3 及川 浬
気が付くと、暗闇の中に立っていた。
いや 暗闇じゃない。
打ちっぱなしのコンクリートの壁が見える。
それに四方を囲まれているようだ。
窓はない。
天井を見上げると、味気なく 二本並んだ蛍光灯が見えた。灯りは点いていないが。
どこかの部屋の中央に立っているようだ。
いやに ぼんやりとする。
窓もなく、灯りが点いてもいないのに、どうして周りが見えるんだ?
倉庫 倉庫を思い出した。勤務先の。
でも ここは倉庫じゃない。倉庫には窓がある。
四六時中 灯りも点いている。
もっと広くて、左右の壁も、倉庫内も、まっすぐに並んだ棚だらけだ。
棚には、ダンボール箱が積まれている。
床と壁、ダンボールの箱とスチール棚の色。
忙しく走り回る人や、フォークリフトがなければ、三色しか色がない。
いや... ドア。ドアの色。
倉庫のドアは、くすんだ紺色だった。
ここのドアは どこだ?
前の壁にも 左右の壁にもない。
だったら後ろだろう。
だが何故か、振り返ることが出来ない。
身体も足も動かなかった。
そのまま、どのくらい経っただろう?
窓も灯りもないせいなのか、時間の経過の感覚もない。
自分の足元に目を向けようと 視線を落とすと、床に何かが落ちていることに気付いた。
薄く、手に収まる程の大きさの、四角い物。
あれだ、何と言ったか? そうだ、スマホだ。
画面を下に向けたスマホには、プラスチックのケースの中央に、指を通すリングが付いている。
俺のじゃない。
懐中電灯の明かり。
... “簡単に引っ掛かったねー”
光景が蘇ってくるのに、強烈なライトで俺を照らしていた女の顔は
... “座れ”
くぐもった男の声も蘇る。
身体や足は、動かなかったんじゃない。
振り返りたくなかっただけだ。
ゆっくりと振り返ると、そこには
血溜まりの中に倒れている俺があった。
結束バンドで拘束された手首。
横向きに倒れ、自分の腹から
何も映さない眼が開いている。
ああ
ああああああそうだ俺は殺された
殺された... 殺されたんだ!!
腹を十字に割かれ、中身が膝に落ちた。
生温かく、濡れていたそれを集めたかったのに、手首は後ろ手に拘束されていた。
拘束されていたんだ。見ていることしか出来なかった。温度を失っていくそれを。
妙な頭部をした男の顔は、強烈な明かりのせいで影になっていた。
無言で俺の前にしゃがんでいるだけで、助けては くれなかった。
その背後に立っていた女もだ。
ビデオカメラのレンズ越しに俺を見ていた。
懐中電灯で俺を照らしながら。
俺は、“助けてくれ” と、声にならない声で言ったのに、理由も分からず “許してくれ” と懇願までしたのに...
どうして こんな目に合わなければならなかった?
他人から見れば、大した人生じゃなかっただろう。だが、人に迷惑も掛けていない。
“助けてくれ、頼む” “許して ください”
“お願いだから、これを 集めさせて、ください”...
何故、泣きながら声の出ない口を動かして、懇願しなければならなかった?
血も通っていない あんなクソ共に。
俺は、神に許しを請うかのように懇願したのに、俺の生死を握っていた あいつ等は、俺の死を何とも思っちゃいなかった。
人 とも、思っちゃいなかった。
寒くなって、小刻みに身体が震えて、声が出ないどころか、息も出来なかった。
それでも ヒュ ヒュ と 喉が鳴る。
とうに力も抜けていたが、どうにか中身を集めたくて、渾身の力で身体を傾けて 冷たく濡れた床に倒れた。
ああ
ただ、そう思った。
酷い匂いも 寒さも もう感じない。
照らされている俺の中身は、艶めいていて綺麗だった。
こんな色をしていたのか。
... “おっ、上手に描けたなぁ”
いつも寡黙な父が、三日かけて描いた “ぼくの町” の絵を見て、嬉しそうに 大きな手を頭に載せた。
真夏の日差しが 庭の花木に降り注いでいた。
あれは、いつだったのか。
木に登って見た景色。
転んで顔に付いたグラウンドの砂。夕焼けの通学路。川沿いの桜の花片が流れていく様。
ケンカした時の親友の 泣くことを堪えた赤い顔。
花火の音と火薬の匂い。空に残った煙。
はじめて彼女が出来た時の高揚感と、その子の照れた顔。
こたつで寝転んでいると、必ず猫が乗ってきていた。
... “
最期に聞こえたのは、俺を呼ぶ母の声だった。
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