22 原沢 美希
「この脇道だよな?」
絢音くんが「うん。倒木があるかもしれないけど」と 答えると、虎太がハンドルを左に切って、白いコンクリートの道に入った。
誰も、何も言わないけど、メッセージの通知が途切れたことには気付いてる。
それなら、公園から展望台までの登山道の前に、まずは病院で 麻衣花を探さなくちゃ。
どうか無事でいて... と 願っていても、不安に押し潰されそうになってしまう。
お願い... どうか、どうか...
「倒木は退かされてたみたいだな。
駐車場が見える」
後部座席から身を乗り出して、虎太と絢音くんの間から前を見てみると、この道と同じ白いコンクリートの駐車場の先に、灰味がかった白い建物が見えた。
壁の 一部がない ってこともなくて、比較的 きれいだけど、醸し出してる雰囲気は いかにも廃墟って感じがして、ごく っと喉が鳴ってしまう。
人が入らなくなった建物って、どうして あんな風になるんだろう?
「ニュースで見たバリケードテープも、もう外されてるね」
絢音くんが言ってるのは、黄色い規制テープのことかな? うん、外されてる。
虎太は 車を廃病院の真ん前に止めて、中をライトで照らしてみてる。
「真っ暗だな。懐中電灯、あったよな?」
虎太に聞かれて
「トランクに入れたままだったと思う」と 返すと
エンジンを掛けたまま、車を降りた虎太が確認に行った。
何かの時のために、ペットボトルの水だとか簡易テントだとかも トランクに積んでるの。
「よし、あるわ。一本だけど」
トランクを閉めて、戻った虎太が エンジンは切ったけど
「多少ならイケるだろ」と、ライトは点けっぱなしにしてる。
駐車場も暗いし、廃病院 一階の正面部分が照らされてるから助かるけど、バッテリー 上がっちゃったら どうするんだろう?
麻衣花が居たら連れて帰るのに、タクシー 呼ぶの?
でも、虎太が降りると同時に 絢音くんも降りちゃったし、遅れを取らないように私も降りる。
さっさと歩き出しちゃうから
「ちょっと待ってよ!」と、虎太のシャツの裾を掴んだ。
入口のガラスのドアは、右側が ほとんど無い。
こんなの、入り放題になっちゃうじゃない。
ベニヤ板か何かででもいいから、封鎖したらいいのに。
病院の中には、車のライトに照らされてる私たちの影が伸びてる。
「美希ちゃん、大丈夫?」
絢音くんに聞かれて、虎太にも
「車で待っててもいいぜ」なんて言われたけど
「懐中電灯、貸して」って、虎太の手から取った。
車で待つ方が ごめんだし、私は 麻衣花を見つけて連れて帰るの。
「入るよ」って、ガラスのないドアに足を踏み入れると、ザワザワザワっと 背中に何かが駆け上がった。
次に入った虎太も
「急に、さ... 」って 言ってるけど、その先は
「変わってない!」って遮ってみた。
雰囲気に押されたり、飲まれたりしちゃダメ。
「別に、ビビったみたいなこと言ってねぇだろ?」
今、白状しちゃってるじゃない。
でも、言い合いしてる暇なんかないし。
絢音くんも入ってくると、待合室みたいな場所を さっさと左の方へ歩いて行って
「階段はあるけど、地下に降りるところはないね」って 報告してくれながら戻ってきてる。
「地下の階段は、あのドアじゃないのか?」
虎太が顔を向けているのは、L字形の病院の通路を曲がったところ。
あのホームページの見取り図では、あっち側は入院棟だった。
階段の前にドアがあるとは思ってなかったけど、地下へ降りる階段の場所は、あのドアの辺りだと思う。
「行こう」
車のライトが届かない角のところまでくると、懐中電灯を点けて、足元を照らす。
危ないものは何もなさそうだったから、ドアを照らした。
重たそうな鉄製の両開きのドア。
絢音くんが、ドアのハンドルに手をかけると
「今、何か言った?」って、虎太が聞く。
絢音くんは普通に「いや」と返してるけど、私は
「聞こえな」い! って言い切ろうとして
『... ろされた』って声を聞いてしまった。
ざわっ と総毛立って、固まってしまう。
「何も聞こえてないよ?」
絢音くんは、本気で言ってるみたい。
そのまま ハンドルを下ろして、重たそうなドアを引いてる。
「そっか、
ハハ って笑った 虎太に大きく頷いて、開かれたドアの中を懐中電灯で照らした。下りの階段がある。
あの見取り図、本当に合ってたんだ...
見取り図の中で動いてた 赤い丸の印を思い出して、スカートの下に穿いてるレギンスの中で、ざわざわと毛穴が騒いでる。
鳥肌が立つ部分が 上下に移動を繰り返してるみたいに。
「地下は、外より涼しいね」
絢音くんが さっさと降りて行くから、懐中電灯で足元を照らしながら 虎太と続くけど、もう夜は肌寒くなった この時期に、地下の方が涼しいなんて...
明らかに変な寒さなんだけど、口には出さないようにしなきゃ。
「地下の、一番奥の部屋だったよね?」
絢音くんって、こういう場所 怖くないのかな?
もう、階段の下に着いてて、奥に目を凝らしてる。
「ニュースでは、そう言ってたと思う」
虎太と降りて、通路を奥まで照らすと
「何か落ちてる」って、絢音くんが走り出した。
「警察が調べたんだから、そんな訳ない」って 走って追う虎太を、私も追って走る。
そうだよね... じゃあ、麻衣花の?
途中で、何か白いものが見えた気がしたけど気にしない。たぶん 置きっぱなしにされたシーツか何かだから ってことにしないと。
通路の 一番奥で止まって、しゃがんだ 絢音くんは、床に落ちてた物を拾ってる。
「サンダル?」
懐中電灯で照らして、あ! って気付いた。
麻衣花が入院するはずだった病院で、ベッドの下に置かれてたサンダルだった。
麻衣花は、ここに居る。
「麻衣花!」
ドアのハンドルを握ると 氷みたいに冷たくて、身体を ビクッと振れさせてしまったけど、負けずに開ける。
「麻衣花!」
居た...
ドアのすぐ前に、足を崩して ぺたんと座ってる。
良かった... あぁ、良かったぁ...
胸に広がった熱いものが、喉や眼の奥に込み上げてくる。
部屋の中に入った 絢音くんが、麻衣花の背中に腕を回すのを見て、虎太も ほっとした顔で
「麻衣花ちゃん、帰ろう」って言ったけど、私たちの後ろで ドアが閉まって、しゃがんでいた絢音くんと麻衣花を 押すかたちになってしまった。
なに? なんで... ?
かろうじて 二人にも 虎太にも当たらなかった懐中電灯の灯りは、部屋の真ん中を照らしてた。
黒っぽくて、大きな染みがある。
染みの中には、横たわった人に見える 形の跡が...
染みの先で 何かが動いた気がして、導かれるように懐中電灯の灯りを向けた。
黒い人影... 男のひとの
待って。光源は ここにある。
私たちの前に、麻衣花と絢音くんが座ってるのに、あんなところに 誰の影も出来る訳がない...
人影は、床から足の裏を離さずに、擦るようにして 半歩 前進した。
“あの男は”...
ブワッ と鳥肌が立つと共に 身体の中で内臓も浮いて、片手で 咄嗟に虎太にしがみついてしまった。
懐中電灯の灯りが がくがくと揺れてる。
床から身体に這い上がってきた声は、電話の声と同じ声だった。
「何? 何か言ってる?」
普通に言った 絢音くんが、私に振り向いて
「美希ちゃん、ごめん。麻衣花を頼める?
これも借りるね」と 立ち上がると、私の手から懐中電灯を取った。
返事を返すどころか、頷くことも出来なかったけど、虎太が
「麻衣花ちゃん」と 呼びながら、麻衣花の両脇の下から腕を回して、麻衣花の背がドアにつくくらいまで下げさせた。
「美希、麻衣花ちゃんと居ろ」って、私たちの前に立ってる。
絢音くんが照らす懐中電灯の灯りが、浮かび上がらせる人影の足元から腰へ、胸へ... と上がっていって、人影の顔を照らした。
「絢音くん、やめとけって... 」
虎太が止めても、絢音くんは
「被害者の人が居たりする?」って、やめなかった。
「そう、たぶん そうだから」
虎太が言って
「もう出よう」と、絢音くんの肩に手を載せた。
「及川、
絢音くん、やめて...
「麻衣花」と、やっと絞り出して、隣から抱きしめたけど、麻衣花の身体は
麻衣花は、何か言ってた。
口の中で話しているように 小さな小さな声で。
よく聞き取れなくて、俯いてる麻衣花の横顔に耳を近付ける。
少し、聞こえた。
「どうして... こんなところで、俺が... 」って...
“俺が”?
「麻衣花... 」
回した腕に力を込めて、また名前を呼ぶ。
違うよ。麻衣花は及川くんじゃない。
泣きそうになりながら、もう 一度 名前を呼ぶ。
ねぇ、麻衣花 こんなの やだよ...
どこにも いかないで。
「及川くん、だよね?」
絢音くん、どうして普通に話してるの?
虎太も もう、牽制はしてない。
二人の間から見える人影は、懐中電灯に照らされながら、影じゃなくて、人の形になってた。
灰色の肌の。
大人になってるけど、何となく見覚えがある。
でも さっきまでは、黒い影だったのに...
絢音くんが、名前を呼んだから... ?
「麻衣花は、スマホを失くしただけだ。
君には何もしてないよ。
ここに君を呼び出したのも、麻衣花じゃない」
灰色の及川くんは、絢音くんの後ろに座り込んでいる 麻衣花を見てる。
絢音くん越しなのに、どうしてか “麻衣花を見てる” ってことは分かる。
「麻衣花のスマホで呼び出されたのかもしれないけど、君が ここで会ったのは、麻衣花じゃなかったんだ。よく思い出してほしい」
絢音くんが続けると、灰色の及川くんは
... “思い出せ、と?” と、口を動かした。
声は床を伝って、身体に登ってくる。
その口内は真っ黒で、深い闇の居所みたい... って、頬にまで鳥肌が立った。
「んっ... 」
俯いてた麻衣花が、より身体を丸くした。
胸の中で心臓が早鐘を打つ。
なに... ? どうしたの?
お願い、何も起こらないで
「絢音くん... 」
虎太が警戒するような声で呼んだ。
灰色の及川くんは、また 足を擦りながら近付いてきて、二人のすぐ前にいる。
あの 黒い染みの場所に。
... “手を、縛りやがって”
床を伝わっていた声が 今は壁にも反響していて、もう どこから聞こえているのか分からない。
寒気だけでなく、だるさも増していってる。
指先すら 動かせる気がしない。
及川くんは、灰色の右腕を動かすと、自分のシャツの裾を握って、胸の下まで
ブツ っという、鈍くて鋭い音が響いた。
及川くんの鳩尾から おヘソにかけて、真っ直ぐに赤い線が走っていく。
その線は、ジーパンの中の下腹まで届いたようで、赤い線は 陰部の上で止まった。
呆然と見ていると、また ブツっという
左の肋骨の下、及川くんから見るなら右側から、赤い線が 真横に走る。
交差した 二本の線は、内側からの圧力に耐えられずに割れて、ぞろりとした長いものを零した。
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