スチュアート・トラジェットはトラジェット家の当主
僕がこの世界での暮らしを始めてから数日。
いよいよ来るべき日が来た。
と、いうか過去の経験から下手な事はしないで、今まで通りに振る舞うのが無難だと思う。
昨日、先触れが来ていたから心の準備はできている。
遠征で屋敷を不在にしていたスチュアート・トラジェット。
トラジェット家の当主が帰還するのだ。ついでにボクの父でもある。
帰還の挨拶にちょっとだけ顔を出せばいい。それさえこなせば問題無しだ。
そんな気持ちで屋敷の玄関口で帰還を待っている。
スタンリーとアップルトンの二人はボクの横に陣取っている。
この場合、本来は長男であるボクの前や隣に並んではいけないらしい。
最初はボクの目の前に陣取っていたんだけど、クリフォードに指摘されると。ならばと強引に横に並んできた。
と、いうかアップルトンはスタンリーの従者とはいえ、この場合はもっと後ろで控えているべきなのだ。
クリフォードはそう指摘したのだけどスタンリーの我儘が発動。アップルトンが横に控える事になったようだ。
この辺の事情を知っているクリフォードはこれ以上指摘はしなかった。
そのクリフォードやクレア、他の使用人達はずっと距離をおいて後ろで控えている。
他の貴族がこれを見た場合は変な家だと思うのは間違いないとクレアが言っていた。
目の前の砂埃がたつのを眺めながらボクは思っていた。
あ~面倒だな。
砂埃は馬が巻き上げているものだ。トラジェット家の騎士隊が戻ってきたのだ。
そこから一騎駈歩で近づいてくる。ボク達の前でピタリと止まり大音声で告げる。
「ご当主様!ご帰還!」
父が戻って来た。
騎士隊は五十騎程か。遠征時は二百騎程だった。
周辺警戒や怪我人等があるので全部戻ってくるのは数日かかるらしい。
豪華な馬装の馬に動けるのか分からない重厚できらびやかな鎧を装備した騎士が見える。
あれじゃ戦闘に向かないよなぁ。騎士達が優秀だからいいのだろうけど。
他の騎馬は離れて停止して下馬する。
派手な騎士はボク達の目の前に近づく。ボク達は挨拶をする。
一応長男であるボクが声を掛けるのだけど思った通りスタンリーが先走る。
・・本来は騎馬が停止してからなんだけど・・・。
「父上!ご無事のお戻り。スタンリーは嬉しいです!」
騎馬はまだ止まっていないので馬装のジャラジャラした音がうるさい。
スタンリーの声は聞こえているんだろうか?
ま、父にはそれは重要じゃないんだろうけど。
「おう!スタンリー!元気そうだな!父は無事に戻って来たぞ!」
馬を停止し、ガシャリと金属音うるさく下馬しながら喚く。
日々体は鍛えているから重たい鎧も気にしない筋力がある。
日焼けで無精ひげを蓄えた顔は山賊といっても通用しそうな気がするなぁ。
とりあえず挨拶をしないと。
「無事のご帰還おめでとう・・」
「出迎えご苦労!皆業務に戻れ!」
全部言わせないのかよ・・・。
ボクの背後では緊張した雰囲気が伝わってくる。そりゃそうだ。儀礼を全く守ってない。
トラジェット家・・特に現当主になってから、こんな事は多い。
スタンリーは素早く父の元に向かい何やら話をしている。
スタンリーを見るブラウンの目は優しい。ボクをチラリと見た目はいつも通り厳しいんだけどね。
「クリフォード!留守中問題はなかったか?」
ボクを完全に無視して後ろのクリフォードに声を掛ける。ま、クリフォードが責任者に任命されていたからね。
クリフォードの内心は分からないけどいつもの口調で返答する。
「特にございませんな。魔物討伐はつつがなく終了されようございました」
「あの程度なら問題ない。エイブラムの見立て通りだったからな。近隣の村の柵が多少破損した程度だ」
「それは何より。長い遠征でお疲れでしょう。ゆっくりお休みください」
「ああ、その前に例の件を実施するぞ」
「例の件?はて・・なんでございますでしょうか?」
クリフォードは首を少し傾けながら父に確認する。ギリッと歯ぎしりが聞こえそうな程噛みしめている父。その表情は怒っているようだ。
ボクには例の件の意味するところは分からない。どうやらクリフォードは惚けているのかもしれない。
「執務室に来い!そこで話す。ウィンストン!お前も来い!」
待機していた騎士隊の中から痩身の男が出てくる。来年あたりから執事職をクリフォードから引き継ぐウィンストンだ。
騎士隊の鎧はある程度体格に合わせられるけど、それでもぶかぶかな感じがする。痩せすぎなんだよね。剣の腕は全くダメらしい。
父は荒々しい足取りで屋敷の中に入っていく。ウィンストンは小走りにその後をついていく。
なぜかスタンリーとアップルトンもついていく。君達呼ばれてないよね・・。
それを眺めるボクは溜息をつく。しばらくは息苦しい生活が続くかぁ。救いなのは顔を合わせる機会が少ない事だ。
「若様。後程執務室に呼ばれると思いますので遠出等は控えて頂きますよう。歓迎すべき話題ではありませんが我慢ですぞ」
身をかがめてボクに聞こえるようにぼそりとクリフォードが伝えてくれる。
「・・うん。分かった。それじゃ自分の部屋で待っているよ」
軽く頷いたクリフォードは立ち上がって執務室に向かって行く。
それを見送りながら”例の件”について心当たりがあるボクは軽く頷く。父が何を考えているのか理解できた。
一応、本人の口から聞いておかないと確定はできないけど。
使用人達は一人を除いて皆仕事に戻っている。そこにクレアは含まない。
その人が心配そうな顔をしている。
アラベラだ。
今は屋敷の侍女長だけど前はボクの乳母だった女性だ。見た目のにこやかさとは裏腹にとっても厳しい女性だ。
母上の次に頭があがらない女性だ。根は優しいのをボクだけが知っている。母上が亡くなってからボクにとって母のような存在だ。
「若様。ご当主様の態度は褒められたものではございません。ですが、お気を悪くする必要はないですよ。若様は次期当主に相応しい方なのは私が保証しますのよ」
「・・・うん。ありがとう。いつもの事だから気にしないよ。ボクは大丈夫だよ」
「そうですか?私としてはご当主様に申し上げたい事は多々あるのでございますが。若様が宜しいなら黙っておりましょう」
「それで頼むよ。色々覚えないといけない事が多いんだ。変な事に気を遣う余裕はないんだ」
そう。家でのボクの待遇は些細な事だ。ボク達の予想が当たるならボクは色々学ばないといけない。
アラベラは心配そうな目をしているけど。こればっかりはボクではどうしようもない。
クレアを伴い自分の部屋に戻る。
「坊ちゃま。アラベラ侍女長には大丈夫と言われてましたけど。大丈夫ではありませんよね?いざとなればクレア達の実家を使ってください。力になれると思いますよ」
廊下を歩きながらボクにしか聞こえない音量でクレアは言う。相当怒っていたんだ。
あまりクレアを怒らせたくないんだけど。
「大丈夫。ホントだって。そりゃ少しはショックはあるけど。今に始まった事じゃないもの。母上が亡くなられてからだから・・ボクにはその記憶がないから。もう慣れっこさ」
「ソレを日常にされてはいけないのですよ。いざとなれば坊ちゃまの力になる家は多い事。きちんと覚えておいてくださいね」
「ハハハ・・・。分かってるよ。心強いとは思っているからさ。そもそもクレアが一番僕の力になってくれているんだからね」
クレアの頬を僅かに赤く染まったのをボクは見逃さない。・・・本音だよ。
・・ありがとう。
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