未だ見ぬ世界
雪女の夜這いにでも遭ったか。瞼に花唇の口づけを受け、氷付けにされた睫毛が開帳を許さない。指でどうにかその雪化粧を払い落とし、太陽の位置をカーテン越しに確認すれば、常套句となった言葉を吐露する。
「何時だよ……今」
枕元の携帯電話を手に取り、液晶の眩い光を浴びながら、今自分が置かれている状況を明明白白に理解する。
「はぁ〜、本当苦手だ」
重苦しく上体を起こした鵜飼は、携帯電話に残された着信履歴の数に目を向いた。
「鈴見……わざわざ電話を」
侘びの一つや二つ、入れたところで自分の振る舞い立ちが直る訳でもない為、自己嫌悪に陥るしかない。夜を活動の主軸に置いている鵜飼にとって、朝を見越して早く眠るなど、身を削るようなものであり、生活改善とは地獄のような所業と捉えていた。
ベッドから這い出ると、学校指定の制服のズボンにジャケットを無造作に穿き、寝間着を片手に部屋から階段へ、そして水場の洗濯機へ投げ込んだ。
共働きの両親は既に家を出たようだ。通りすがった居間から物音一つせず、伽藍とした家の中を鵜飼は優雅に移動する。小言の一つも吐かれない朝の素晴らしさに浸り、居間のテレビに視線が行くと、迷いなくリモコンに手を伸ばした。時間に追われている者とは到底思えない行動である。
「あれ」
鵜飼は肩透かしを食らった。電源のボタンを何度押してみても、テレビはその信号を受け取らない。
「壊れたか?」
リモコンの電池を交換する手間と引き換えに、「壊れた」という体のいい理由をテレビに託けた。リモコンをソファーに投げ捨てて、鵜飼は漸く、登校の為に玄関へ向かった。踵が履き潰れたスニーカーに爪先を引っ掛けてサンダルのように履きこなす。ろくに収まっていない足はズリズリとだらしない歩行を強いられ、猫背の鵜飼と合わせて気怠さがより際立ち、朝をどれだけ憎んでいるかを体現した。玄関の扉に手を掛けると、嘆息しながら押し開く。
地面を注視しながら庭を抜けて門扉から道路に出た結果、目の前の現実に遅々として頭をぶつける。それは、露出狂も木から落ちる異様に発達した霧の壁であった。
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