23 野村 虎太郎


こうやって、殺されちまったのか...


目の前の黒い染みが付いた床に立ってる男が晒した腹の中身は、床まで落ちきれずに、男の膝の辺りまでに ぶら下がっている。


... “集め たかったのに”


反響する声が耳から入る度に、胃が落ち込むような気がした。

とっくに全身鳥肌まみれで、皮膚感覚は もう疎くなってきている。

でも、集めたかった って、こぼれちまった 腹の中身それをか... ?

両手を縛られてたんだったな。

怖かっただろうな...  かわいそうに...


「つらくて、悔しいと思う」


絢音くんが 静かに言った。

冷静に話してるけど、痛々しい と感じているのが分かる。


「でも、麻衣花は その事とは無関係なんだ。

だから離れてほしい。

そうやって声で伝えられるなら、本当の事を思い出して、犯人の事を教えてほしいんだ。

早く捕まるように、ちゃんと 警察に伝えるから」


絢音くんが照らす先で、被害者の子の肌が、灰色から 青黒く変色し始めた。


... “今田と” と、声が 部屋中に響く。

ダメだ。部分的にしか話が通じない。

雨宮が言っていたように、殺されたショックで 混乱しちまってるんだろう。


「麻衣花!」


美希の声に振り返ると、俯いていた 麻衣花ちゃんは、膝に頭がつくんじゃないかってくらい 余計に俯いていて、腹を押さえているように見えた。

救急車を呼ぶ前に見た ミミズ腫れを思い出す。

被害者の子の裂けられた傷と、同じ形だ...


何してやがんだ... ?

まさか、本当に腹を裂くつもりじゃねぇだろうな?

冷汗が吹き出してくる。


「麻衣花から、離れてくれ」


青黒い被害者の子を照らす 絢音くんが、もう 一度 言った。


「麻衣花は 無関係だ って言ってるだろ?

自分の気持ちを晴らすために、麻衣花を同じ目に合わせるつもりなのか?」


... “ううう” と 唸る声が部屋中に反響している。


絢音くんは

「本当の犯人を思い出して、そいつの事を教えてくれ って言ってるのは、君の為だけじゃない。

ご家族や、君を思う人達の為でもあるんだ。

無念でならないのは、君だけじゃないから」と、真剣に話しているけど、被害者の子には届いていない。

暗い口内を見せて、... “あああああ” と叫び出した。怒りなのか何なのか、ビリビリと部屋が鳴っている。

ダメだ。マジで通じない。

背後では 美希が「麻衣花、麻衣花... 」と泣き出している。ちくしょう...


「絢音くん、行こう。

麻衣花ちゃんを病院に連れて行かねぇと... 」


被害者の子は無念だっただろうが、話にもならなければ どうしようもない。

それより、麻衣花ちゃんだ。


それに被害者の子は、病院の外には出られないんだろう。

出られるのなら、あんなに執拗に呼ぶ必要はない。出向いてくりゃいい。


「絢音くん」


もう 一度 呼ぶと、絢音くんは 青黒い被害者の子から懐中電灯のライトを外した。


「美希ちゃん、ありがとう。虎太郎くんも。

ごめん。懐中電灯これ、いい?」と 俺に懐中電灯を渡すと、麻衣花ちゃんを抱き上げた。


... “あああああっ やめろ!!”


被害者の子の声が部屋中に反響すると、美希が身体を揺らした。

立てそうにないので、背中から腕を回して支え起こす。

麻衣花ちゃんが「いたい... 」と言った。


「... 及川くんこそ、やめてよ!!」


俺に支えられたまま、美希が振り返る。

「う... 」と 止まっているので、俺も振り返ってみると、被害者の子は足を床に擦りながら 更に近付いてきていた。


「まいっ、麻衣花に、何もしないで!!」


震えながらも美希が訴える。強ぇよな...

こんな時だけど惚れ直したぜ。

ただ、ドアの前で 麻衣花ちゃんを抱き上げている 絢音くんが動かない。


「絢音くん?」と 声をかけると

「ドアのハンドルが、動かない」と 返ってきた。

被害者の子が 背後すぐに迫ったのか、背中に氷の針で触れられているような感覚が出だした。


「麻衣花、大丈夫だから」


絢音くんが言うと、麻衣花ちゃんの小さい声が

「ごめんね... 」と 言った。


「私、こうならなきゃ いけなくて... 」


なんでだよ? 一瞬、怖さも忘れる。

“引っ張られる” って、こういうことなのか?


「ダメ、麻衣花! 絶対ダメ!!

やめて、そんな こと、言わない で... 」


美希が泣きじゃくっている。

何なんだよ、これは... なんで麻衣花ちゃんや美希が こんな目に合わねぇとならねぇんだよ?


「麻衣花、ねぇ、四年生の、時、私のところに、走ってきて、くれたよね?

嬉し かった... 本当 に、本当に。

私、麻衣花が いなきゃやだ。絶対いや! 絶対... 」


部屋に反響する声は、もう何を言っているのか判らない。人間のものとも思えない。

居る。すぐ真後ろに。

麻衣花ちゃんが「美希... 」と 呼ぶと、美希は 息を吸い込んで

「麻衣花は、及川くんとは関係ない!」と、断ち切るように言うと、反響していた声が止んだ。


「私たちは、及川くんと、高校の時も そんなに話してなかったけど、ニュースで知った時は、すごくショックだったよ。悲しかった。

嫌いになりたくないのに」


なのにドアは開かず、また声が這い上がる。

... “逃がす ものか” と。 こいつ...


「うるせえぇッ!!

人違いだっつってんだろ!!」


振り返ってやった。至近距離だ。構うもんか。

青黒い顔の中の憎しみが籠もった眼を見て

「 いい加減にしろよ!!」と 一喝した。

絢音くんの方に向いていた視線が 俺に向く。


「ふざけんなよ、ドアを開けろ!

麻衣花ちゃんは 一切 関係ねぇんだよ!

聞け!!」


憎しみの籠もった眼で 俺を見つめている男は

... “おまえ か?” と、暗い口の中を見せた。

キレ過ぎて 言葉を失う。

次は、俺か? 見境ねぇな。

電話もしてきやがってたしな。


思った通り、腹の皮膚が むずむずする。

表皮と真皮の間に 何かが湧いてきたように。


「俺でも、ねぇんだよ」


マジで、“こいつに殺られた” って決めつけて、復讐として殺れたら 誰でもいいのか?

で、殺った後は どうなんだ?

それで満足して成仏すんのか?

しねぇだろ。延々と繰り返しやがるんだ。

美希みたいに、メッセージアプリに こいつの名前が残ってる人達を呼んで。


「あんたさ、このままいくと、いつか自分の親の腹でも裂きそうだよな」


「虎太!」と、美希が止める。

言っちまった後に、失言だったと気付いた。

殺された子なんだよな... 拷問に近いやり方で。

けど、青黒い顔の中の眼の焦点は、俺からズレていた。


キ という 軋む音がして、絢音くんが

「開いた」と言った。

本当だ、ドアが開いている。

美希に懐中電灯を渡して、俺より先に 絢音くん達と部屋から出すことにする。


何か 伝わったのか... ?

けど、言い過ぎたのは悪かった... と、部屋から通路に出ようとした時に

... “あいつ等を、俺の腹を裂いた奴等を” と、青黒い両腕が後ろから巻き付いてきた。


「虎太!!」


美希の声で、絢音くんも振り返る。

背中には、冷たい空の腹の感触と、腿の裏には ぐにゅぐにゅとした臓物の感触がする。

なのに、俺からは 青黒い腕が掴めない。


... “俺も、ここを出てやる”


目の端には、腕と同じ色の頬や鼻と、暗い口内が掠める。 クッソ、こいつ...


「虎太郎くん、彼が しがみついていられるのも 今だけなんじゃないか? 病院から出よう」


青黒い奴を睨んだ 絢音くんが言い、麻衣花ちゃんを抱き上げたまま 通路を歩き出す。

美希は「虎太... 」と 声を震わせているけど

「見えねぇだろ。前に行って ちゃんと照らせよ」と、俺から少し離した。

美希には絶対に憑かせねぇ。


歩くたびに、青黒い奴が重く冷たくなっていく。

擦るようにしていた足は動かしていないようで、俺に掴まって 引きずられている。


隣の部屋を通り過ぎる時に、別の声が

『おやおや... 出られるのかねぇ... ?

ますます混乱するだろうに... 』と 呟いた。

さぁな。しがみついてる こいつが、出られないことを祈るぜ。


次の部屋の前を通り過ぎる頃には、寒さで歯が鳴り出した。

むずむずしていた腹は、チクチクと小さな痛みに変わってきていた。

足を動かすのが、前に進むのがキツい。

億劫だ という気さえする。


「虎太郎くん」


階段に上りながら 絢音くんが振り向いて、美希も また泣きながら 心配そうに見ている。


「大丈夫。美希、階段の上のドアを開けて」と 返して、重たい足を 一段目に載せた。

こんな理不尽なことに 負けてたまるか。

麻衣花ちゃんも早く、病院へ連れて行って、それから、雨宮のところに...


右足を次の段に載せると、左足も同じ段に載せ、一歩 一歩 ゆっくりとしか進めない。

美希がドアを押し開いている。

麻衣花ちゃんを抱いた絢音くんも、一番上に着いた。

俺はまだ、ようやく中程を過ぎたところに居る。

あそこまで、本当に登れるんだろうか?

少し 座りたい。


いや、座っちまったら、もう立てなくなる。

そうして 腹の皮膚が深く裂けていくんだ。

裂けて それから


「虎太!」


俺 今...


美希の声で目が覚めた。

登る。あと たった五段だ。


腹の皮膚に、ピリッ とした痛みが走った。

こいつ、俺に憑いて外に出るんじゃなかったのか?

俺を殺っちまって どうするんだ?

もし そうなったら、今度は 美希か絢音くんに憑く気なのか... ?


させるもんか。

このまま、病院の外に出る。腹が裂けても。

出来なくても、美希たちだけは出す。


寒さに歯を鳴らして、肩で息をつきながら、やっと 階段の上に着いた。

駐車場に停めた俺の車が、待合室や 受付のカウンターを照らしている。

後は、明るい待合室を横切って、入口から出るだけだ。


「先に、入口から出といて」


美希と絢音くん達に言うと、美希が立ち止まっちまったが、絢音くんが

「美希ちゃん、行こう。出てから また少し、麻衣花を頼める?」と、連れて行ってくれている。


寒い... 身体の芯から冷えていくような寒さだ。

骨の中から冷やされているような。

足は 重いだけでなく、床の下から引っ張られているようだった。


ゆっくりと進む。膝が上がらない。

気がつくと、足の裏を擦って歩いていた。

しがみついている こいつが 歩いていた時のように。


麻衣花ちゃんを抱いた 絢音くんに続いて、俺を気にしながら 美希も、ガラスの無い入口から出た。

良かった...


停めてある車のすぐ隣まで行った絢音くんが、麻衣花ちゃんを 腕から降ろしている。

美希が 麻衣花ちゃんに寄り添うと、絢音くんが こっちへ戻って来ようとしていた。

いや、ダメだ。もし こいつが、絢音くんに移っちまったら...


「あ... あやと くん」


ガチガチと歯を鳴らしながら

「先に、麻衣 花 ちゃんを、病院に、連れて 行って来て」と、車の鍵を取り出した。


「ダメだよ。虎太郎くんも 一緒に帰る。

その子は多分、廃病院ここから出られないよ。

自分で そうしてるように見えるし」


入口まで、あと 2メートルくらいだ。

でも もう、足が動かない。

その足下から

... “おまえは、あの女のことを知っている” という声が響く。何のことだ?

しがみつき、背後から覗き込んでくる男の眼を見て、あぁ、駅前で あの女のことか と理解した。


... “離すものか 俺を連れて行くんだ”


絢音くんが入って来ちまう。青黒い男には

「わかった。連れて、行くよ」と 返したが、がくん と折れた膝が 床に着いた。


「連れて 行くから、歩 かせて、くれ」


膝のだけでなく、両手も前に着いちまった。

腹の皮膚がピリピリと痛む。無理に引っ張って裂かれるように。


「虎太郎くん」


床から目線を上げると、ジーパンの足が見えた。

絢音くんが戻って来ちまってる...


「行こう」


絢音くんは 隣にしゃがむと、しがみついている青黒い男を意に介さずに、俺の胸の前に片腕を差し込んで、床に着いた手を離させた。

でも、立てる気がしない。


「及川くん」


絢音くんが、俺の横に目を向けている。


「出られないのが解ってるから、虎太郎くんの邪魔をしてるんだろ?」


... “違う” と、床から声が這い登ってくる。

... “重くなるのは” と言って、声が途切れた。


「怨んで怒ってるせいだと思うよ。

それは理解 出来るけど、復讐までしようとしているからだ。

それも、理不尽にでも、自分の気持ちを晴らすためだけに。

君が無関係の人を呪って どうにかしたら、君の ご家族や友達は どんな気持ちになると思う?

君の被害者になった ご家族や友達は?

俺は、こうして会うまでは、君が怖かった。

得体が知れないものだったから。

でも今は、ただ哀れに見える」


背中に居る青黒い奴から、何かが急激に溢れ出したのが分かった。

それが床に広がって、壁に這い上りだしている。

今 絢音くんが言ったことは、こいつが触れられたくなかったことだったんだ。

背中の裏に感じるからの腹の下で、溢れ出している青黒い男の臓物がうごめいている。

... “怨むことも許されないのか?

“理不尽な目に合ったのは 俺なのに” と。


「虎太郎くんからも、離れてくれ」


絢音くんが 俺を立たせようとしているが、男は尚 一層に しがみついた。


... “連れて行け 俺を”


広い待合室に声が こだましている。

受付カウンターの方から 何かが割れる音がした。

くぐもった音のそれは、外されずに残っていた 蛍光灯のようだ。カバーの中で割れたのだろう。


「虎太郎くんを離してくれ。

俺が話したことを 本当は解ってたから、動揺してるんだろ?」


俺の片腕を取って 自分の肩に回させ、青黒い奴が しがみついているのも構わず、俺の背に腕を回し、支え起こした 絢音くんが言うと、割れずに残っていた 一階の窓ガラスにヒビが入っていく。

ヒビは拡がるたびに 車のヘッドライトに煌めいた。


... “俺を 独りにするな!”


ひどく哀しくなった。


いやだよな 独りで居るのは

こんな場所に縛られて。

でも自分では、どうにも出来ないのだろう。


「絢音 くん、俺... 」


ここに居るよ と 言いかけると、絢音くんが

「ダメだ」と遮った。


「そんなのは 同情でも優しさでもないよ。

虎太郎くん、俺の話 聞いてたよね?

流されてるだけだよ。麻衣花みたいに」


... “独りにしないでくれ 頼む たのむ” と 声が充満している。


「虎太郎くんと 美希ちゃんは、俺を助けてくれた。何度も。

一緒に帰ろう」


拡がり煌めいていたヒビが 一斉に弾け飛んだ。

きらきらと それが落ちて音を立てた。

... “いやだ いやだ おいていかないでくれ” と、男が泣いている。


ふと、聞き慣れた音に気付いた。

穴になった四角い窓枠の向こうから、二つの灯りが近付いてくるのが見える。ヘッドライトだ。

俺の車の隣に、一台の車が停まった。

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