会ったことがない許嫁と毎晩ボイスチャットをすることになった。

kattern

第1話 挨拶(ゼロ距離極上贅沢あまあま癒やしASMR)だけで人は死ぬのだ

『もしもし。朝日優(あさひゆう)さまで間違いございませんか。私、駒見凪沙(こまみなぎさ)と申します』


 たったそれだけ。

 通話の相手が本人か確認するだけの挨拶。


 それが僕の耳と脳味噌を蕩けさせた。


 推してるVTuberの『メン限高音質エッチ系ASMR』を光の速さで過去のものにして、彼女の声が僕の心を鷲づかみにする。


 もう、この声以外いらない――。


『もしもし? もしもし?』


『聞こえておりますか?』


『優さま?』


『優さま。お返事してください』


『もしも~し! 優さまぁ~!』


「ハッ、しまった! あまりにも尊い美声を聞き逃すまいと空気と化していた!」


 Vリスの性で聞き入っていた僕は萌えボイスの絨毯爆撃でようやく我に返った。

 あぶない。これ以上聞いていたら、鼓膜か、脳か、心臓に後遺症ができていたな。


 Discordのボイスチャット。

 相手は持病のせいで家から出られない許嫁。

 そんな彼女を「慰めてさしあげろと」親に言われてはじめた戯れのはずだった。


 なのに、どうしてこんなことになった。


 深呼吸して、冷静に状況を整理する。


 お相手の凪沙さんは旧家のお嬢さま。

 ひとつ年下の16歳で、マジでガチの深窓のご令嬢。


 神の声の持ち主とはいえ騒ぎ立てるのは失礼。

 浮ついた気持ちをしっかり静めると、僕はようやくDiscordのマイク入力をONにした(いつもの癖で切っていた)。


「はい。聞こえております。朝日優です、はじめまして」


『優さま。あぁ、よかった。聞こえていたんですね』


「すみません。想定外のトラブルで戸惑っておりました」


『……こほこほ』


「大丈夫ですか?」


『すみません、喋るのは久しぶりで』


「無理をさせてしまいましたね」


『無理と言うなら、この縁談がそもそも……こほこほ』


「どうか無理なさらないでください。凪沙さんのお身体になにかあっては、凪沙さんのお爺さまに顔向け出来ませんから」


『……むぅ、お爺さまに悪いから心配するのですか?』


「いえ、その。僕も、凪沙さんのような方が苦しむ姿を見たくないので……」


 不用意な発言にすねた許嫁が、機嫌よさそうに「うふふ」と笑う。


 なんでもない微笑み。


 しかし、その息づかいを凪沙さんのマイクが拾う。

 電子の海を介して僕のパソコンに音源データが送られる。

 そして、僕の音域再現ヘッドフォンが臨場感たっぷりに再生する。


 まるで『耳元で微笑まれた』みたいに。


 脳内麻薬ドバドバ。

 多幸感マシマシ。

 これたぶんガンに効く奴。


 許嫁の微笑みひとつでヤバいくらいにセロトニンをオーバードーズした僕は、ウン万円する超高級キーボードに額からダイブした。


 こんなん無理ですやん。

 親が勝手に決めた許嫁があまあまお嬢さまボイスとか。

 あまあまお姉さん系Vと清楚嬢さまVがスコのスコな僕に、この声質はあまりに危険。甘美。禁断の果実。聞くタイプのドラッグだ。


『大丈夫ですか優さま?』


「……大丈夫です」


 いや、聞き惚れている場合じゃないだろ。

 これは、僕たちの未来を決める大事な話なんだぞ。


 しっかりするんだ、朝日優!


 はっきり言おう。

 僕は今回のお見合いにあまりいい印象を持っていない。


 親が勝手に決めた婚約。

 お互いにまだ学生の身分。結婚出来る年齢でもない。

 写真を見ただけで、現実で一度も相手と会ったことさえない。


 そんな不誠実な婚約があっていいのか。


 だから僕は、このボイスチャットで言うつもりだった――。


 この婚約に反対しようと。


 なのに……。


「さま呼びは、勘弁していただきたいかなぁ」


『あら、いけませんか?』


「歳の近い女性にそう呼ばれるのは、ちょっとむず痒くって」


『うふふ。優さまってばシャイなんですね』


「ほら~! また~!」


『あら、私としたことが』


「勘弁してくださいよ。ふふふ」


 なにを普通に談笑しているんだ。

 呼び方とかどうでもいいでしょ。


 けど、雑談って一度弾むと止まらないよね!


『では、なんと呼ばせていただきましょう。私、殿方と親しくお付き合いするのは、お爺さま以外では経験がなくて』


「気軽にくん付けで呼んでいただければ」


『優くん?』


「ぐふぅ!」


 くん呼びヤベえ。


 声質があまあまな凪沙さんがくん付けで呼ぶとえちえちが半端ない。

 エッチなお姉さんが子供を誘惑してるみたいだ。


『大丈夫ですか、優くん。優くんも、御加減がよろしくありませんの?』


「まさかの追撃……!!」


『もしかして、呼び方が変でした? 発音が違うとか?』


「あ、これ、僕、死にますね(直感)」


優くんゆーくん? 優くんゆうくん? 優くんゆっくん? 優くんゆぅくん? 優くんゆーーくん? 優くんゆーうくん?』


「あっ、あっ、やばいやばいやばい、名前ラッシュやばい」


 めちゃ好みのあまあまえっち声で僕の名前が連呼される。

 スパチャ何万投げたらこんな贅沢を味わえるんだろう。


 だいしゅき。

 もっといっぱいおこえききたい。

 はぁ、この美声の持ち主と結婚してぇ。


 いや、結婚するんだったわ!

 親が勝手に決めた婚約で! 


 断るつもりだったんだわ!

 望まぬ結婚がどうとか言って!


 けどもう無理!


『どうですか優くんゆーくん?』


「すみません、ちょっとしっくりきませんね(瀕死)」


『すみません、私が至らぬばかりに……』


「せっかくだから色んな呼び方を試してみましょう。呼び捨て、ちゃん付け、名字、あだ名。順に試していけば、しっくりくる呼び方がきっとわかるはず」


『わかりました! 私、頑張ります!』


 とりあえず、許嫁の話は一旦保留だ。

 せっかく出会えた奇跡のめっちゃスコ美声を楽しもう。


 僕はヘッドフォンを普段使いの高性能高音域再現タイプから、カナル式の超密封音漏れ心配無用タイプに切り替える。サウンドボード付属のコントロール画面を開き、ヘッドフォンの音量をMAXまで上げた。


 さぁ、どんと来い凪沙さん!


『優』


「あふぅ!」


『優ちゃん』


「ひん!」


『朝日くん』


「名字も捨てがたいッ!」


『ゆー』


「あはーん!」


『ゆっぴ』


「これはこれで!」


『……優兄さまぁ』


「許嫁妹キャラの特別親密感のある呼び方キタ――――ッ!」


 許嫁とのDiscordでの会話は、初対面とは思えないほど弾んだ。

 許嫁が古くさいとか、お互いの気持ちがどうとか、もうどうでもよかった。


 僕――この許嫁と絶対に結婚します!


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