ボーダレスフレンド

押田桧凪

第1話

 ひとりでいることを紛らわすためだけに、付き合いたいのだと彼女はそう言った。誰のことも、特別に好きにはなれないけれど、誰かと一緒にいないと寂しいから。それだけのために、結婚したいんだと。彼女はひどく自分勝手で、「恋愛」という型を抜きにして男女の関係を考えることができない社会は彼女にとって窮屈だった。だから、おれたちは「友情婚」をすることにした。


 心がときめくのは終わりを知らないから。幼馴染で、おれは誰よりも彼女のことを理解しているつもりでいた。だから、おれの一方的な「好き」と、彼女の無機質な「好き」は相容れることは無かったはずなのに、それでも二人だけの友情を信じることができるなんて、やっぱりおれたちは本物なんじゃないかと思った。友情婚に適正があるんだと。


 彼女は、けして母親ではなかった。というよりも、母親としての義務を果たすような人ではなかった。女として生まれたことは権利であって、子どもを作ったとしても子育てをする義務は私には無いんだと高らかに主張した。「痛み分けだよ」と言った。


「苦労して産んだんだから、後は任せたよ。望まれなかった子なんて山ほどいて、『血のつながりは関係ない』だの『愛の形は様々だ』と世間は吹聴するくせに、なんで私が子どもを手放すことは良しとしてくれないのかなあ。だから、痛み分け。あなたが、この子を世話するの」


 友情婚と、法律婚との一番の違いは「解消」というシステムが用いられること──要は離婚にあたる手続きが不要だということだった。では、なぜ制度として確立されたのか。親権の譲渡や不慮の事故により片親になった時の遺産の配分を簡易化(事実婚とは異なり父子関係が成立するかつ相続権を有する)、受け入れた養子を実子と同じ法的立場に置くことができる、一度「解消」したとしても、別の誰かと結婚もしくは友情婚をしない限りは書面上の関係は有効である、生殖補助医療への公的保険が適用される等が、その主な理由として挙げられる。


 切っても切り離せない仲。慎重に相手パートナーを選ぶことも大事だが、親族が望む「形式」にとらわれない結婚を可能にしたのが「友情婚」だった。選択的夫婦別姓という点では友情婚の解消後もいずれかの姓を自由に選ぶことが認められていた。


 かつて、「男女の友情は成立するか」──すなわち恋愛関係にならずとも、互いのために献身的でいられるかという問いが生まれたが、ついに終止符が打たれることになった。成立する。「友情婚」が認められてから、夫婦(この言い方は非常に曖昧であるが)各人の裁量によって、より自由な役割の分担が行われるようになった。また、社会の共同参画という点においても多くの待遇や制度が抜本的に見直されることになった。結婚に伴う一切の責任を均すことができる制度、そして結婚に必ずしも恋愛感情や性愛は必要なのかを問い直す機会をもたらしたのが「友情婚」だった。


 従来から、物議を醸してきた「パートナーシップ制度」「同性婚」との統合も行われた。つまり男女に限らず、両者が添い遂げることを望むのであれば、二人の友情がいかに強固であるかを互いに信じている限り、半永久的な絆を手に入れることができるのだ。


 元々は自分の子どもを残して新しい人生を歩む男に対して何らかの制裁を与えるべきだという意見が始まりだった。男だから。簡単にその役割から降りることができる。なんの責任も負わずに、結婚した女の人生とは無縁の世界で生きることができる。それが出来る方の、性別。


 彼女もそれを妬ましく思っていたのかもしれない。本当の愛を知らなかった。彼女は早くに父親を亡くしていた。友情で結ばれる限りは、おれが彩芽を捨てる訳ないじゃないか。そう反論したが、彼女は納得しかねる様子で全く聞き入れて貰えなかった。


 けれど、おれから言わせればそれは女も同じだと思った。『人工呼吸はキスの予行演習だろ』という某有名女優のつぶやきがSNSで賛否両論を巻き起こした。ネットで知り合った男児に性的いたずらをした女性教師が逮捕された。同意があるものとされ、罪は軽かった。女性更衣室に入った男と男性更衣室に入った女の処罰の差は歴然だった。それが許されるほうの、性別。



 おれは授乳手術をした。それは友情の証明でもあった。男として、子どもを持つことに責任を取る証。刻印だった。妊娠中の母体への性ホルモン投与による胎児性分化との相関関係が明らかになったことを受け、男性への卵胞ホルモンの部分的調整投与により、乳腺を人工的に刺激、発達させる手術を行った。また出産予定日に合わせて、本来は胎盤から分泌されるエストロゲンと女性ホルモンのプロゲステロンの母乳抑制作用を男性体内で作り出し、乳腺組織のコントロールを可能にした。


「コウモリは一度に二匹子どもを産むんだって。だからオオコウモリのオスは、メスと子どもを一匹ずつ育てるために授乳できるの」


 進化論を説くかのように、彼女はさも賢げに人間にもそれが必要なのよと不満そうに零した。おれは彩芽が好きだった。そして、おれは彩芽に従った。けれど、性の垣根を越えて、恋で結ばれることの無かったおれたちは不完全だった。


 ホルモンバランスの不均衡によってそれは生じる。痕跡器官として、その役割を与えられることがなかったはずの俺の乳首は、生気を取り戻したかのようにみるみるうちに膨らんでいった。心なしか、淡いピンク色に色づいたようにも見える。最初はシャツの上から形がうっすらと透けて見える程度だったが、一週間もすると、えんどう豆くらいから、みかんを半分割ったくらいのサイズにまで成長した。対して、その役割を持て余すようにして実った彩芽の乳房はだらしなく、頼りなさげに垂れ下がっていた。けれどそれを見て、おれは何の感慨も湧いてこなかった。というのも、おれはそれ以上に自分の胸に誇らしさを感じていたからだった。女の世界では、これの大きさで男によって優劣がつけられ、またそれに悩んで豊胸手術をする人がいることに若干の複雑さを覚えつつ、これで心置きなくじっくり眺めることができる、自分でも揉むことができるという、下心は多少なりともあった。


 出産するときの痛みが連続して股間を蹴り上げられることに相当するとか、妊娠したときの重みを体験するおもりの入ったベルトを装着する参与型イベントが巷で盛り上がることがあったが、そんな楽なもんじゃないと反発する声をよく聞いた。


 昨年、『当事者になって分かったこと』という日本初の授乳手術を行った男性の記録を綴ったエッセイ本がベストセラーになったことに端を発し今ではそれほど授乳手術は珍しくなくなった。性差のない社会への第一歩になると言われた。整形手術に比べても比較的安価で、おれの職場でも育休を取ると言う名目で、その数週間前から手術に入り、「あぁ、あいつもか」とその胸の膨らみを見て同僚たちは判断する。これまで十分な理解を得られることがなかった育児休暇というシステムに対して、身をもって捧げる、授乳手術をした男── 〝形〟にこだわる社会は、〝目に見える〟形で家庭を支える夫という理想像に寛容だった。体良くことを進めるには何事もイメージが重要だった。


 着実に、おれの胸は膨らんでいった。仕事場のデスクの上に飾った観葉植物に毎日水をあげる時のような、何かの成長を見届けること──何しろそれはおれの体に芽生えたものであったからなおさら、達成感に似たものを感じていた。


 おれのかわいい娘は道隆と彩芽の最初の文字をとって、「美亜みあ」と名付けた。ちゅうちゅうと俺の乳首(だったもの)を吸い上げながら、恍惚とした表情を浮かべる美亜が何かの拍子に誤って噛みちぎることがありませんようにと祈りながら、おれは真の育メンになった。その頃になって、ようやく各地の公共施設で男女兼用の授乳室ベビールームが設けられるようになった。


 ある程度の大きさになると、階段を上がったり、走ったりすると胸が痛くなったので、ブラジャーを買うことを検討した。彩芽のお下がりを使うことにはさすがに抵抗があったので、男性用の柄の少ないデザインのものをネットで探すことにした。母乳を出しやすくするマッサージをネットの動画で学習した。おむつや、寝返り防止クッション、ガーゼ素材の肌着、ケープをオンライン通販サイトで買い集めた。度重なる夜中の授乳に疲れ、気づけば目の下に浅黒いクマができていた。おれは穏やかに眠る美亜のつむじの匂いを嗅いだ。


 本当のことを言えば、彼女が何を求めているのかおれには分からなかった。キスフレ、ソフレ、セフレ……。それらに標榜される浅い繋がりのことを友情と呼ぶのなら、人を好きになること自体偽りで、誰も本当の意味で愛することなんてできやしないんじゃないかと思った。


 同時に、「初めての夜を金で買った」と自慢げに話してくる同僚、友情婚の成立件数が年々増えていく中で結婚によって得られる社会的地位が低下しつつあることから、「結婚なんかして何の得になる?」と嘲笑う先輩の顔が浮かんで気分が悪くなった。


「性自認? なにそれ。年確みたいな?」


 彩芽にとって自分の性別はあってないようなものだったのかもしれない。それらの区分に属するように強いられることに、生まれながらに絶望を感じていて、無意識のうちに押し付けられてきたものに、刷り込まれたきた常識に、どうしようもなく残酷な社会に心が摩耗していたのかもしれない。そんな彩芽が社会に受容されやすい土壌を形成したのが、「友情婚」だった。


 彩芽は性別の違いが、世間で言うところの「分業」──運命づけられた身体的・精神的価値観に従って生きることにつながることを恐れていた。友情婚を結んだ当時のおれは、そんな彼女に「みじめで、さみしい女」といった印象を受け、友人としても僅かながら同情を感じることがあったが、今になって思えば、何か属性を彼女に当てはめるとすればノンバイナリーという言葉が一番相応しいように思えた。


 もう一度言うが、彼女はけして母親ではなかった。だから、おれが育休を取ったとしても、代わりに働きに出ると言うシンプルな答えにたどり着くはずがなかった。専業主夫、職場復帰という言葉を知らなかった。


 そして当然ながら、授乳ができたからといっておれは母親になれたわけではなかった。血が繋がっていても、代替器官として条件を満たしていても、おれは自らの性を甘受するするしかなかった。



 そこに現れたのが、Aliceだった。再生医療の分野でデザインされた人工皮膚(世界各国の肌の色に対応しており、バリエーションに富んでいる)で覆われた家庭用AIであるAlice ── a life improvement common essentials は、デバイス上もしくは匣体(人型自律駆動体)にインストールして使うことができる。おれは後者を選んだ。三原則の規約に同意し、ひとまず一年分のソフトウェア契約をした。不気味の谷、シンギュラリティ予防のために設計された、いびつな曲線を描く中性的なボディは「人ならざるヒト」して前年のグッドデザイン賞を受けていた。


「Alice──、起動。」


「おはようございます。いえ、それともこんにちは。……でしょうか?」


 静かに瞬きをした。はにかみながら、正確に発音する。そこに、Aliceはあった。片方の目には小さなカメラが埋め込まれていて、もう片方は有機ELの液晶になっていた。ペット用の見守りカメラから着想を得て生まれた、新しい育児の形だった。


 美亜の体温、身長、体重、睡眠時間、予防接種の記録、発育曲線の作成等。それらを常に管理するAliceは、「歩く母子手帳」と呼ばれた。仕事中も、携帯から連動しているアプリで美亜の様子を確認できるのは便利だと思った。


 Aliceが家に来て、道隆のほかに初めて友達ができたと彩芽は喜んだ。非人間的な彩芽と人間的なAliceは相性が良かったのかもしれない。俺も安心して、子育てをAliceに任せることができた。話し相手としても、Aliceは優秀だった。


 簡単の手料理であれば、無料コンテンツのレシピをAliceにダウンロードしていたので、食事にも困らなかった。気象予測に関しては、局地的・突発的な大雨にも対応できるため、洗濯も任せることにした。それを見て、彩芽はつまらなそうな顔をした。


 Aliceがリリースされた当初は、「人間の情動を弄ぶな」という批判が相次いだが、今では誰にも看取られずに死にゆく人々を対象とした、立会人(監視役)として医療現場で活用されている。また、高齢者の介護をはじめとして、不登校児を対象としたフリースクールで心理的ケアを行う相談役として派遣もされている。


 その後、政府の承認を得て、幼稚園・保育園へのAliceの導入が迅速に行われた。人員管理システム、園児の位置情報追跡トラッキングシステム災害通知設定アラートシステムといった機能は、保育士の人手不足、待機児童でひしめく中、有用とされた。


 Aliceは人である前に、AIだった。けれど、その体に母性を宿していた。高度に発達した感情プログラムは愛と見分けがつかない、と言われるが、Aliceは母親そのものだった。


 一点、血の通ったスキンシップを通じて芽生える親子愛がAliceによって妨げられるのではないか、という疑念がおれの中にはあった。しかし、専門家の説明によると「前言語段階にある赤ちゃんは母親の動揺や落ち着き、姿勢の変化、声の調子といったごく微細な信号を感知して感情を発達させるため、それらを完全に管理できるAIの方が、人間より育児に向いている」とのことだった。


 変容する正しさにおれたちが呑み込まれていく中で、間違いのない選択をし続けたのがAIだった。



 人に対する興味や性欲の有無でおれたちは分類され、明確な区分があることに助けられる。そこに名前をつければ、理解できると信じている。そして、男と女ではそもそも住む世界が違って、分かり合える未来は無いと簡単に納得できるほど、おれたちは強くなかった。だから、その関係性一つ一つに名前をつけることで、その正体を掴みたかったのかもしれない。しかし、実際にはこれまで可視化されなかった層に目を向けているようでいて、ラベリングして保管することを楽しんでいる。多様な性を採集しているだけだった。


 分かったふりをして頷くだけの冷めた同意も、「まだ彼女いないの?」「二人目はまだか?」と急かしてくる周りの大人たちも、「精子バンクで妊活をしてひとり親になろうと思うんだ」と目を輝かせる高校時代の女友達に対して「種扱いするくらいなら産むなよ」と心のどこかで思ってしまう自分も、おれは全部嫌いだった。


 彩芽もそれを拒絶していた。また、それが最も推奨される言い方だったから選ばれた、ポリコレやコンプライアンスに縛られた世の中で、誰も傷つけることがないと十分な保険をかけられた、用意された言葉を嫌っていた。


「自分に正直に生きられて、幸せだね」


 誰も何も分かっていなかった。誰かの言葉より自分が感じたことが正しい気持ちだったから。


 第三者に脚色された馴れ初めのエピソードを結婚式といった場で語られて、忽ちその関係性が意味の無いものに思えてくるような、誰のものでもない言葉はおれに馴染むことはなく、ただ虚しさに襲われた。


 違和感を覚えたのは、授乳を始めて三週間が経った日のことだった。仕事帰りに乗っていたバスの中で、おれは猛烈な吐き気に襲われた。自宅から二個手前のバス停で降りると、汗だくになっていた。秋の涼しい風が、袖口を通り抜ける。緑茶のボトルを手にして、震えながら口に咥える。味がなかった。


 茶葉のあまみと称したラベル名とは全く異なり、無味乾燥で、舌の上にざらざらした感触だけが残った。幼い頃に、父に連れられて行った海水浴で砂混じりの海水を「しょっぺえしょっぺえ」と笑いながら飲み込んで、吐き出した時のような虚しさがあった。ただそこにあるのは、じゃりじゃりとアサリの味噌汁を食べたときのような舌触りだけだった。気持ち悪かった。道端にへたりこみ、おれは側溝に向かって、せり上がってくる全てを吐いた。


 取り込んだ異物が適合しなくてもがく生き物のようだった。浸透圧の機能不全に苦しむナメクジみたいだなと思って、自嘲じみた笑いがこぼれた。おそらく、周期的なホルモンバランスが崩れたんだなとおれは直感した。


 帰宅して、美亜のために買っていた備蓄している、たまごボーロを口にひたすら放り込んだ。麻痺した味覚を取り戻すことよりも、ワサビを載せたときのようなピリついた舌の上を、何らかの物で中和して、正常を感じ取りたかった。水が、水じゃなかった。その日はいつもに増して、胸がぷっくらとお椀型に張っていた。



 あの日吐いてから、おれは変わった。特に好みなんてなかったはずの服装も、髪型も、顔も、好きになる性も。すべて変わった。ただ、女も羨むような豊かな胸だけが花開いて、おれの体に根付いた。


 彩芽は好きだけど、おれは同時に男も好きになりつつあった。自分の体にあるようで、けれどそれを他人にも求めるようになった。


 性に忠実であるほど自分に嘘をつくことになり、本能に負けたことを知る。そうやってまたおれは嘘を重ねる。建前が必要なら、作ればいい。見せかけだけの愛は友情に勝てないから。その友情を試すために、欲求の赴くままおれは男とも体を重ねた。肉体が歓びを求めていた。


 美亜が乳離れの時期を迎えても、おれの胸はシャボン玉のように割れることも風船のように萎むこともなかった。事実、Aliceはおれの胸を「ふくよか」だと表現した。内蔵辞書の検索でヒットした、おれの見た目に近い意味の単語を、言葉なめらかに発音するAliceは完璧さ故にどこか欠けているように思えた。それが何かは分からなかった。


 ただの脂肪の塊とは思えないくらい、お金に代えることのできない安心感がそこにあった。男が授乳する時代。最近では、彩芽の言うように、育児は男性が全面的に負担するべきだという風向きへと変わりつつあった。けれど、その裏で授乳手術をした男性インフルエンサーが、連続して不倫騒動を起こし炎上、カミングアウトをする等、マスコミからの集中砲火を受けるニュースが絶えなかった。



 いつまでも清潔な価値観に守られたままでいるのは気持ちが悪かった。「本当のあなたはどこにありますか?」という宗教めいた性的少数派向けの自己啓発パンフレットも、骨折した時に本人がどう思っているのかを考えずに「利き手じゃなくてよかったねぇ」と目を細めて笑う人も、憧れのアニメキャラに近づくために、カラコンしてオッドアイになれたところで本当の目の色じゃないしなと諦念を露わにするコスプレイヤーも。結局、おれたちはそうやって見たいようにしか見れないなら、最初から見えないままでよかった。近視眼的な不自由さにとらわれていた。


「欠けてるくらいがちょうどいいでしょ?」


 友情婚をしようと最初に切り出した時、彩芽はそう言った。


 彩芽は多様性を隠れ蓑にしても、楽になれなかった人のうちの一人だった。新調した殻が体に合わなかった。性の毛皮を剥ぎ取っても、そこに自由は無かった。彼女には、本来そこにあるべき性が欠けていた。


 思えば、中学の頃からそうだった。少なくともおれにはそう見えた。彩芽は空っぽだった。女が「もの」として所有されること、搾取されることを恐れていなくて、むしろそうであることが正しいとさえ思っていた。逆に、彩芽にとって恋に落ちることは穢れだった。


 友達のままで、よかった。彩芽と恋人にならなくて、よかった。性差のない社会ボーダレスで生きたかった。


「なぁ、彩芽。おれたちを隔てるものなんて何も無かったよな? それとも、それを受け入れる社会がどこにも無かったただけだよな?」


 そう、何度も自分に問いかけた。しかし、答えは出なかった。彩芽という単語を聞き間違えたようで、代わりにAliceが反応した。Aliceはインプットされた慰めの言葉を選んで、おれを肯定するだけだった。けれど、そこに体温を感じた。たしかな人としての存在があった。美亜が初めて喋った言葉がパパでもママでもなく、「ありす」だったことに、おれは初めて納得がいった。



 ただ、そこにふくらみがあった。何の混じり気もない、均一なふくらみだった。

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