鍵を打つ

小狸

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 ――どうして小説を書くの。


 そう問われたことがある。


 確か母からであった。質問の意図としては、小説を書くよりもっとすることがあるのではないか、とか、もっと勉強をしなさい、とか、そういう類のことを言いたかったのだと思う。


 その問いに対して、私は何も言うことができなかった。


 分からなかったのである。



 幼い頃から、私には友達がいなかった。テレビもゲームも漫画も禁止され、読書だけが私の友達であった。きっと聡明な子に――或いは世間一般的に言うところの『ちゃんとした』子に、私を育てようとしたのだろうと思う。


 そんな私にとって――小説は全てに近かった。


 書き始めたきっかけは、恥ずかしながら覚えていない。ただ、書かずにはいられなかったように思う。それ以外の感情の発露の方法を、私は知らなかったのである。


 だから――書いた。


 ただ――書いた。


 ――どうして、小説を書くの。


 ――そんなことをするなら、勉強をしなさい。


 そんな過去の幻想が、背後から私を刺して来た。


 親に言われたまま高校に入り、大学に入り、そして仕事をした。世間一般的に言うところの『ちゃんとした』職業であった。最初の数年は大変な仕事だったけれど、少しずつ慣れていくにつれて、余裕が出て来るようになった。


 そんな中で、私は小説を書くことを続けた。


 休日、短編小説を打鍵していると。


 母の幻影が、私に囁くのである。


 ――どうして、小説を書くの。


 どうしてだろうな、と思う。


 そう――私はそれを見失いかけているのだ。


 小説は、さる小説寄稿サイトへと投稿していた。大きめの出版社が関与しているらしいそのサイトにて、ちまちまと私小説を、継続的に掲載し続けていた。別に連載だの何だのがある訳ではない。職業作家なんて高尚なものではない――アマチュアである。


 ただ――誰も見てくれないのだ。


 ついつい閲覧数や高評価の数を見に行ってしまうようになった。仕事中でも、誰かが見てくれるかどうかが気になるようになった。


 しかし――誰も見ない。


 読んでくれない。


 それまでは一人で執筆し一人で満足していたから、読者のことなど考えなかった。


 しかしサイトに投稿するようになって、それが数として表現されるようになって、どうしても気になるようになったのである。


 下手なのだろうか。


 駄目、なのだろうか。


 誰も私のことを見てくれない。


 私は、ここにいるべきではない。


 親から言われた言葉が、台詞が、表現が、回顧する訳でもないのに脳髄にリフレインしてぐるぐると渦を巻く。


 色々と工夫もしてみた。


 最近の流行、『異世界転生』『悪徳令嬢』『チート』なども調査してみたり、それに準ずる小説を、無理して執筆してみたこともあった。タグをつけてみたり、奇抜なタイトルを付けてみたりした。


 しかし、駄目なのだ。


 閲覧数は、一桁代より多くはならない。


 まるで私自身の人生が、否定されているような気分になった。


 小説を書き始めて、長く書いて、そこそこ書くことができているという自負――というか、まあそれも傲慢なのだろうが――は、無いわけではなかった。


 ただ――駄目だった。


 誰も私を見ない。


 誰も私を読まない。


 ならば――。


 ――どうして小説を、書く必要があるのだろう。


 誰からも目を向けられないのに、書き続ける必要があるのだろうか。


 どうせ自分より上手く、時代を的確に捉え、世間のニーズにあったものを執筆する者は、世の中に確固として存在しているのだ。


 ならば。


 ならば。


 ならば。


 ならば?


 ――どうして、小説を書くの。


 母のその言葉の重みが、ずうんと私の両肩に圧し掛かった。


 そう思ってから、私は仕事も上手くいかなくなった。


 というか、何も上手くいかなかった。何より嫌だったのは、母の言葉がずっとずっと脳の中に残り続けていることだった。



 ――




 それが、嫌だった。


「…………」


 目が覚めた。


 休日である。


 先週も仕事で大きな失敗をしてしまった。


 怒られた、迷惑をかけた、駄目であった。


 ちゃんとしなければならないのに、ちゃんとすることができていない。


 仕事でも、小説でも。


 何だか死にたくなったけれど、死ぬほどの勇気もない。

 

 パソコンの電源を入れて、数秒起動を待った後、ワードを起動した。

 

 今日も私は、小説を書く。





(了)

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