第2話
「こ、た、ろーくーんっ!」
友達の家に行った時はなぜか節をつけて名前を呼ぶことになっている。どこで教わったわけでもないのに、誰もが同じようにする。歌うような、でもテンポがずれているような、よく考えると少し妙なリズムだ。けれども、インターホンをおしていいのは大人だけで、子供は堂々と声を張り上げて呼びかけなければいけないような気がしていた。
ドアが開いて、水島のおばあちゃんが顔を出した。
「あら、綾ちゃん。いらっしゃい」
「おばあちゃん、こんにちは」
毎日訪ねてくるのがわかっているはずなのに、水島のおばあちゃんは必ず「あら、綾ちゃん」と言う。黒い髪など一本もない見事な白髪頭は、日があたると少し光って、まるで妖精の羽のようだと綾は思っていた。
いつものように家の中へ入ったが、廊下の中ほどで綾は立ち止まった。
「あれ?」
特に普段とちがうところがあるわけではないのに、なんだか少しだけ違和感があった。
「綾ちゃん? どうしたの?」
水島のおばあちゃんが不思議そうにたずねる。
「ううん。なんでもない……と、思う」
「ああ。綾ちゃんにはわかっちゃうのね。ごめんなさいね。ちょっと片づけしていたものだから。ちらかっているでしょう」
綾にはどこがどうちらかっているのかわからなかったので、あいまいに微笑んでおいた。
「アーヤ」
優しい声で呼ばれた。声のする方に目をやると、二階へ続く階段の中ほどから小太郎が顔をのぞかせている。
小太郎に名前を呼ばれると、綾は胸の奥がくすぐったくなる。
小太郎は決して大声を出さない。いつだって風に揺れる葉の音のような声で話す。そのささやくような声は、綾の名を発すると「アーヤ」と聞こえる。温かな手でほほをなでられたような気がして、くすぐったくなるのだ。
「ぼくの部屋へおいでよ」
綾は上り慣れている階段に足をかけた。振り向くと、もう水島のおばあちゃんはいなかった。
階段は踊り場で左に曲がってのびている。その踊り場には大きな観葉植物がある。ドラセナという名前だと、ずっと前に水島のおばあちゃんが教えてくれた。太い幹と元気よく生い茂る葉は存在感たっぷりだ。
綾はそのドラセナの前を通りすぎ、階段の残り半分を上りかけたところで、ふと立ち止まった。さっきと同じような違和感に導かれ、ドラセナの前までもどる。
壁に、なにかある!
綾はドラセナの正面にしゃがみこんだ。
「アーヤ?」
すでに上りきっていた小太郎が、不思議そうに踊り場まで下りてきた。
「どうしたの?」
「植木鉢の位置がずれているわ」
「ああ。おばあちゃん、片づけしていたって言っていたからね。階段の掃除する時にでも動かしたんじゃない?」
「それだけじゃないわ」
小太郎は少し不安そうに見ている。
「ねぇ、それって、そんなに気になること?」
綾は返事をする代わりに、小太郎の手を引っ張ってしゃがませた。
「見て。 ――扉よ」
ドラセナの鉢の陰に、小さな扉があった。
ドアというより扉という方がふさわしい。高さ一メートルもない。七、八十センチくらいだろうか。アンティーク家具のように黒っぽくつやのある重そうな木製の扉。表面には複雑な模様が彫ってある。取っ手はくすんだ金色。とても重厚な雰囲気だ。おとぎ話に出てきそうなこの家の壁には似合わない。似合わないどころか、ちぐはぐで、この扉だけが別の空間にあるような感じさえ受ける。
「いつも遊びに来ているのに気づかなかったわ」
「ただのドアだよ。ねえ、早くぼくの部屋に行こうよ」
小太郎にとっては自分の家にあるドアのひとつにすぎないのかもしれない。けれども綾には、とても不思議なものに見えた。
階段の踊り場に扉があるなんて考えたこともなかった。もしかしたら、一階の天井裏に部屋があるのかもしれない。綾は薄暗くかび臭い隠し部屋を想像して心が踊った。
「中にはなにがあるの?」
「わかんない」
「うそ。わかんないはずないでしょ。自分のうちなのに」
小太郎は困ったように肩をすくめた。
しかし、綾は引き下がる気はなかった。こんなに興味深いものを見逃すわけにはいかない。
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