2-8 厄介事はいつも重なってやってくる(下)


 大した話じゃないから、と担任の郷戸先生に呼ばれて進路指導室に来てみれば、クラス委員長とともに文化祭実行委員も兼任してくれというトンデモ話が降ってきた。

 唐突に降り注いだ核爆弾を前に、僕は「え」と心が強ばるのを自覚する。


 郷戸先生は相変わらず大雑把というか、俺が話したんだから当然受けてくれるよな? と言わんばかりの態度で、まあ座れと椅子を勧めてくる。

 座れと命じられたら座るしかない僕が腰掛けると、郷戸先生はその丸太のような腕でばんばんと僕の肩を叩いてきた。


「宮下なら大丈夫。できる!」

「あ、いや……その前に、その。文化祭実行委員は……たしか小野寺君、でしたよね?」


 各クラスに二名配属される文化祭実行委員は、文字通り文化祭のためだけにある委員だ。

 それ以外の仕事がないため、文化祭を請け負わなければ存在意義がないのだけれど……?


「そうなんだが、小野寺がどうしてもやりたくないって言い出してな。他のヤツにも声かけたんだが、みんな部活があるとかで断られてなぁ」

「そう言われても……」

「委員長の仕事ついでに、せっかくだ、やってみないか?」


 いや仕事ぶりって言っても、僕がクラス委員をぶじに出来てるのは人前での仕事が無いからだ。

 授業開始の号令と、プリントをまとめて提出するくらいなら僕でもできる。

 けど文化祭となると、みんなの意見を聞いてまとめて、委員会で意見をぶつけたりしなきゃダメ、ですよね……?

 そういうの僕、この世で最も苦手とするものなんですけど――


 が、郷戸先生の中では決定事項らしくうんうんと頷いて、


「大変なのは分かる! だが何事も経験だ。そして上手くいったら、来年の生徒会に立候補してみないか宮下」

「え、えっ」

「まあうちの生徒会、別に大したことはしてないけど、大学進学のときの空欄埋めくらいには使えるぞ? 宮下は部活にも入ってないし、一個くらいアピールポイントあっても悪くないだろ?」


 あっという間に話を進める郷戸先生にドン引きする僕であったが――ふと。

 もしかして先生は、僕の進路を心配して相談してるのでは……? と、考えた。


 神戸先生は僕が元引きこもりの十八歳であることは知っている。

 そのまま高校を卒業すれば、僕は二十歳越えで大学進学を迎えることになり、願書にも空白期間が記載される。それをもし面接などで指摘された時――

 引きこもりから心機一転し、学校生活の最中で生徒会に属していました、っていう要素があれば、真面目に学園生活を送っていたことを証明できるってことになるのかもしれない。

 ……とか?


「どうだ、宮下。引き受けてくれないか?」


 いや、郷戸先生がそこまで考えてるとは思えない。

 思えないけど、もしかしたらという可能性も考えてしまって――い、いや違うか。


 これは、僕自身が、断れない理由を探そうとしてるのかもしれない。


 僕は、先生の申し出を断るのが怖いのだ。

 断ったら叱られるんじゃないか、怒られるんじゃないか、真面目な生徒として見て貰えないんじゃないか……

 だから僕は僕自身に『それっぽい』理由をつけて、先生の言ってることは正しい、だから引き受けなさいと自分に言い聞かせている。

 そして僕は僕自身の心の声を、断れない。

 ここで断ってしまうと、僕は罪悪感に苛まれて潰れてしまう。やっぱり元引きこもりはダメだなとか言われたら泣きそうになるし、他人に失望されてしまうのは酷く息苦しい。


 つまり最初から、答えは決まっていたんだ。


「……ぅ。わ、分かりました。じゃあ、頑張ります」

「さすが宮下、じゃあよろしく頼むな! ちなみに女子の文化祭実行委員は風野がそのまま受けるからな」


 せめて相方が湖上さんなら、と思ったけれど、その願いも叶わないらしい。


 そうして僕は新たな仕事を引き受けて教室に戻り、どうしよう、と頭を抱えることになった。

 シナリオ作成。

 中間試験。

 文化祭実行委員。

 とくに最後のは特段苦手なやつだ。人前に出て、陣頭指揮をとって成果物を出す。うちの学校がどんな文化祭をやるのか知らないけれど、もしメイド喫茶やれと言われたら何から手をつけていいのか……。


 ああどうしよう、と頭の中でぐるぐる不安をかき混ぜつつ、やっぱり引き受けるんじゃなかったかな、と後悔しながら席について――

 ほんの少しだけ、悪意が芽生えた。

 委員長を掛け持ちなんて……実際どうなんだろう?

 僕じゃなくて、他の人がやってくれてもいいんじゃないか、と――


 けど、神様はそんな僕の愚かさをお見通しらしい。


「あー……悪かったな、宮下」

「え?」


 教室に戻ったところで、いきなり見覚えのない男子に声をかけられびくっとした。

 僕は人の顔を覚えるのが苦手なので、スポーツ刈りをした爽やかそうな男子が誰か、一瞬わからなかったけど……うちのクラスの小野寺君だ。


 その彼は僕を見るなり、なぜか頭を下げてきた。

 え? え?


「言い訳っぽくて悪いんだけど、うちの母親が夏休み中の事故で入院して、いまうち妹の面倒みるヤツがいないんだ。それで、俺が早く帰らなくちゃいけなくなって、文化祭のことやれないって先生に相談したんだ」

「あー……」

「そしたら今、宮下に話がいったって聞いてさ」


 なんか、すまん。

 小野寺君にそう謝られ頭まで下げられると……それなら仕方無いなと思う。

 事故のことを考えれば、彼の方が余程大変だろう。

 なので僕は、気にしないでと笑いかける。


「こっちのことは心配しなくていいよ。事故、大変だったね」

「ホント、ああいうのって突然起こるんだなって思ったよ。……悪いな、宮下。手伝えることあったら手伝えるから」


 そこで昼休み終了のチャイムが鳴った。

 小野寺君はもう一度僕に謝ったのち席に戻り、その後ろ姿を見ながら、彼は悪い人ではないのだろうなと思う。

 誰にだって理由がある。

 彼はもちろんのこと、郷戸先生だって悩んだ末に僕に相談したのだろう。


 それなら仕方無いし、つまるところ僕が頑張れば良いだけの話だ。

 五時間目の授業を受けつつ、とにかく一つずつ片付けていくしかない。

 いや。

 それ位のことは出来て当然だ。当然だと思うべきだ。


 ……そこで「辛い」なんて言うのは、甘えであり愚かさだ。

 僕はシャーペンを掴み手の甲にぐっと押し当てることで、心の痛みを現実の痛みで誤魔化しながら奥歯を噛む。

 それ位出来て当然、出来なければ僕はダメな人間なのだ――そう言い聞かせながら、これからのことについて考え始めた。

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