
だけど。今はそんなこと、どうでもよくて。
今はただ、指先で気になるあの子と会話している。
手話も楽しい。
けど、もっと先にも行ってみたい。
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