第17話 生理か?
「生理か?」
とバランが呟いた。
めちゃくちゃミナミがバランのことを睨んでいる。
もし仮に本当に生理だとして、今まで生理でミナミがこういった暴力的な行為をしたことがあるのか? ねぇーよ。
俺がアニーと結婚契約をする事に対してミナミは怒っているのだ。
正直に言うと彼女がこんな風になるとは思っていなかった。
ただの契約だけの話なのだから別に大したことはない。……そう思っているのは俺だけ?
とりあえず巨大魔物の件は置いておいて、まずこの件を納得するまで話し合わなくちゃいけない。
「うわぁー。めっちゃ睨んでる。めっちゃ睨んでる。これは間違いなく生理だわ。しかも強い方の生理だわ」
グハハハハ、とバランが大爆笑を始める。
しかもバランは上半身裸で、笑うと筋肉と脂肪が愉快そうに揺れた。
ミナミが机を叩いた。
机はミナミの力で真っ二つに割れる。
そして彼女は立ち上がり、バランの前に立った。
ミナミはバランの首を掴む。
「……こんな生理見たことない。……こんな生理見たことない」
とバランが苦しそうに掠れた声で言った。
ミナミは拳を握りしめ、王道アクション漫画みたいな速度パンチを何発も繰り出し、バランの顔面にダメージを与えた。
バランは口から血を出して白目を向いている。
ミナミがバランの首を離すと人形のように毛の無いドワーフが崩れ落ちた。
彼女は手をパンパンと叩き、また同じ位置に座った。
怖ぇーよ。こんな猛獣にどうやって結婚の説明したらいいんだよ?
……すごい生理だな、と呟きそうになって我慢する。
危ない危ない。これを言ったら殺される。
言葉の出だしが思いつかなくて、ミナミのことを見るのも怖くて、俺は何もない空中に視線を向けた。
「っで?」
とミナミが尋ねた。
その「っで」だけで俺はビビった。
「……そうですね」と俺は言う。
まるで上司に怒られている時のサラリーマンである。
「さきほども説明させていただきましたように、えっーと、私は奴隷を禁止しておりますので、その契約を一度、破棄という形にさせていただきまして、えっーと、結婚契約に切り替えようと思っています。契約上だけの話ではございますが、ミナミ様にもご了承いただけたらと思っております」
怖すぎて会社員の頃のような変な丁寧語を使ってしまった。
心臓がバグバグと音を鳴らしている。
「その喋り方やめて。殺すよ」
「はい」
「好きなの? あの子のこと? 結婚したいほど」
「……そういう話じゃなくて……。奴隷の契約のまま置いておくことはできないから、契約を変更したいだけなんだ」
「他の契約もあるじゃない?」
「色々と考えて決めたことなんだ」
ミナミが床を見る。
「……私は?」
と彼女が呟いた。
「私はどうなるの?」
ミナミの腕が動いた。
俺は殴られる覚悟をして身を固くした。
でも殴られなかった。
彼女は腕で涙を拭った。
……涙を拭った?
ミナミが泣いている。
ボロボロと大粒の涙を出して泣いている。
スーツの袖が一瞬でビショビショになっていく。
これはダメだ、と俺は思う。
殴られるよりも心にダメージを負う。
ミナミが泣くような事を俺はしてしまったらしい。彼女に辛い思いをさせてしまったらしい。
ガチャと扉が開いて、リビングにチェルシーが入って来た。
「酷い災難だったわ」とチェルシーは言いながら体に付いた葉っぱを取っていた。
そして泣きじゃくるミナミを見る。
チェルシーは俺を睨み、まるで猫のようにシャーと威嚇した。
Tシャツに犬と書かれた猫が、泣きじゃくる女性の隣に座った。
そして肉球の付いた手で彼女の背中を摩った。
「コイツ、ただの契約だけの話だと思ってんだ」
チェルシーが言う。
「だから俺に1つ提案があるんだ」
「ミナミも結婚の契約をしてもらうんだ。そして事実関係を持つ。事実関係ってわかるか? もうわかる年齢になったよな? 交尾するんだ。お前はアイツのことを愛している。交尾ぐらいできるよな? 交尾したらアイツはお前を愛す。男ってそういうもんだ」
「……無理」
とミナミが泣きながら呟いた。
「どれだけ頑張っても、……私のこと見てくれないもん」
「大丈夫。大丈夫。アイツはミナミのことちゃんと好きなんだ。でも日本に家族を残している。だから頑張って見ないようにしているんだ」
ズ、ズ、ズとミナミが鼻水を啜った。
俺はミナミのことが好き?
こんなに俺のために尽くしてくれる女性のことを嫌いな訳がない。
でも、と思う。
俺には家族がいるからミナミは愛せない。
愛せないのに寿命が同じぐらいの俺と結婚をしてしまったら、彼女は愛を知らずに一生を終えてしまう。
「……家族のことが忘れることができないなら」とミナミが言った。
「たまに小次郎が見ている過去の映像があるでしょ? アレ消してよ」
俺がチェルシーに頼んで見ている映像。
それは俺の過去の記憶だった。
娘が生まれた時から4歳になるまでの映像である。
俺の大切なモノだった。唯一、娘を見ることができた。
チェルシーが俺を見る。
俺は首を横に振った。
絶対に消してはいけない。アレを消されたら俺は生きていけない。
「ごめん。消去機能は付いていないんだ」
とチェルシーが言う。
嘘である。不要なデーターをチェルシーが消去しているのを俺は知っている。
アイツの過去の記憶を出してくれ、と頼んだ時に、何度か「もう消しちまったよ」と言われたことがあるからだ。
「……そう。わかった」
とミナミが言う。
「とりあえずチェルシーが言ったこと、やってみる」
と彼女が言った。
「それがいい」とチェルシーが言う。
「あと、それとさっき窓から投げ飛ばしたことは謝ってくれ」
ミナミがチェルシーを睨む。
「それとこれとは別問題だからな」
「……ごめんなさい」
「何に対して謝ってんだ?」
「さっき窓から投げ飛ばして、ごめんなさい」
「それは許してあげれねぇ。すげぇー痛かったんだからな」
「なにかごちそうするから」
「何をごちそうしてくれるんだよ? それによっては許してあげてもいい」
「手料理」
「ごめん。許してあげるから、何もごちそうしていらない」
とチェルシーが慌てて言った。
ミナミの料理は死ぬほど不味いのだ。
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