第一話 『三度目の結婚式に赤い祝福を』 その4


 結論から言えば、戦いに慣れすぎことへの油断が死傷者を増やしてしまっていた。対立する陣営の貴族が出席していることで、襲撃の兆しはないと知性が判断してしまう。少なくとも、昼のあいだは襲撃など行われないなどと、ガルーナの貴族らしからぬ安心をしていた。


 常識的な判断ではある。


 政治的な力学というものは、それほど暴発を好むようなものではない。長く緻密に、それは成される。欲望の提示と利益の供給によって、あくまでも安定的に組み上げられていくものであった。


不仲な陣営の者たち同士で掲げた盃には、この瞬間の平和を約束するような力がある。少なくとも、いつもはそうであったが―――竜騎士姫の三度目の結婚というものは、常識的ではないらしい。


 それでも。


 才覚というものは緊急事態において身を助けた。


 現役のガルーナ騎士たちも多く出席するこの場所で、最初に動いたのはアレサ・ストラウスである。微笑みながら掲げていたはずの盃を、投げ捨てるでもなく落とした。指を脱力させるだけを選び、指も含めて全身を回避の動作のために使わせる。


 加速し、影のように低く伸びた花嫁は、肉食獣の動きそのもので、愛しいメイドのケットシーに抱き着いていた。


「わわ、わあああ!?」


 メリッサ・ロウに飛びつきながら、一塊となった乙女が二人地面に転がる。おかげで高く山なりに射られた矢からも、水平に撃たれた矢からも、乙女たちの影にすら当たることはなかった。回る視界のなかで、メリッサの優れた動体視力は殺意ある軌道の雨を見る。


 威嚇ではない。


 どの矢も、明確に死をもたらすようにデザインされているものだと感じ取る。彼女の動きから多くを読み取れる慧眼も、類まれなる才能であった。竜騎士の伝統にとっては、良いことである。この襲撃の殺意から、二人が生き残ったことは。


 もちろん、他の出席者たちが無価値な命しか持っていなかったとは言わないが。


「がああああ!?」


「な、なんだと……っ!?」


「き、貴様らが撃ったのか!!」


「いや、お前たちが―――ぐうう!?」


 誰よりも戦場に慣れた竜騎士姫の青い双眸が、冷静さを持って『主犯』を特定しようと酒宴の場を探る。


 少年王エルヴェの支持者たち、そのエルヴェについたクインシー率いるストラウスの本流、政治的な野心を見せたことのなかったジーン・ストラウスの勢力、エルヴェではなく自らが王となるべきと吹聴する豪胆な貴族たち、竜騎士もいるし……貴族も祭祀神官もいたが、どの勢力にも矢が注ぎ、死傷者が出てしまっていた。


 誰もが驚いている。


 この状況を作り出すために、加担していた者がいたとしても、その者にもまた矢が容赦なく降り注いだのだろう。


「……つまり、政治と呼べるほどに、穏やかなものではない行いか」


「お、お姉さま――――!?」


 アレサが獣のように動く。地を這う姿勢のまま、メリッサの体を引きずるように前身し、その勢いが止まれば、メイドの体に抱き着いたまま横に身を回転し……牝牛を丸ごと焼いた肉の塊が置かれた宴のテーブルの一つにすべり込む。頑丈なテーブルの下へと潜った。矢の雨がいくら降っても、牝牛の肉と骨と、レッドオークの分厚い板が乙女たちを守る。


「さあ、今度は戦化粧と行こう」


「……っ!?」


 ナイフを取り出すと、花嫁のための美しい白いスカートを切り裂いていく。跳び回って戦いをするには、長くて魅力的なスカートは適さない。ワインと土に汚れてはいたが、それでも雪のように純白であった繊維が散切りに断たれる光景は、メイドの心を傷つけもした。


「もったいない」


「そんなことを言っている場合ではないさ。悲鳴の数が、多すぎるからね」


 婚姻の宴席に、暗殺者たちが雪崩れ込んでいた。無差別に斬り捨てて回る者もいれば、主のもとに集おうとする者もいる。男も死に、女も殺されていく。容赦のない暴力は、やはり政治的ではなかった。


「……すべきことは、一つか。メリッサ、隠れておけ」


「いいえ。私も、可能な限り、援護いたします。小柄で素早いケットシーで、しかもメイドですから。狙われやすくはないでしょう」


「目立って出しゃばり、過度な危険を招くなよ?」


「……もちろん。お姉さまの戦いを、邪魔することはいたしません」


「それでいい!!」


 竜のように笑う。それが戦場でのストラウスの一族だった。


 アレサが獲物を見つけた猟犬のように喜び跳ねて、テーブルの砦から飛び出した。低い姿勢ではあるが、速いその動きは、ほとんど無音のまま武装して返り血に染まった襲撃者の背後を奪う。


 敵は気づいたが、竜騎士姫の殺意に対処するにはあまりにも遅い。花嫁の逆手に握られたナイフの牙が、暗殺者の首に突き立てられて、えぐられる。命が爆ぜて、血が噴き上がった。血霧をその身に浴びながら、倒れて崩れる男の腕を乙女は掴む。


 死者からだって奪い取るのが、戦場のルールであった。


 アレサは誰かの血と脂に汚れた長剣を一つ、花嫁の手に握る。


「いい剣だ。お礼に、ナイフはくれてやるよ」


 首に刺さったままのそれに視線をやることもないまま、血の池を踏み、乙女は敵をにらむ。死んだ敵よりも生きて動く敵を殺すべき時間だ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る