雨の日、バス停にて邂逅するは。

雛星のえ

彼女は、雨の日にしか現れない。

 自分の人生は、まぁまぁ順調だったとでも言えよう。

 一人っ子で生まれた相良は、両親の愛情をその身にたっぷりと受け育ってきた。

 すくすくと成長し、試験を乗り越えて、第一希望の高校へ。勉強も、部活も、苦手な対人関係だって頑張って友達と言える存在を作り、何一つ不自由なく過ごしていた。


 両親が、帰らぬ人となるまでは。


 それはあまりにも突然の訃報だった。

 相良が友人宅にて夜通しゲームパーティーを楽しむ傍ら、彼らは飛行機にて海外旅行を満喫していた。

 その帰り、不幸にも機体は事故に見舞われた。原因は杜撰な管理体制による整備不良。操縦の自由が効かなくなった鉄翼は、そのまま山中へと墜落。生存者ゼロ名という、実に最悪の事故であった。


 ――独りになってしまった。

 未成年である相良は、一人で生きていくことができない。生活能力こそ多少はあれど、法がそれを許さない。それ故に、母方の祖父母の家でお世話になることとなった。

 元いた場所から、数本もの電車を乗り継ぐこと約三時間。都会の喧噪や人工の光であふれる世界とは打って変わって、一面緑色が見渡せる世界へとやってきた。

 少しずつ気温が上がり始めてきた、高校二年生の初夏のこと。

 そんな中途半端な時期に、広橋(ひろはし)相良(さがら)は引っ越してきたのであった。


 一学年に二クラスしかないような転校先にて、自己紹介をし歓待を受ける。彼らは、新しい仲間となる相良のことを物珍しそうに見ていた。

 クラスの人たちは気を遣って話しかけてくれるが、やはりそれでも、どこか遠慮や壁を感じてしまう。

 それもそうだ。今まで団結していた輪の中に、突然部外者が乱入してきたのだから。

 元より相良自身も、コミュニケーション能力はさほど高くない。親しい相手だからこそ流暢に話せるのであり、初対面の相手にはしどろもどろだ。だからこの場でも、それは遺憾なく発揮されることとなる。当然、悪い方向へと。

 そうこうしているうちに転校生特典は終了する。周りが騒ぎ立てることも少なくなっていき、相良の周囲を取り囲んでいた人間も、最早姿は見られない。。

 幸いにして、やれ仲間外れだのいじめだのといった騒動は起こらなかった。かといって「友人」と呼べる存在は一人としていない状態でもある。

 空いた時間は机に突っ伏し寝たふりをするか、スマホゲームの周回に一人いそしむ。相良はそんな日々を過ごしていた。


 ――環境が変わって、一ヶ月ほど経過した頃であろうか。

 どんよりとした曇天の中、相良は一人帰路についていた。

 徒歩で往復する通学路。足裏から伝わるアスファルトの堅い手応えより、土の柔らかな感触が多いこの道すがら。どうにもまだ慣れそうにない。

 不意に、埃っぽい湿気た臭いが鼻先を掠めた。

 雨が来そう、と直感で理解する。降られる前にたどり着けるか、否か。歩くペースを少しだけ速めた。

 山沿いの天気は変動しやすい。それがこの時期であれば尚更だ。しかしずっと平地で過ごしていた相良にとって、それはただ人づてに聞いた話。実体験を伴わないので、話半分に聞いていたにすぎない。

 雨の予兆を感じてから数分もしないうちに、それらはポツポツと下界に姿を現した。

 徐々に勢力を強めていく雨粒。本降りになるまで、そう時間はかからなかった。

 相良は今朝の天気予報を思い返し、悪態をついた。


 今日は一日中晴れますって、気象予報士のお姉さん言ってたじゃん!


 だから、傘はおろか折りたたみ傘すら携帯していなかったのだ。自分の準備不足を呪うも後悔先に立たず。

 不幸にも、家までは距離があるどころか、学校まで引き返そうにも遠い場所にいた。

 一時的でいい。どこか、雨を凌げる場所はないものか。思考を切り替え辺りを見回せば、少し先に屋根付きのバス停があることに気づく。

 脇目も振らず駆け込み、荒れた呼吸を整える。文化部所属の人間には、ちょっとした運動でさえ大変に感じるのだ。

 まるでそれを見計らったかのように、雨は更にその勢いを増していった。バケツをひっくり返したような、とはよく言うが――。目の前の光景は、まさしくその通りであろう。大量の雫が、整備されたアスファルトや瓦を暴力的に叩く。どうやら間一髪、ピークは免れたようである。

 突然降り出したかと思えばあっという間に激化し、その何事もなかったかのように晴れ間を見せる、特徴的な降り方。

 恐らく、ゲリラ豪雨であろう。そうであれば、きっとすぐに止むはずだ。ここはおとなしく、太陽が顔を見せるか、もしくは小雨に落ち着くのを待つのが得策だ。

 水分を吸ったワイシャツが重みを増す。身体中にへばりついて気持ちが悪い。リュックサックを下ろし、ズボンに入れたシャツの裾を取り出し、気持ち程度に絞っておく。

 今度はちゃんと、折りたたみ傘を鞄に入れておこう。この雨じゃきっと頼りないが、ないよりはましであろう。


 ふと横に目をやると、先客がいたことに気づく。完全に気配がしなかったので、一瞬仰け反り我が目を疑った。しかし、彼女は確かにそこにいた。

 腰まで伸びたツヤのある黒髪。身長は相良よりもやや低めであろうか。彼女の頭と、自分の肩が同じ位置に並ぶ。

 鼻筋はよく通り、瞳は女の子らしくつぶらで大きなもの。陶磁器のように滑らかな肌。誰がどう見ても、美人に分類されるのは間違いないであろう。

 身にまとうのは、ノースリーブの白いワンピースという、実にシンプルなもの。

 彼女は小屋内に設置された木製のベンチに腰をかけ、虚ろな瞳で外を見つめていた。

 一体、何を眺めているのであろうか。

 その様子をまじまじと見つめ続けていると、彼女は視線に気づいたのか――顔を上げこちらを見やり、首を傾げた。


「……私の顔に、なにかついてますか?」

「へっ!? あ、いや……」


 突然声をかけられ動揺する。その証拠に、飛び出たのは素っ頓狂な声。

 鈴を転がしたような、高く可愛らしい声色が相良を捉える。

 まさか、美人だったから見とれていた、だなんて、恥ずかしくて口に出来ない。

 彼女を見つめ続けていたに値する、合理的な理由。なんとかそれっぽい言い訳をしようと、口ごもる相良を彼女は不思議そうに見つめている。

 ……ダメだ、思いつかない。

 観念した相良は、素直に白状することにした。


「ごめんなさい。貴方が、その……あまりにも綺麗だったもので、少々見とれていました」

「わた、私がですかッ!?」


 白い肌が、徐々に赤みを帯びていく。彼女は両頬に小さな手を添えると、目を伏せた。


「ご、ごめんなさい。そんなこと、初めて言われたので……、悪い気はしませんけどッ! ……うぅっ」


 なんだその反応は。やめてくれ、こっちまで恥ずかしくなってくるじゃないか。

 相良は自身の体温が徐々に上がっていくのを感じた。


「えぇと、それで。君は一体、ここへ何しに来たんですか?」

「下校途中だったのですが、突然雨に降られてしまったので雨宿りを」


 それはこっちの質問なのだが――、という言葉を飲み込んで、相良は返事をする。

 彼女は納得したように、自らの拳をもう片方の手のひらに乗せた。


「ああ、確かに。この時期は特にすごいですもんね」

「そういう貴方こそ、ここで一体何を?」

「私も君と似たような理由ですよ。ふらふら歩いていたら、降られちゃって」


 そう言って、彼女は恥ずかしそうに舌を覗かせた。

 雨に降られたと言うけれども――。それにしては、服や髪が濡れていないように見受けられる。 

 もし彼女の言ってることが本当なのであれば、自分のように全身を湿らせていなければ、おかしいのではないか。

 それとも、この状況を予期してここで雨宿りを? 地元暮らしが長ければ、いつ雨が来るかどうか、土地勘のようなものでわかるのではないか。

 突っ込むだけ野暮だと感じた相良は、何も言わずに無理矢理自分を納得させることにする。


「……あ、雨、止みましたね」


 その後も続いた会話。ふと外を見やれば、先ほどまでの天気はなんだったのか。日の光が姿を見せていた。

 そろそろ帰ろうと、言葉と共に立ち上がる。リュックを背負いバス停を後にしようとする相良を、別れの言葉を告げるよりも早く、小さな声が引き留めた。


「あの、もしよかったら、なんですけど……またここに来てくれませんか? 君とお話しするの、すごく楽しいので」

「まぁ、俺でよろしければ……」

「やったぁ!」


 彼女は、それはそれは嬉しそうに声を上げた。

 会話内容と言えば、ただの世間話にすぎないようなことばかりだったはずだが。しかし相良自身も、身内以外で長話をするのは久々であったので、悪い気はしていなかった。都会に残してきた友人たちとは、残念ながらトークアプリ内の会話にとどまっていたので。

 そこで、相良はふと思い出したように言う。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね。広橋相良っていいます。貴方は?」

「私の名前ですか? えっと……私は」


 どういうわけか、彼女は言いよどんだ。何故そこで言葉に詰まる必要があるのだろうか。

 まさか、自分の名前がわからない……なんてことはないよな?

 怪訝な目を向ける相良に、なおも唸る女性。

 やがて、彼女は何かを思い出したかのような顔をすると、柔らかく微笑んで、こう言った。


「――ひみ。そう、呼んでください」


 ――その日から、相良とひみの、奇妙な交流が始まったのだった。



 彼女はとても不思議な人だった。

 まず、決まって現れるのは雨の日。時間は問わない。雨が降れば、早朝だろうが夕方だろうが、彼女はそこにいた。

 今にも壊れてしまいそうな古ぼけた椅子に腰を据え、花のような笑顔を浮かべながら相良を出迎える。ノースリーブの白いワンピースを身にまとい、黒髪を揺らしながら。

 そして、彼女はびっくりするほど世間に疎かった。

 第一に、バスを知らなかった。


「そういえばここを行き来する、大きな鉄の箱があるのですが……これは一体何なのですか?」


 ひみと合うようになってから、数日後のこと。彼女は相良にそう質問してきた。

 ――嘘だろう? バスを知らないのに、ずっとここにいたと言うのか!?

 驚きを隠せない相良であったが、そういえば彼女は、雨宿りのためにここに来たのだと、言っていた。

 だからといって、バスを知らない理由にはならないが……。そう思いながら、それはそれは懇切丁寧に説明をした。

 話を聞いたひみは、それは便利だねぇ、機会があったら乗ってみたいな、と笑った。


 次に驚いたのは、スマートフォンに馴染みがないことであった。いくら最寄りのコンビニが三キロほど先にあるからとはいえ、駅に発着する電車が一時間に一本しかないとはいえ、無線くらいは拾える町だ。クラスメイトだって、当たり前のように持っている。

 ある日祖母に帰りが遅くなる、と一報入れようと、鞄のポケットから取り出したとき。

 

「なんですか、それはっ!」


 それが、スマホを目にしたひみの第一声であった。

 誰もが当たり前のように所持しているものを、それはそれは物珍しそうに見ている。

 興味津々と言ったように目を輝かせているものだから、相良は試しに「触ってみます?」と、彼女に差し出した。

 恐る恐る伸ばされた、華奢な指。スマホを受け取ったひみは、相良の手ほどきを受け横へ縦へと指を滑らせる。


「う、うぉおお……これ、光ってる、横に動かすと、見えるものも変わって……ひゃぁああ!? なんか急に音が聞こえてきたよ!? しかもこの中で、人間が踊ってる! 一体どういう仕組みなんだろう……ともかく、この四角いの、すごいんだねぇ!」


 スマホという存在を知らなかった、初めて触った――。小さな子供のような反応を見せる彼女。

 大げさな言い方をしてしまえば、まるで違う時代を生きていた人のようにも思えるが……まぁ、そんな非科学的な話は、ありえないであろう。蝶よ花よと育てられてきた、よっぽどの箱入りお嬢様に違いない。

 相良はそんな彼女を、優しく見守っていた。


 ひみの元に通うようになってから、二ヶ月ほどが経過した頃であろうか。

 打ち解けてきたのか、彼女の話し方も大分砕けたものになってきた。それでもやはり、相良の方は、ひみが「年上のお姉さん」である手前彼女をさん付けで呼ぶことや、丁寧語で話すことから卒業できなかったのではあるが。

 そんなある日、相良はひみにぼやいていた。


「友人って、どう作るんですか」


 ――あれ? 今、俺なんて言った? 

 口に出してから後悔する。こんなことを、彼女に言うつもりではなかった、と。

 それを聞いたひみは、少々意外そうな顔をしていた。


「……え、相良くん、友達いないの」

 

 瞬きを繰り返し、口がわずかに開かれる。心なしか注がれる目線に哀れみの情が混じっているような、そんな気がしていたたまれなくなった。

 今のは忘れてほしいと、相良が声をかけるよりも早くひみが言う。


「う~ん、私はね、町の人皆が友達みたいなものだったからなぁ。特にそういうのは苦労しなかったなぁ~……」


 人差し指を口元に当て、何かを想起するかのように目線を上へ。

 町の人全員とは、恐れ入った。彼女は見かけによらず、コミュニケーション能力が高いのであろう。

 それもそうかと、一人納得した。

 対人が苦手な自分でさえ、まるで旧友かのように話すことができたのだ。彼女は存外、相手の懐に入り込むのが上手いらしい。

 ひみは相良と視線を合わせると、口角を吊り上げ、優しく語りかけた。


「でもきっと、君のこと、気にかけてくれている人は、近くにいるはずだよ」


 ――本当にそんな都合のいい存在が、果たしているものだろうか。

 そうは思ったが、彼女の面子を立てる意味でも、そして慰めでもかけてくれた言葉を無碍にしないためにも、相良はそっと口をつぐんだ。




 相良が、うっかりひみに爆弾を投げてから三日後のこと。

 昼休みを終え、迎えた五限目。小太りで中年の教師が、壇上で子守歌を紡いでいた。ボソボソと小さな声で語られる旋律は、どうやらこの町の歴史のようだ。

 決して心地よいはずではないが、昼食後ということもあり、周りの多くは船をこいでいた。中にはもろ机に突っ伏し爆睡する者も。

 当然のごとく、相良の耳にも入ってはいない。干ばつが、ご先祖様が、儀式が――。いかにも昔の話といったそれらは、右から左へと流れていく。

 ふと窓の外に目をやると、午前とは打って変わって、分厚い雲が空を覆い隠していた。

 今日も雨が降りそうだ。そしたら、またあの場所にひみさんがいるかもしれない。

 辟易するような空模様。いつしか相良は、その雨すら愛おしいと思っていた。


 待ちに待った放課後、案の定世界は水流に覆われた。

 周りの人は口々に最悪だ、とか、嫌だな、などとぼやくが、相良の心地はまるで真逆であった。

 まぁ、雨を喜ぶ人間の方が珍しいのかもしれないが。

 

「なぁ、広橋」


 心躍らせ彼女の元へ向かおうとする相良を、クラスの人間が引き留める。

 視線を向けると、そこには男女が怪訝そうな顔をして立っていた。

 名前は確か、女子生徒が三枝(さえぐさ)梨紗(りさ)、男子の方が桜井(さくらい)祐介(ゆうすけ)、と言っただろうか。

 祐介の方が、重々しく口を開いた。


「おまえ、最近よくあのバス停にいるのを見かけるんだけど……」

「それが何か?」


 さも当たり前のように返事をした相良に、彼は何か思うことがあったのであろう。一瞬ではあるが、わずかながら肩が震えたのを見逃さなかった。

 祐介の両拳が握られる。

 次いで、何かを決心したかのように、ゆっくりと口を開いた。


「……それで、一体、誰と話してるんだ?」

「は?」


 相良は面食らう。一体、彼は何を言っているのであろうか。

 誰と? 誰とってそんなの、ひみさんしかいないだろう。彼女以外に、誰がいる?

 しかし、それは相良自身が知り得ている情報だ。自分が掴んでいる物事を、相手が把握しているとは限らない。

 相良は不服ながらも、彼らに説明をすることにした。


「あそこに雨の日にしか現れないっていう、変わった女性がいるんだけどさ。名前は『ひみ』って言うんだ。その人とだけど……何か?」


 相良がそう返答すると、彼らは揃って顔を見合わせた。

 そして、梨紗の方が申し訳なさそうに口にする。


「あのね……気を悪くしないでほしいんだけどね。この間偶然、広橋くんのこと見かけたの。広橋くん、誰かと喋っているから、お友達ができたのかな? って思ったんだけど……そこには誰もいなくてね……。君が、その、一人で……」


 ――背筋が凍る。

 言いよどんだその先は、彼女が言わんとしていることは、容易に察せられた。

嘘……だろう?

 どういうことだ。意味がわからない。

 だって、彼女は確かに、そこにいる。


 それなのに、どうしてだなんてことを言うんだ。


「……嘘だ」


 率直な感想は、包み隠すことなく表へと出た。


「そんなの嘘だ。だって、ひみさんは確かにあそこにいる。雨の日に現れて、確かに俺と話をしている!」

「ひみ……もしかして」

「広橋くん、この後、時間ある?」


 梨紗の言葉に、何故だかとても嫌な予感がした。

 心音が大きくなるのを感じる。まるで、耳元に己の心臓があるかのように、ドクドクと耳障りな音が響いて止まない。

 そんな気持ちとは裏腹に、相良は首を縦に振っていた。

 ――彼らが言うことの意味を、知らなければならない。そう、思ったから。


 連れてこられた先は、別棟に位置する図書室だった。たくさんの書籍たちが、所狭しと棚に陳列している。

 彼らに案内されたのは、机上に作られたある一角。『この町の歴史』と名づけられており、本が数冊置かれている。その上には画用紙に手書きで、タイトルやざっくりとした説明がなされている。


「これは、あくまで私たちの推測に過ぎないから……。間違っている可能性もあるんだけれど」

「広橋は最近来たばっかりだから、知らねぇだろ。俺ら地元民はそれこそ小学生のときから、嫌ってほど聞かされるんだぜ。この村の伝承を」


 真ん中に鎮座している本を、その手に。

 ハードカバーに装丁された表紙をめくり、中に目を通していく。


 ……あぁそうか、これが彼らの言いたいことだったのか。

 ――だから彼女は、あんな反応を。

 ……そうであれば、これまでの物事、その全てに説明がつく。


 人間とはなんと残酷で、醜く、それでいて――。



 祐介、梨紗と別れ、相良はまたあのバス停へと来ていた。

 中には、案の定ひみの姿が。彼女は相良に気がつくと、ひらりと手を振って出迎えた。


「こんにちは、って、ありゃ。相良くんどうしたの? なんだか、ずいぶん元気がなさそうに見えるね」


 けれど、俺は。


 相良は決心を胸に、震える声で彼女に話しかけた。


「……ひみさん」

「今から、俺の長い長い話を、聞いていただけますか」


 彼女は相良の改まった態度に対し、面食らったような顔をしていた。

 首が縦に振られたのを確認してから、相良は彼女の隣へと腰掛ける。

 視線を合わせることはしない。お互い、視界に入れるのは灰色の空だけだ。


「……これからお話しするものは全て、あくまで俺の推測の域を出ないのですが」


 そう前置きをして、相良は話を進める。

 彼女の正体を。この町の、真実を。


「この町は昔、とある一つの村だった。人々は農作物を育て、狩猟をし、慎ましくも暮らしていた。そんな生活を続けること、数十年。この土地には雨が降らなくなってしまった。人々は困り果てた。農作物が育たなければ、自分たちは暮らしていけなくなる」


 一旦言葉を句切る。機嫌を伺うように、彼女を横目で見やる。

 ひみは、真剣な顔で真正面を見ていた。


「そこで人々は、雨乞いの儀式を執り行った。しかし、それには残酷な代償が必要だった。その代償の正体こそが、貴方だった。”人身御供”――つまり、生け贄として、この土地に捧げられた人間」


 隣で彼女がわずかに動いた気配がした。

 申し訳ないと思いながらも、その先を口にする。


「だから、あなたの『ひみ』という名前も、恐らく本名ではないのでしょう?」

「……そうだよ。うん。正解」


 しばしの沈黙の後に、放たれた言葉。それは普段の明るい彼女からは考えられないほど重々しく、そして冷酷であった。


「ありがとうと言うべきなのかは、わからないけれど。相良くん、私、君のおかげで、全部、思い出したよ」


 そう言って、『彼女』はポツポツと語りだした。


*******


 ――私は、確かにこの時代の人間じゃない。景色も文明も、何もかも変化してしまった。だけど正真正銘、この土地この村で生まれ育った。そう断言できる。

 農作物を育て、動物を追いかけて、木の実を拾ったり。そうやって家族や村の人たちと日々を過ごしていた。その生活は決して裕福とは言い難かったけれど、悪いものではなかった。


 けれどもある年。突如として、雨が降らなくなってしまった。

 水がなければ困ってしまう。作物は枯れ果て、食い扶持に困ってしまうからだ。ある程度の蓄えがあるとはいえ、いくら持つかもわからない。村人たちは焦燥に駆られた。

 そのうち、どこから聞きつけたか、人々は雨乞いの儀式を行うこととなる。

 しかし、その儀式には、人身御供――生け贄が必要だった。

 どういった人が対象だったのかは、覚えていないの。けれど、神様が好きそうってことで、若い女性の中から選ぶことになったんだと思う。

 ほら、神様ってスケベじじいだって、言うじゃない? 

 空想の産物に責任を転嫁するのもどうかと思うけれど、でもきっと、そっちの方が都合がよかった。

 非力でか弱い存在なれば、抵抗も意味をなさないから。


 そして、無残にも――白羽の矢は、私に立つこととなる。


 拒もうと思えば、逃げだそうと思えば、できたかもしれない。でもそうしたら、私以外の誰かが犠牲になるのは必然。

 だったら、私がやるしかない。気乗りはしなかったけれど、その重要な役目を、その身に引き受けた。

 両親や親戚はその目に涙を浮かべ、何度も何度も謝罪の言葉を口にしていた。中には同情や哀れみの目線を向る者も。私が視線を合わせにいけば、彼らは揃って静かに目を伏せる。


 ごめんな、本当にごめんな。


 そうやって謝り倒す彼らを、幼い弟妹たちは不思議そうな顔して見ていたのを、今でも覚えている。

 

 私が人間として過ごすには、最後となった日の夜。

 自分から、いいよ、だなんて返しておいて、私は言い知れぬ不安でいっぱいだった。

 なかなか寝付くことができない。時間だけが、いたずらに過ぎていく。

 最期にこの町を目に焼き付けておこうか、なんて思い、ひっそりと抜けだし夜の世界を散策する。

 その最中、私は彼と出会った。

 どうやら彼も私と同じく、眠れないから散歩をすることにした、らしい。というのも、私はその時のことを、曖昧にしか覚えていないからだ。

 歩幅を合わせ、二人しかいない世界を闊歩する。

 交わされる言葉の中、不意に彼がその足を止めた。

 本当に、いいのか、って聞かれた。

 その問いに、私は何も答えなかった。同じく歩みを止め、振り返って。薄く笑って、彼を見ていた。

 沈黙を肯定と捉えたのであろう。彼は、そうか、とだけ呟いて俯いた。

 その下、どんな顔をしていたのだろうか。

 見ておけばよかったかな、だなんて、後悔と疑問だけが残っている。


 そして、やってきた儀式当日。厳かに執り行われるそれは、日没後に催された。

 襦袢に身を包んだ私は目隠しをされた。両手首を紐のようなもので拘束され、優しく引っ張られ、それに従って歩みを進める。

 どこかで鈴の音がする。シャラシャラと、耳障りのいいそれは、視覚を奪われているせいか普段より明瞭に聞こえた。

 誰かがお経にも似た文字列を読み上げる。意味はわからない。けれどきっと、神様に捧げる大事な言葉なのであろう。パチパチと、焼べられた薪が燃えさかる音に混じって。


 やがて、その時間は訪れる。

 深く掘られた穴に足を、全身を沈めていく。

 シャリシャリと、せわしなく土が被せられる音。初めは足首を覆っていたそれらも、堆積すれば顔を覆い尽くすように。


 私は、生け贄として、生き埋めにされた。


 私の胸中には、ずっとずっとどす黒いものが渦巻いていた。

 痛い。苦しい。辛い。息ができない。

 ああ嫌だな、やめておけばよかったな。

 私だってやりたいこと、もっとたくさんあった。長生きしたかった。


 ――寒い。でも暑い。寂しい。真っ暗で、何もないの。怖いよ。


 そう思い続けて、誰かに会いたくて、――助けて、ほしくて。

 幾ばくが経過したのであろうか。気がついたら、君に――相良くんに出会ったのだ。

 人に出会うのは実に久しぶりであった。この際、自分が死んでいるだとか、成仏できていないだとかは関係ない。

 だからついつい、話し込んでしまった。彼にとってはなんてことのない、ただの世間話にすぎなかったであろう。けれども私は、本当に楽しくて仕方がなかったのだ。

 相良くんに私の名前を問われた。そこで名乗ろうとして、はたと気づく。

 自分の本当の名前を忘れてしまった。

 それらしいことを、唯一覚えているのは、最後の最後。村の人が呟いていた、「ひ……み……」という言葉だけだった。

 今になって思えば、そう――”人身御供”、儀式の最中にあげる祝詞の一部か何かだったのだろうか。そんな大嫌いな、忌々しい言葉を自分の名前に使うとは、なんという皮肉であろうか――。


*******


「これが私の全部だね。なんとなく、さ。君の持ち物とか、景観とか、見たこともない陸を走る大きな箱とかを見て、ああ、ここは私の生まれた時代じゃない、っていうのには薄々気づいてはいたんだ。まさか、そのさらに先の未来にまで来ていたとは、思わなかったけれども」


 袖口で溢れ出てきた涙を拭った。

 まさか、彼女が。

 目の前にいる彼女が、こんな過酷な昔話を背負っていただなんて、一体誰が想像したであろうか――。


「……ひみさんはこの後、どうなるんですか」


 相良はずっと懸念していた。だからこそ、この話を本人に伝えるのを躊躇していた。

 幽霊にしろ、妖怪にしろ、この世に存在するべきではないものたちは、その真相を伝えられたが最後、二度と姿を見せなくなってしまう――。それが創作でもおとぎ話でも、必ずと言っていいほど付与された「お約束」であった。

 それ故の憂慮、危惧、恐怖。

 もし、それにより、目の前の彼女が消えてしまったら。

 もう二度と、会えなくなってしまったら……――。


「わからないかな。私に気づいてくれたのも、声かけてくれたのも君が初めてだったし」


 相良の問いに、ひみはゆるゆると首を振るだけだった。

 幸いにも、これまたお約束である、彼女の身体が透けたり光り輝く粒子になったりと、そういった現象は起きていなさそうだ。……この発想自体、漫画やアニメの見過ぎではないかとも思うが。

 とりあえず今のところは大丈夫そうだと、胸をなで下ろす。


「……辛くは、なかったんですか。苦しいとか、嫌だとか。後悔、だとか。そういうのはないんですか?」

「あはは。確かに苦しかったよ。生き埋めにされるって、とても辛くて寂しいの。でも、こうやって相良くんたちが今を生きているんだもの。だから、よかったのかなって思ってる」


 そこで、ひみはふと思い出したように言った。


「そういえば、相良くんの身内は、この町に系譜があるのかい?」

「母がこの町の出身なんです。母はここを飛び出して、都会へ出ましたけれども、先代まではずっと、ここで暮らしていたそうです」

「そうか。そうなんだ。……うん、やっぱり、後悔はしていない」


 彼女は、白い歯を見せて微笑んだ。


「そっくりなんだ、相良くん。私が密かに好意を寄せてた人に」


――――――


「おーい相良ぁ、このマルチ手伝ってくれぇえ~」


 放課後、ホームルームが終了するなり、祐介が声をかけてきた。彼はスマホを片手に、相良の机上へと身体を滑らせる。

 恐らく、昨日から期間限定で実装されたクエストのことであろう。相良は頷くと、アプリを起動して準備をする。


「わかった。火力役を積んでいけばいい?」

「そうだなぁ~回復も出来るとありがたいけれど、とりあえずゴリ押しでいいかなぁ」

「了解……あ、このクエスト、ごり押しは難しいっぽい。失敗報告が何件も上がってる」

「えっ!? じゃぁサポーターよりにした方がいいのか……?」

「祐介、あまり広橋くんを振り回さないの」


 梨紗が祐介の頭を軽くはたいた。

 なんだよ! なんてかみつく祐介を見ながら、相良は苦笑する。


「……あ、雨、降りそうだね」


 つられて窓の外を見やる。灰色に覆い隠された世界は、今にも水を

 反射的に立ち上がる。……が、すぐに思い直し、席に着いた。


「なんだ、今日もまた彼女のところに行くのか?」

「ううん、そうじゃないんだ。ただ習慣でさ。もし行ったところで……会えるかは、わからないけれど」

「相良くん、行かないの?」

「うん……」


 煮え切らない態度に何かを察したらしい祐介が、わざとらしく身体をくねらせた。


「はぁ~ん。祐介くんフラれちゃったな。寂しいなぁ。相良くんと遊びたかったなぁ~。でも仕方ないよなぁ。可能性はゼロじゃないよなぁ」

「えっ……」

「行ってきなよ。私が代わりに一緒にやっておくからさ」

「……ごめん祐介。明日、昼休みにでも必ず埋め合わせするから!」


 手を合わせ謝罪後、急いで昇降口へ向かった。背後から、絶対だぞー、と祐介の声が聞こえる。

 あれから、様々な変化が起こった。

 まず友人ができた。それが、件の三枝梨紗と、桜井祐介であった。

 彼らはあの日、ひみの正体について指摘してきた。それ以降、積極的に話しかけてくるようになったのだ。

 真実への罪滅ぼしか、贖罪か。はたまた、単に自分と関わりを持とうと思ってくれていたのか――その心の内は、相良の知ることではない。

 ここでもやはり相良によるディスコミュニケーションが発揮されてしまうのだが、それでも彼らは、辛抱強く相手をしてくれた。

 そのうち、相良と祐介の間に共通点が生まれることとなる。というのも、同じアプリのゲームを遊び、更にはそれを趣味に持ち合わせていたのだ。

 そこから先は早かった。すぐさまフレンド登録をし、協力プレイにいそしんだ。それを梨紗が眺める。やがて彼女も同じアプリをインストールし、三人で遊ぶことが常となっていた。

 あれだけ頭を固くして、悩んでいたのが馬鹿らしい。

 ああなんだ、こんなに簡単なことだったのだ。

 あの時彼女がかけてくれた言葉の意味が、相良はようやく理解できた。


 そんな彼女はというと、あれから姿を消してしまっていた。

 雨天時は必ずと言っていいほど現れ、錆び付いたベンチに腰掛け相良を出迎えてくれた彼女。今やその跡形もなく、

 やはり、お約束はお約束であったのだろうか――。

 それでも相良はもう一度会えたらと、そう願い、雨が降るたびあのバス停に足を運んでいた。

 そろそろ季節が移り変わろうとしている。あれだけ突発的に降っていた雨も、ある程度予報通りに落ち着くものへと変わろうとしていた。

 そしてそれは、叩きつけるような暴力的なものから、風を伴い視界を遮り行く手を阻むものへと遷移する。流石に台風級のものになってしまえば、外に出ることすら困難となってしまう。


 ――もう、終わりにしようと。


 これはきっと、彼女が私のことなんて忘れてくれ、とでも言っているのだろうか。はたまた、あの彼女ですら、ひとりぼっちで寂しい思いをする相良の見た、都合のいい幻覚か。そう思えてしまうほどに。彼女の存在が薄く、儚く消えていく。

 けれど、相良自身は忘れたくはなかった。

 命をかけてこの町を守ってくれた、未来をつなぎ止めてくれた。

 自らを犠牲にして、他の皆を生かす選択をした。

 自分たちが今確かに、ここにいる証明をしてくれる彼女のことを。

 どうしても――……いや、決して忘れてはいけないと、そう思うのだ。


 ぬかるんだ大地を踏みしめ、息を荒げながらバス停にたどり着いた。


 相も変わらず、ここには誰もいない。相良はベンチに腰を下ろす。

 彼女は――ひみは、ずっとここに座っていた。

 相良の話し相手になってくれた。新しい環境に馴染めず、孤独と諦観を抱く己のよき相手であった。

 暗い話も、明るい話も。何だって聞いてくれた。初対面の相手と対話が苦手な自分が、唯一きちんと話せた相手。


 一度だけ。もう一度だけでいいから。


 相良は目を閉じ、両手を合わせ祈る。


「こんにちは。お隣、いいですか?」


 ――その、願いが届いたのだろうか。

 鈴を転がしたかのような、高く愛らしい声が響く。

 聞き心地がよい音色。

 耳朶に触れ溶けていく。

 反射的に顔を上げる。

 腰まで伸びた綺麗な黒髪。

 つぶらな瞳に、柔らかそうな肌。

 白いワンピースからスラリと伸びる手足。


 ――ずっと渇望していた。

 顔を見たかった、声を聞きたかった。

 自然と破顔するのを感じ取る。


「どうぞ。喜んで」


 相良は言葉を返す。その声は、歓喜に打ち震えていた。

 彼女が隣に腰を据える。花のように、可憐な笑みをたたえながら。

 彼女が現れるのは、決まって雨の日。自らの命と引き換えに、未来を繋いだ証と共に表舞台へと降り立つ。

 ポツポツと水滴がアスファルトを叩く音がする。微量ながらも姿を見せつつあったそれは、世界をあっという間に水の世界へと染め上げる。


 今日もまた、そんな雨が降っているのだった。

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雨の日、バス停にて邂逅するは。 雛星のえ @mrfushi_0036

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