7 及川 浬
青黒い俺が運び出された。
干乾びかけていたものまで全部。
ずっと騒がしくしていた奴等が運び出していった。
壁や床まで写真を撮り、靴底の跡まで探し、ドアノブや 結束バンドが食い込んだ青黒い俺の手首、ジーパンのボタンにまで粉を
そうして、乾いた黒い血の跡と 俺だけが残った。
ドアは閉じられている。
もう、あの青黒い俺を見ていることは出来なくなってしまった。
あいつ等に “お前達も同じようにしてやる” と見せつけることも。
俺の中から
それとも破棄されるのだろうか?
だが 一番 悔しいのは、今田のスマホを持って行かれたことだ。
あれが無ければ、あいつ等を呼び戻すことが出来ない。
それなら こっちから探してやる と、ドアへ向かおうと試みるが、足を動かせない。
どうしてなんだ?
くつくつと腹の中が
その度に、足の重みが増すように思えたが、自分では どうすることも出来なかった。
自分 自分とは、何だ?
青黒いもの。あれが俺だった。
それなら、俺は誰だ?
あの身体 全てを失った俺は、もう俺じゃないんじゃないか... ?
滲み出し覆うもの。俺の腹の奥底から。
それに捉われていく。
憎い憎い憎い憎いと止めどなく恨む。
どうしようもなく憎い。怒りが充満し、滲み出し覆う。
怨恨の塊。それ自体が 俺なのだろう。
行かなくては。あいつ等を探しに。
白く煌めくもので 青黒い俺の腹を裂いた男と、強烈なライトで照らしながら、ビデオカメラのレンズを向け続けた女。今田。今田と...
何度も繰り返し あの情景を思い返す。
憎しみは薄れることなく、深く深く濃密なものとなり、滲み出し続け、床から壁をも覆ってゆく。
... “浬、かいり!”
... “浬、あぁ どうして... ”
突然、耳元に声がした。よく知っている声が。
ギュッと胸が疼く。
嘆き悲しむ声は 嗚咽を洩らし、すすり泣く音へと変わっていく。 俺は...
やがて 音は遠ざかっていった。
... あれは、父さんと、母さんの声だった。
分厚く黒い袋に収められ、運ばれて行った俺に会ったのだろうか... ?
あんな姿の俺に...
父さんや母さんの顔を思い出す。
最後に会ったのは、一昨年の正月だった。
父さんと酒を飲んで。
母さんは、俺の好物ばかりを作ってくれていて、ずっと笑顔だった。
実家から そんなに離れている場所に住んでる訳じゃない。
たまに会う度、少し老けたようにも感じるが、二人共まだ元気で 心配になるような歳でもない。
いつでも会える... そう思っていて、昨年の正月や夏は帰らなかった。そう思っていたんだ。
滲み出していたものが途絶えていたことに気付く。
自分 とは...
俺は 身体を失っても、及川 浬だ。
父さんと母さんの子だった。
そう思い返した時、キ キィ... と 閉じられていたドアが軋み、広げた片手の幅程の間が空いた。
『あぁ、ひどいねぇ... 』
そこから顔を覗かせたのは、白い男だった。
髪も顔も衣類も、全てが白い。
歳は、五十代半ばくらいか?
半分 透けている男は、手を使ってドアを開けた訳じゃなさそうだ。
空いたのは 広げた手のひら大でも、ドアや壁に隠れているはずの身体の部分も透けて見える。
じっとりと俺を見つめている男からは、消毒液か何か... 病院で嗅いだことのある匂いが漂ってくる。
よく見ると、医者が着ているような白衣を羽織っていた。
『ずっと叫んでいたけど、ようやく落ち着いてきたようだねぇ...
病院中に響いていたよ... 』
叫んでいた? 俺が?
『そりゃあ、悔しかっただろうからねぇ...
わかるよぅ... 』
男は ひとりで話し続けた。
『私は、この病院に勤めていた医師だったんだよ...
同じ医師の中では、多少 名の知れた外科医だった』
最初は、ぼんやりと響くように聞こえていた声が、だんだん はっきりとしてきた。
男にしては高く軽い声をしているが、男が発しているものは、粘り気のある暗いものだ。
それが鬱陶しく、苛立ちを誘う。
『本来なら どうにか助けられた患者を、故意に死なせていたことが発覚してしまってねぇ...
意識のある患者も、その家族も、“どうか助けてください” と、私を神のように崇めていたのに』
“助けてください”...
『カルテや手術の記録の詳細が洗い直されて、看護士たちも私に不利な証言を始めた。
追い詰められた私は、霊安室の固いベッドに横たわって、ある薬液を注入したんだ。
眠りは、速やかに安らかに訪れた』
自死を選んだ ということか?
苦しまない方法で?
それなら、こいつに死なされた患者の遺族は、誰を恨めばいいんだ?
散々 死なせてきて、勝手な...
『だが、それは 一時的なものに過ぎなかった。
こうして ここに居るのだから。
病院も潰れてしまったというのに、自分で死に場所を選んだからか、私を
病院内だけなら、歩き回ることは出来るのだけどねぇ... 』
そうだ... こいつは、霊安室から出ている。このドアも開けた。一体 どうやって...
『君を裂いた男は 酷かったねぇ。
私なら、腸まで傷つけなかっただろうに』
じっとりとした視線や下卑た口元が また苛立ちを誘う。
見てた ってことか?
死ぬまで 泣きながら懇願していた俺を。
『ほら、そうやって垂れ流すのが いけない』
男は、俺の胸や顔を指した。
煮えた腹から充満し 外へ溢れる
『内にね、籠めるんだよ。心を外に向けるのが いけない。
“わかってくれ わかってくれ” と願わずに、“わからせてやる” んだ。相手に。君が、自分でね。そう決意しなければ。
そうすれば、動くことくらい出来るよ。
この病院から出られなければ、あいつ等を探しに行くことは出来ない。
こいつのように 院内を歩き回ることに、意味なんかあるのか?
この部屋から範囲が少し広がるだけだ。
だが男は
『君は さっき、電源が入っていない携帯を動かしていたね。
人は思考や認識をする時、脳の神経細胞が電気信号を発するんだ。発火が起こる。神経細胞の
これによってネットワークが出来ている。
そういえば、一階の受付の裏にある事務室には、パソコンが残されていたよ。古いものだったけどね... 』と 口元で笑うと
『そろそろ、回診に行こうかな。失礼するよ』と下がり、ドアが閉まった。
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