第二話 『黒竜の誓約』 その6


 巨人族のジギーは白髪まじりの初老の男で、その顔は彫刻のように静かな無表情で、筋肉の若々しさを失ってはいない人物である。大型の牧羊犬を口笛一つで巧みに操り、ジーンの訪れを確認した今は『仕事に戻れ』と命令を与えていた。


「丘の向こうに牛もいるんだよ。な、ジギー?あの年寄り犬は、そいつらの見張りに戻ったんだ」


「その通り。だが、年寄り扱いはするな。まだまだ現役だ」


「そうそう。オレたちは、若い。全員が、現役さ!」


 軽口を叩くジーンの顔を冷静な瞳が探るように見つめて来た。友人の視線に居心地の悪さを感じる男は、後頭部を指で掻いた。


「……何か、言いたいことがあるのか?……厄介ごとに、巻き込もうとしているのは、謝るべきだとは思うけれど」


「厄介ごとを持ち込むのは、いつものことだ。ガキの頃から、変わらん」


「ぷっ!!……トラブル・メーカーさんですね、ジーンさま」


「どうして、嬉しそうなんだか」


「ティファさまが亡くなられる前のように、明るいことに驚いている」


「そうかな?」


「……再婚するというハナシだったな。狩人たちの噂では、すぐに殺されると」


「フフフ。私の悪女っぷりも、有名なようだ」


「なるほど。貴方が、アレサ・ストラウスさまか」


「ああ。よろしく、ジギー。叔父上の貴重な友人」


「オレに友達が少ないみたいな言い方は、やめてくれないか?」


「間違いでもないだろう。ティファさまを亡くしてから、お前は以前よりも無口で沈んでいた。半分は、ティファさまと共に墓の下にいたが……今日は、昔のようだ。生きることを、少しは思い出したらしい」


 普段、微笑むこともない男の顔に貴重なそれが生まれる。数秒のあいだでしかなかったものの、ジギーは友人の人生の変化を歓迎する笑顔を浮かべた。


 だが、すぐに彫刻のような無表情に戻ると、アレサを見つめる。


「アレサさま、小さいものの私の小屋にお越しください。もうすぐ、夜になります。もてなすことも出来ませんが、やれることは何でもいたしましょう」


「ありがとう」


「ストラウスの一族には、お世話になっていますからな。おかげ様で、この農地を手にすることができた。息子たちを、ファリスの建築士のもとに修行に出せた。内乱から身を隠すお手伝いでは、足りないほどの音がありますゆえ」


「身を隠すのは、一時的なことだよ。すぐに、旅立つ。お前を危険な目には遭わせたりはしない。そうだな、叔父上?」


 確認するように妻であり姪である乙女ににらまれる。アレサには民を貴族同士の争いに巻き込みたくないという意志があるようだ。それを感じ取ると、ジーンは微笑む。


「……いい結婚をしたのかもしれん」


「どうでしょうか?そんなすぐに、そういうのって、判断できないと思いますけど」


「確かに」


「秒で納得するなよ。まあ、とにかく、家に行こうぜ。寒空の下で、ムダに体を冷やすのも良くないからね。明日の早朝には、目的地に向けて旅立つんだ」


「了解だ。ジギー、しばし、世話になるぞ」


「どうぞ。偉大なる竜騎士姫アレサ。そして……」


「メリッサ・ロウです。たんなるメイドなので、気にしないでください。何か、お仕事があればお言いつけを。私は、お姉さまのお世話の全てを任されていますので」


「いいお目付け役がいるらしい」


 ジギーは目の前に現れた三者の人間関係を、悟るように把握していく。友人の人生が以前よりさらに複雑になったようだ。貴族の内乱に巻き込まれ、若い妻を娶り、その妻は『夫殺し』の悪名を持っていて……三角関係であるようだ。


 宿を貸してやることをためらわない理由を探すには、十分すぎる。複雑な結婚生活からの逃げ場を提供してやりたい気持ちにもなるが、おそらく、そうはならないことも嗅ぎつけていた。


 巨人族の大きな鼻が血のにおいを嗅ぎ取っていたからである。三角関係のもつれでもなければ、ただれた新婚旅行でもない。


「どこに旅立たれるおつもりですかな?」


「竜の聖地だ。凶竜ザードと決着をつけ、私の翼とするために」


「……ふむ。それは、何とも危険な旅のようですな」


「まあ、そうだ。だが、必要なことである。それに、楽しみでもあるんだ。あの子に会うのも、久しぶりだから」


 恋焦がれる若い瞳を見る。細めた瞳の奥にあるのは殺意にも似た執着の炎で、血縁が成せる業であろう……それはティファ・ストラウスがかつて見せた輝きにそっくりであった。今回の対象は、ジーンではなく、空に君臨する恐ろしいものであるが。


 三角関係ではなく、もう少し複雑なもつれがあるようだと知的な巨人族は理解した。


 小屋に戻り、屋敷が襲撃されたこと、竜騎士バロウの謀反のこと、ジーンが自分にして欲しい役割を聞くと、あの足跡の主である古い馬にまたがり、彼は夕闇のなかを旅立った。


 もてなしの役目は、メイドに任せておけば十分だと予想していたし、それは正しい見立てであった。この巨人族の小さな小屋たち。食料小屋や、風呂小屋、調理専用の小屋をメイドは楽し気に飛び回り、暖炉の前で作戦会議を煮詰める女主人とその夫のために完璧な仕事をしてみせた。


 仕事をすることは、非常に好ましい。ストレスの解消になった。


 大量の肉で豪勢なシチューを作りながら、メリッサは認めていた。自分が嫉妬に駆られていることを。独占欲の強さも自覚する。自分の有能さへの誇りも自覚する。アレサが、ジーンに惹かれていることも、認めた。


 腹が立つ。


 大好きなお姉さまにではない。


 状況が状況でなければ、貴族の男を一人、毒殺してやる妄想をしているところだ。それを実際に成すための道具はいつも持ち歩いてもいる。内乱の王国を生きるアレサ・ストラウスのメイドは、猛毒の瓶を何本もコレクションしていた。


 アレサが毒を盛られる可能性だってあるから、毒殺の方法も解毒の方法も研究している。だから、推理小説の感情的な殺人犯のように、42才の男をこっそりと殺してやることがどれほど簡単なことかも理解しているのだ。


 だが。


 状況と、女主人の目的を優先する。目的達成のためには、ジーン・ストラウスは必要らしい。腹が立つが、それは真実であった。


 だから。いつものように、最高の料理を作るとしよう。怒りを隠した笑顔で、本物の愛情をシチューに叩き込んだ。




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