最終話 私と一緒に生きてくれますか?
『実は、とある医者から言われたんです。私の病気を治す方法があると』
「……え?」
ボイスチャット五日目。
開口一番に許嫁は予想もしない言葉を放った。
凪沙さんの胸に巣くう病魔が退治できる。
それも嬉しいけれど――。
「それじゃあ、長く生きられないというのも?」
『手術が成功すれば30歳まではまず生きられると。普通の生活が送れるレベルに身体も回復すると、お医者さまは言ってくださいました』
「学校に通うのも」
『夢ではありません。もちろん優さまとの結婚生活も。それに……子供だって』
ディスプレイの向こうの女性と語らった夢が現実のものになる。
これを幸せと言わずなんと言うのだろう。
つい「本当ですか!」と僕は叫ぶ。
しかしそれに、凪沙さんはどこか力のない声色で応えた。
『ただし、それには法外なお金がかかるんです』
「法外って?」
『駒見家の全財産。有価証券などはもちろん土地・家屋や権利など全て』
まるで漫画のブラックジャックのようだ。
命を救う対価に全てを差し出せだなんて。
『私一人であれば手術を受けたでしょう』
「……そうか、凪沙さんのお爺さまが」
『お爺さまは腎臓を患っています。私のために全財産を使えば透析治療ができなくなります。本人は「どうとでもする」と申していますが』
「それで、凪沙さんは戸惑っていたんですか?」
『……はい』
「では、なぜ今になって?」
『そんな意地悪なこと、おっしゃらないでください』
尋ねたのを後悔した。
けれども彼女の本音を聞けて嬉しかった。
『優さま……優くんともっと一緒にいたいから』
「……凪沙」
『私、あなたと出会ってはじめて生きたいと思いました。たった一人の肉親を捨てても、周りになんと言われようとも、好きな人と添い遂げたいと』
凪沙さんは僕のために全てをなげうつ気になったのだ。
嬉しい。
けど、その一言で済ますには彼女の決断は重い。
だから――。
「凪沙さん。手術を受けるのに僕も賛成です」
『身勝手だと思いませんか?』
「お爺さまがいいとおっしゃっているんです。そこは、信じて甘えましょう」
『……けれど』
「大丈夫、僕があなたを守ります」
『……優くん』
「許嫁として僕があなたを支えます。父さんに頼んで普通の生活ができるようにします」
『それこそ無理な話です。財産を失った駒見家に価値はありません。きっと、この婚約は破棄されます……』
「大丈夫、絶対に説得してみせます」
何もできない青二才。
学生の分際で言うことではない。
内なる自分があざ笑うのを奥歯を噛んで堪える。
あの食わせ者の父を納得させるのは難しいだろう。
けれども、僕は全力を尽くす。
彼女と一緒の未来を生きたい。
その一心だった。
押し殺していた涙声が堰を切ったように耳に届く。凪沙さんは声を上げてわんわんと泣いた。耳に響く悲痛な声に彼女の悲しみに僕まで溺れそうだった。
これほどの感情を、今まで凪沙さんは抱えていたのだ。
『優くん、私と添い遂げてくれますか? 何もないこんな私と?』
「何もないなんて言わないで」
『……私、自分に生きる価値なんてないと思っていました。あなたと出会うまで、この狭いベッドの上が私の全てで。ここで生まれて、ここで死ぬ。諦めていたんです』
「凪沙」
『けど、もう無理です……』
もう一度、凪沙さんは大きな嗚咽を上げた。
『私、優くんと同じ世界で生きたい……!』
「生きよう凪沙。君が18歳になったらすぐに結婚しよう」
僕は今更な結婚の約束を彼女との間に交わした。
親が勝手に言ったのではない。
自分の意思で、僕は凪沙に結婚を申し入れた。
◇ ◇ ◇ ◇
意外にも父さんは全財産を失う許嫁に寛容だった。
「優。私はね、お金で買えない縁を駒見家に求めているんだよ」
「お金で買えない縁?」
「世の中には金銭に換えられない繋がりがある。この地に古くから根ざしている駒見家だ。たとえ没落したとしてもその繋がりは残る。そういうことさ」
「……よく分からないや」
「一人息子の初恋相手との縁も大事だしね」
「怒るよ?」
「とにかく、病気の許嫁を励ましてあげなさい。車は出すから駒見の本邸にご挨拶に行くといい。きっと、凪沙くんも喜んでくれるよ」
父はそう言うと静かに微笑んだ。
色々思う所はあったが、僕は素直に従うことを選んだ。
「ありがと、父さん」
「うん。優が優しい男の子に育ってくれて、僕は嬉しいよ」
さっそく翌日、父の秘書に車で僕は駒見邸を訪れた。
駒見のお屋敷は町の境の山中。
山裾から蛇行する山道を登って半時間。
頂の手前の丘陵にある。
森を背にして立つ豪奢な洋館。レンガ造りの外観に緑色の屋根。
玄関の上には大きなバルコニーがあり、そこから町内が一望できた。
「ようこそおいでくださいました」
出迎えてくれたのは翠子さん。
彼女はクラシックなメイド服に身を包んだ大人の女性だった。
「凪沙さまが部屋でお待ちです。さっそく、ご案内いたしますね」
「あ、はい。よろしくお願いいたします」
西洋庭園を抜けて屋敷の玄関へ。
そのまま土足で屋敷に上がる。
こういうこともあろうかと履いてきたローファーを踏みならし、ビロード張りの廊下を進む。やがて、突き当たりから一つ手前の部屋で翠子さんが立ち止まった。
樫の木の重苦しい扉。
手で擦られてメッキが剥げたハンドル。
歴史を感じさせる扉。
どうぞと僕に促して翠子さんが後ろに下がる。
僕は静かに扉をノックした。
「はぁい」
いつもDiscord越しに聞いていたのと同じ声がする。
僕の耳元を蕩けさせる許嫁の甘い声が。
この扉の向こうに凪沙さんがいる。
そう実感した途端、僕はハンドルを握りしめていた。
扉をゆっくり開く。
「こんにちは。朝日優です」
部屋の中――いつか見たベッドに腰掛けて、淡いベージュのワンピースを着た美しい少女がいる。ワンピースの袖を揺らして彼女は立ち上がった。
小さな唇を両手で覆えば白い頬が薄く赤らんだ。
ふわりと黒い髪がその肩で揺れていた。
言葉はない。
けれども、表情から彼女の感情が伝わってくる。
画面越しに語らい、見つめ合い、仲を深めた。
なのに、こうして直に会うと――なにもできないのはどうしてだろう。
そんな二人の沈黙に翠子さんが咳を挟んだ。
「お嬢さま、次期当主として恥ずかしくないご挨拶」
「……わ、分かっています!」
白いパンプスをカツンと鳴らして凪沙さんが僕に歩み寄る。
その慎ましい胸の前に手を置くと、彼女はワンピースの裾を摘まんで頭を下げた。
「駒見凪沙と申します。朝日優さま」
そう言うと、待ちきれないように彼女は僕の胸に飛び込んで来た。
画面の中よりいささかアクティブな許嫁を僕はそっと受け止める。
「ずっとお会いしとうございました……!」
「ご挨拶に来るのが遅れて申し訳ありません」
凪沙さんが僕の背中に手を回す。
か細くせつない彼女が精一杯の力で僕を抱きしめてくる。
そんな幸せを僕は幸福と共に受け入れた。
「僕も会えて嬉しいです」
「優さま」
「優くん、ですよ」
「……はい。優くん」
「……うん。凪沙」
キスもしない。
熱い抱擁もない。
ただ、お互いの存在を確かめ合う。
学生らしい適度なお付き合いがしたいわけじゃない。
僕たちにしかできない形で、この恋を感じたかった。
バカみたいだと大人は笑うかもしれないけど――。
「今日はいっぱいお話しましょう。時間の許す限り」
「……はい!」
「そうだ、何かして欲しいことはありませんか?」
「して、欲しいこと?」
手術に挑む許嫁の力になりたくて、僕は胸の中の許嫁に申し出た。
許嫁はいつものようにそわそわと身もだえすると、シーツの代わりに僕の服を握って、上目遣いに僕を見た。
そして、彼女ははじめてマイクを通さず――。
「では、その……」
「なんでも言ってください」
「優さまの声を録音させていただけたらな、と。入院先で寂しさを紛らわすのに」
いつもと変わらないかわいいお願いを僕にするのだった。
「…………ぷっ!」
「あぁ、優さま! 笑うなんて!」
「すみません、すみません」
「もうっ! こんなに素敵ですのに、やっぱり中身は意地悪なんですね!」
「それはもう、ご存じの通り」
「…………ふふっ!」
◇ ◇ ◇ ◇
これは後で知った話。
どうも、凪沙さんのお母さんと僕の父は幼馴染だったらしい。
婚約の話もそれが縁だという。
幼馴染の縁を利用したのか。
それとも何か別の思惑があったのか。
父の心は分からない。
一つ言えることは、僕と凪沙さんは声を聞いただけで恋に落ちた。
それだけがこの嫁取り物語の真実で結末だった。
【了】
☆★☆ ここまでお付き合いくださりありがとうございました。まだまだ拙い物書きですが、次回作も精一杯やらせていただきます。もし楽しんでいただけたなら、最後に評価をいただけると嬉しいです。m(__)m ☆★☆
会ったことがない許嫁と毎晩ボイスチャットをすることになった。 kattern @kattern
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