第91話 破水

 バランは眉間に皺を寄せてイライアを睨んでいた。ココからでも彼のプレッシャーを感じることができる。バカっぽい表情はどこにもない。


「本当にすまなかった」

 とイライアが呟いた。


 彼女が謝った瞬間、バランは彼女の頭をグーで殴った。


「俺の妻を、俺の息子を、俺の両親を、俺の友達を、俺の仲間を殺しておいて、すまなかった、っで許せるわけがないだろう」


 ドワーフの英雄は泣いていた。

 かつて守れなかった者達を思い出して静かに泣いていた。


「返せよ。俺の大切な者を返せよ」

 とバランが叫んだ。


 彼女は頭を殴られて、砂浜に頬をつけたまま、

「すまなかった」と言葉を繰り返す。


「うわぁーーー」

 とバランが雄叫びをあげた。

 彼にとっては謝ってほしくなかったんだろう。

 


 バランはイライアに蹴りを入れた。

 イライアが宙に浮く。

 バランは跳躍して、イライアの上まで飛んで行く。

 そして瓦割りをするようにイライアの背中を殴った。

 彼女が海に落ちていく。

 海が割れる。

 津波のような水しぶきが俺達のところにやって来た。

 結界が俺達を守ってくれた。


 アニーとナナナがブルブルと震えながら俺の腕にしがみ付いた。


「なんか音楽でもかけるか?」

 チェルシーが気を聞かせて尋ねてきた。


「チェルシー、音楽かけて」

 と俺が言う。

 アレクサーに命令する時の言い方をしてみた。だけど、この冗談がわかる人はココにはいない。いや、チェルシーは俺の過去の記憶を見ているからわかっているのか。


「フラワーカ○パニーズで『深夜高速』を再生します」

 猫がアレクサーっぽく言った。


 えらい渋い曲をチョイスしてきたな、と俺は思う。


 バランはイライアを撲殺するために何度も何度も彼女を殴っていた。


『生きててよかった♩ 生きててよかった♩ 生きててよかった♩ そんな夜を探してる♩』とチェルシーの体の中に搭載されたスピーカーから音楽が流れている。


 バランの攻撃は本気だった。


「止めないんですか?」

 とアニーが震えながら尋ねた。


「止めない」

 と俺は言った。

「彼女は殴られたいんだ。それにバランは殴りたいんだ」


「魔王様、死んじゃいますよ」

 とアニーが言う。


「単体ならイライアは俺より強いんだぞ。こんな攻撃で死なない」

 と俺が言う。


「でもお腹の子が」とアニーが言った。


「ちゃんと防御魔法をかけている」と俺が言う。


「バラン様が可哀想です」

 とアニーが言って、俺の胸に顔を押し付けた。

 もう見ていられないのだろう。


 バランが可哀想。

 彼はイライアを殴りながら泣いていた。

 妻を殺され、子どもを殺され、両親を殺され、友達を殺された。

 それなのに殺した相手が、……最大の悪だと思っていた魔王が目の前に現れて、すまなかったと謝っているのだ。イライアには悪でいてほしかっただろう。倒すべき相手でいてほしかったんだろう。



 俺はどういう気持ちで2人を見ていていいのかわからなかった。

 バランには恨みを晴らしてほしい、と思う。自分の脳みそを取り出す、という決断をするぐらいにイライアには苦しめられたのだ。

 イライアには幸せになってほしい、と思う。ずっと暗闇の中を歩き続けて来たのだ。


 どちらの気持ちに寄り添っていいのかわからなかった。

 だけど目を瞑っちゃいけないと思った。

 ちゃんと見てあげなくちゃいけないと思った。

 バランの憎しみは、イライアの罪である。

 どれだけ謝ってもイライアは許されないだろう。だけど彼女は謝りたいのだ。許されないなことがわかっていて謝りたいのだ。

 自分の罪と向き合いたいのだ。

 

 

『僕が今までやってきた沢山の酷いこと♩ 僕が今まで言ってきた沢山の酷い言葉♩ 涙なんかじゃ終わらない忘れられない出来事♩ 1つ残らず持ってけ♩ どこまでも持ってけよ♩』

 フラワーカ○パニーズが歌っている。


 イライアが浜辺に落下した。

 砂煙が宙を舞う。

 彼女はお腹を守っていた。

 バランが殴る手を止めた。

 彼が何かを喋っている。

 だけど音楽のせいで聞こえなかった。


 チェルシーが音楽を止めた。


「悔しい」とバランの声が聞こえた。

 彼は顔を皺くちゃにさせて、ボロボロと涙を流していた。

 大量に鼻水だって出ている。


「なんでお前は幸せになろうとしてるんだよ。なんでお前は子どもを産もうとしてんだよ」

 うぉぉぉぉーーー、とバランが雄叫びを上げた。


「その子はお前の子じゃねぇーぞ。その子は俺達の仲間の子どもだからな。ミナミと小次郎の子どもだからな」


「そうじゃ」とイライアが言った。


「今日はその子のためにココまでにしといてやるけど、絶対にいつかお前を殺す」


「妾が死ぬ時はお前に殺されよう」

 とイライアが言った。


「それと小次郎」とバランが言って、コチラを向いた。


 バランに何を言われても受け入れるつもりだった。

 元のバランに戻したのは俺達のわがままだった。

 もしイライアを家に連れて来るな、と彼が言うなら別邸を作るつもりだったし、お前も殺したいと言うなら、俺が死ぬ時もバランに殺されて死ぬつもりだった。

 出来る限り何でも要望は聞いてあげようと思っていた。


「今日は俺の誕生日じゃねぇーぞ。それに俺は53歳だ」とバランが言った。


 拍子抜けな言葉だった。


「そうか。すまない」と俺は言う。


「アイツ意外と歳とってるな」

 とチェルシーが俺の首元で呟いた。


「今までバカな俺と一緒にいてくれてありがとう。これからも頼むな」

 とバランが言って、自分の頭に手を当てた。


 そして彼は自分の脳みその一部を取り出した。彼の手にはグチョグチョしたモノが握られている。

 


 俺は結界を解除して、すぐにバランの元に走る。

 そして回復魔法で彼の頭の怪我を治した。

 治すだけで脳みそは再生させなかった。

 彼はバカのまま生きていくことを選んだのだ。バランは脳みそが欠けた状態じゃないと生きていけないんだ。


「小次郎様」とアニーの声。「魔王様が」


 イライアを見る。


 彼女のお股から水がジョボジョボと溢れ出していた。

 破水はすいしたのだ。

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