第一話 『三度目の結婚式に赤い祝福を』 その2


 それからの二か月は慌ただしいものであった。


 新たに改良を施した竜太刀の製造、より巨大にし、より軽量化を施すためにミスリルの配合を計算し直す。大きさと頑強さと、使い勝手。それらの矛盾をも孕む力を組み上げるために、新たな竜太刀と共に、新たな武術の技巧も研究される。


 アレサはその修得と開発に勤しみ、メリッサ・ロウの気象観測は続けられた。


 ガルーナの風を読み取るための試み。天才竜騎士アレサの感覚を、数式あるいは文脈として再現するのだ。次世代の竜騎士が、より強大な力を獲得するために。また、アレサ自身がより高度な竜乗りの技巧を得るために。


 凧を上げて糸の伸びをケットシーの繊細な指が計測する。風車の回転数と、砂時計の落ちていく早さを見比べながら記述する。とにかく多くの記述だ。風と気象のあらゆることを、メリッサ・ロウは調べて回る。


 農夫にも、古老にも。


 他の家の竜騎士にさえも、こっそりと訊いて回った。


 可能な限りの全てを、風と空にまつわるあらゆる情報収集し文脈にする。フィーエンとアレサの始めた試みは、貴族社会での立ち回りも市井の社交も、そのどちらをも器用にこなせる忠実なメイドの存在が完成させた。


 メリッサ自身の才能もある。風を見る力、それを彼女は誰よりも理解していた。竜が飛ぶために必要な才は、アレサたち人間族よりも身軽で『風』の魔術に長けた者たち。そのなかでも、メリッサは天才だ。


 その貴重な人材が、天才竜騎士に見出されるのは運命的である。おかげで、アレサは竜に乗らなくても竜乗りの研究をやれたのだから。魂の奥底で鮮明に輝きを放つ、フィーエンとザードの飛翔の記憶。それに膨大なテキストによる記録を合わせた、『脳内での練習』。理想の飛び方を主観的にも客観的にも研究することが行われた。


 この慌ただしい二か月。嫁入りのための修行などが行われることは一切なかったが、ガルーナの竜騎士にとって最も貴重な研究がこの短期間に集中して行われたのである。戦場を何よりも好む者が、そこから離れて研究へ没頭できたのだから。


 ……つまり。


 竜騎士姫の義理の叔父、遠からず死ぬことになる『不運なジーン・ストラウス』は、何とも大きな貢献を祖国にしたのであった。不本意なことかもしれないが、それもまた運命である。


 竜騎士のための最も創造的な二か月は、またたく間に過ぎた。


 傷を癒すための眠りを行っているのだろう、凶竜ザードは聖地の奥から出てくることはない。竜騎士たちも政治と、戦死者たちを悼むための歌を作る作業の方へ集中しつつ、少年王エルヴェの『支配的な後見人』であるクインシーは狡猾な政治工作を国内外に展開し、エルヴェとストラウス一族に反感を抱くガルーナ貴族たちは密かに盟約を結んでいた……。


 北の小王国の内側で、無数の力がひしめき合いながらも表立った衝突を起こさない。奇跡てな二か月だったのである。まるで、平和が訪れたかのようであったが。戦に慣れたガルーナ人の本能は、これが嵐の前の静けさだということにも気付いている。


 殺し合うには、どの戦士にも準備というものが必要なだけであった……。


「……政治なんぞからは、遠ざかっておきたかったんだがね。冒険と遊びの日々に、オレは余生を費やすつもりだったのに……困ったことになったよ、ティファ」


 『恐ろしい花嫁』がやって来る前日の昼間、空にはかなく弱い雪が舞い踊る昼間のことだ。流行り病で亡くなった妻の墓前で、血よりも赤いワインが入った酒瓶を逆さまにする男がいる。


 赤毛の男。ストラウス一族の傍流であり、騎士でも貴族の地位もない、ただの豪農のせがれとして生まれ、学問と魔術で身を立てた郷士……ジーン・ストラウス。ティファ・ストラウスに見初められた理由は、ジーンの冒険であった。


 その冒険譚をティファは何よりも気に入っていたらしく、生前に記した遺言状にもその傾向は見て取れる。墓碑に、夫の歌が長々と刻み付けられていた。自分の物語ではなく、夫の物語を墓には刻めと遺言に記した結果である。


「……『偉大なる白竜フィーエンと共に、二十五の英雄たちと七つの竜を歌に還した戦いを勝利に導いた魔術の英才。『歌喰いのラウドメア』を封じた男、ジーン・ストラウスに最も愛された女、ティファ・ストラウス、夫の歌と共にここへ眠る』……君は、オレの冒険が、本当に好きだったね」


 そして、ワインも大好きだった。ティファ・ストラウスは百薬の長とも信じていたが、この厳冬の山深い王国の流行り病は恐ろしいものがある。


「『ラウドメア』に片腕を食われてしまったオレの方が、結婚した当時から不健康だったのだがね。おかしなハナシだよ。世の中も、運命も、どうにもこうにも狂っている。まあ、古来より、そうなのだろうけど」


 今に始まったハナシではなく、ずっとずっと、大昔から世界は理想的ではない。だからこそ、多くの詩人が嘆き、儚さを帯びた運命を記した。戯曲も詩歌も小説を読むことも、ティファに教えられたことではあるが、今ではジーンの趣味である。


 その趣味を嗜むたびに、人生の儚さへの新たな解釈の数が増えていった。より皮肉屋となり、政の世界から遠ざからせた。貴族でもない。貴族よりも、賢いが。権力への野心は一切持ってはいないのだ。亡き妻の墓の前で、酒を呑みながら読書と詩作に耽る日々を過ごせれば、それ以外はどうだって良かった。


 良かったが。

「……農民たちを、人質に取られたようなもんさ。クインシーの性悪め。君の領民を、飢えさせることだって辞さないつもりだ。オレを、いや、オレに残された君の財産と、領地を花嫁に渡させる……自分の義理の娘に……ああ、くそ。どいつもこいつも。おかしな人生を歩みやがって」


 せめて、ティファが生きていてくれたら。ここまで苦しむこともなかっただろう。政は彼女がするのだと、言っていたはず。ジーンは賢い頭脳を用いて助言をするだけでいいと。それで良かったのだ。それこそが、ジーンの望みであったのに。


 妻の兄の娘と、何故か明日には結婚する。愛した女性は、ティファだけだったのだが、どうして42にもなって、19才の花嫁を娶うことになるのか。しかも、二人も夫を初夜の晩に殺した、悪女の極みにいるような竜騎士姫と……。


「自意識過剰なんだって思われるかもしれないけどね。でも、オレの人生って、何とも波乱万丈で……やっぱり、不運だよ。食うに困らない身分で、不運だと口走るのは、農民のせがれとしちゃ、あまりにも不謹慎じゃあるんだが……でも、もっと、おだやかな愛の一つが、欲しかったんだ」


 子供でもいれば、良かったのに。


 そんなことを願いもするが、もはやどうにもならない。後の祭りだ。竜騎士姫に明日の晩には殺されているかもしれない。


「墓に書くべきは、『不運なるジーンここに眠る。真実の愛のとなりに』……これだけでいいよ。長いのは、嘘っぽくなるからね。大切なことだけで、いいんだよ」


 名誉も政治的な野心も要らない。


 それが、内乱に揺れるガルーナにおいては、あまりにも異質な世捨て人貴族をやれた理由だった。だが、それも、終わる。雪の季節が始まり、花嫁が来るのだから。不運な男から人生を奪い取るために。




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