109話 何気ない1日の何気ない思い出

「私とアナタが結婚してたというなら、その思い出を何か話して」

 とカヨが言い出した。


 なぜ彼女がそんな事を言い出したのか?

 俺と結婚していたことが事実であるかどうかを知りたい、という訳ではない。

 愛に魔力補給を頼むのが嫌だったからである。

 愛に魔力補給して貰えなかったら、他に誰が魔力補給をしてくれるのか?

 俺である。

 だけど嫌いな奴とキスしたくない。だから少しでもマシになるために妄言もうげんでもいいから結婚していた頃の思い出を俺から聞こうとしている。


 俺は戸惑った。

 日本で結婚していた思い出を人に語るなんて。

 ましてや、それが若い頃のカヨである。


 彼女は愛からの魔力補給を拒み、今の俺からの魔力補給も拒んでいる。


 思い出を語らない限り、先にも後にも戻れなくなってしまった。


「ドラマチックな出来事は何も起きないから、思い出なんて聞いても面白くないよ」と俺は言った。


「いいわ」とカヨが言う。

「アナタとキスをして、自尊心をすり減らさないために聞くだけだから」

 

 今の俺とキスしたら自尊心がすり減るのか? なんかショックである。


 俺は語るべきことが何かないか、考えた。

 遊園地に行ったことや、旅行に行ったことや、映画館に行ったことを思い出した。

 だけど、その思い出より、なんてない1日について語ることに決めた。物語の抑揚よくようも何もない1日。

 映画なら2秒のカットインで終わる1日である。あるいは描かれることもない1日である。



 ある日の日曜日。12時頃に昼ご飯を食べて、少し休憩して4歳になる娘を公園に連れて行く。

 遊ぶためにお金は使わない。たまに、本当にごくたまーにショッピングモールに入っているキュアハートキッズランドに連れて行くこともあった。

 だけど、ほとんど俺は娘を公園に連れて行った。

 妻は家にいることが多かった。妻というのはカヨのことである。

 だけどカヨに話をしているから混乱しないように思い出のカヨを妻と呼んだ。


 公園に行くと幼稚園の友達が誰かしらいて、その子と遊ぶ。

 娘は社交的で、幼稚園の友達がいなくても「一緒遊びましょ」と誘って、見知らぬ子と友達になって遊んだ。


 パパが鬼やヤラネーダになって追いかけることもあった。ヤラネーダっていうのはプ○キュアの敵である。3時には持って来たオヤツを食べてお茶を飲んだ。


 意外と大変っていうか、普通に疲れる。でも子どもは大きくなる。すぐにパパと遊んでくれなくなってしまう。

 娘がパパと遊んでくれるのは数年間しかない。だから疲れても、今しか娘と遊べないと思って頑張った。


 5時になると公園にチャイムが鳴る。それを聞いたら娘と手を握って、妻が待つ家に帰った。


 大抵、家に帰るとご飯は出来上がっていた。妻のご飯はどれもご馳走だった。彼女は品数を多く作ってくれた。メインの大皿と小皿が2つと汁物が1つ。それと白ご飯が盆に乗っていた。


 ご飯を食べる時はテレビを消して、娘が語る今日の楽しかった出来事を聞いた。4歳の娘はまだまだ舌ったらずで語彙ごいも少ない。

 それでも俺と妻は、うんうんと頷きながら娘の話を聞いた。

 お皿を食器洗浄機に入れて、3人でお風呂に入った。

 シャワーを流すのは勿体ないから、湯船のお湯で体と頭を洗って、体を丸めて3人で浴槽に入った。


 それから時間に余裕があれば寝室で30分だけ3人でアニメを見て眠った。

 娘の寝息、妻の寝息が聞こえるベッドが俺の寝る場所だった。


 何気ない1日の何気ない思い出を俺はカヨに語った。

 


「わかったわ」と彼女が言った。

 何をカヨはわかったんだろう?


「私はアナタのことを、そこまで嫌いじゃなくなったわ」


「ありがとう」と俺は言う。

 ありがとう、と言うのも可笑しな話である何に対して礼を言ってるんだろうか。


「舌を出して」とカヨが言った。


 ポクリと俺は頷いて、舌を出した。


 どうやら嫌いじゃなくなったから俺から魔力補給をできるようになったらしい。


「いっぱい吸うわよ」

 と彼女は言って、舌を出した俺に近づいて来る。


 カヨが口を開けた。

 そして俺の舌をパクっと咥えた。

 彼女が俺の魔力を吸う。


 チュッポ、っと彼女が俺の舌から口を離した。


「なんで泣いているのよ」

 とカヨが言った。


 俺は溢れる涙を服の袖で拭った。


 あの場所に戻りたい。

 その思いが、カヨが近づいて来て溢れ出してしまった。

 もう俺はあの場所には戻れないんだ。


「なんでもない」と俺は言った。


 どれだけ俺は君達の事を探したんだろうか? 異世界の辺鄙へんぴな場所に召喚されてからずっと彼女達の名前を呼びながら歩いて来た。

 だけど、もう歩きすぎて戻れなくなってしまっている。

 


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