映子のとある一日

うつりと

小松菜 名

 映子はごろごろするのが好きである。そんな中今日は気合を入れてパウンドケーキ作りに精を出している。なぜか?それは映子が大好きな男性アイドルグループ・スノーキャンに渡しに行くためだ。映子のスノーキャン愛は日に日に高まっている。二年前のデビューはさほど心動かなかったのだが、その後の彼らのバラエティ番組での面白さ、アクロバットの豪華さを知り、もうなくてはならない存在になった。ユーチューブの配信も喰い入るようにチェックしている。さて、今日の紅茶パウンドケーキがふくらんできた。いい匂いが部屋中にたちこめてきた。そろそろ……と思い映子は着替えを始めた。会えるかも知れない、一縷の望みににやけながら服を選んだ。一番のお気に入りの水色のワンピースに袖を通した。出かける準備は万端だ。

 スノーキャンの事務所は青山にある。映子は小田急線の経堂に住んでいる為、青山まで出るのは少々面倒だ。しかし映子の頭はスノーキャンでいっぱい、ドキドキして嬉しさの塊である。(会えちゃったらどうしよう……。)

 ルンルンの足取りで青山の事務所にあっという間に着いた。映子のドキドキは頂点だ。受付に女性二人がいて、「これ、スノーキャンに渡してほしいんですけど……。」振り絞って紙袋を差し出した。「当社では食べ物は受け取っておりません。」冷たく、寒い一撃が返された。映子は呆然とした。今までの楽しみがバラバラと音を立てて崩れた。映子は悲しみと怒りが入り混じり、受付に「ちょっとだけでも。」と詰め寄ったが、変わらず首を横に振るので二十分粘ったが、結局諦めた。

 映子はまるで魂の抜けた殻のようになり、ボーッとしたまま電車に乗った。行く先は、スノーキャンの推しの佐藤君の遭遇情報がたびたび出ている、四谷三丁目だ。(せめてさっくんの近くに行ってから帰ろう。)心はそう思うのだが、事務所で渡せなかったことのダメージは大きく、映子は何だかふらふらしていた。「四谷三丁目―。」アナウンスが聞こえ、電車から降りた。階段を上ろうとしたその時、「何ボケーッとしてるんだよ!」とガ体のいいサングラスの男性に強く押された。押されて、階段の角に膝が思い切りささった。せっかくのワンピースも汚れ、血が出てきた。(もう。泣きっ面にハチだわ……。)ふらふらと立ち上がらろうにも力が入らない。「大丈夫ですか?」その時だった。涼しくて優しい声がした。「はい。」顔を上げると、そこにいたのはさっくんー!?頭が真っ白になった。あの毎日ユーチューブでチェックしてる佐藤君!?Mステでバック転してる佐藤君!?いつも豪快に笑って皆を盛り上げている佐藤君!?―私が大大大好きな佐藤君!?―「立てますか?」「あ、はい。」「ならよかった。バンソウコウ、これ使って下さい。」「え……。」間違いない。この人は、スノーキャンの佐藤章介君だ。正真正銘、本物だ。映子は多少混乱したが、我に返り、「ありがとうございます。バンソウコウ。」と焦ってお礼を言うと、さっくんは「いいえ。とんでもない。」とニコリ。あぁそうだとパウンドケーキの事を思い出し、さっくんに向かって、「これ、お礼です!食べて下さい!」と紙袋を差し出した。「え?いいの?」「はい!いつも応援してますし!」気の利いた言葉が出てこない……。映子はMAXに緊張していた。「へぇ〜ありがとう!いい匂いがする。」さっくんはニコリといつもの声で言い、パウンドケーキをもらってくれた。

 ジリリリと電話が鳴っている。いや、目覚まし時計だ。映子が目を開けると、映子はベッドの上だった。(え……。)しばらく寝ていたのは確かなようだった。我に返った。さっくんとの一連のやりとりが全てまるっきり夢かと思うと、映子は寂しく、虚しい気持ちになった。(そんな……。)しかし、はっとした。右膝に、どこか見馴れたバンソウコウが貼ってある。四谷三丁目の駅でさっくんからもらったバンソウコウである。最近ケガをしていなかったので、このバンソウコウは明らかにさっくんからもらったものであろう。(わぁ……。夢だけじゃなかったんだ……!)周囲を見渡すと、水色のワンピースが手前にかかっているし、紅茶のパウンドケーキも作った跡がある。映子は不思議な小さな幸福感に包まれていた。(きっと夢じゃないわこれ……。)とりあえずスノーキャンのCDをかけて、とりあえず冷静になろうとした。何よりの証拠のバンソウコウ、水色のワンピース、パウンドケーキの作った跡等々。何よりやりきった感が映子にはあった。『夢じゃない:夢だった=5:5』くらいである。(それでも、夢だったとしても幸せだわ……。)膝のバンソウコウをなでながら幸せを噛みしめた。(私、佐藤君と会ったのよね……。)よし!と元気が出て、仕事・生活・スノーキャン推しを頑張ろうと思った。(ありがとう、さっくん!!)

                                     END

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