第30話☆

「暇だ…」


一人でつぶやいても虚しくなるだけだった。

最近の休日にしては珍しく、時間を持て余していた。

洲崎によってきれいに整えられたベッドに寝転び天井を見てみるが、特に面白みはない。

いつもなら洲崎も家にいて、何をするわけでもないが時間はあっという間に過ぎていく。

二人でいる生活に慣れきってしまっていた。


認めたくはないが、ここ最近、洲崎との関係性は同僚や友人と呼べないほど密度が濃くなっているのは確かだ。

毎日当たり前のように一緒にいる。

世間に疎い真澄でも、さすがにこの状態が普通でないことは理解している。

でも、この生活を止めようと思えないのは、きっと洲崎の営業戦略にまんまと嵌っているせいだろう。


洲崎は真澄に対する好意を隠さないようになってきた。

むしろ解らせるようにしている節もある。

視線は慈愛に満ちているような時もあれば、気付かない方が無理なほど熱がこもっている時もある。

距離も近い。

気付けば体温の高い肌が近くにある。

以前の、視線も合わせられない男は一体どこのどいつだったんだ、と叫びたいくらいには別人だ。

いつか取って喰われるんじゃないかとかそんな不安もあったが、今のところ寝こみを襲われることもないし勝手にキスされることも、あれ以来なかった。

ただ、「背中を流したい」と風呂に押し入ろうとすることは増えたから、決して紳士とは言えない。

真澄は困っていた。

洲崎の一挙手一投足が、いちいち心臓を余分に働かせるからだ。



しかし例の世話係は、今日は入院している知り合いのお見舞いに大家と行くらしい。

お前も一緒に行くか、と誘われたが、知らない人間の見舞いになんて行くわけない、と悪態をついてしまった。


苛立っていたのは間違いない。

今朝の洲崎はわざわざレンタカーを借りていた。

思い返せば、真澄は居酒屋や近所のスーパー、コンビニくらいしか洲崎と出かけたことはない。

そんな真澄を差し置いて、大家と仲良く遠出しようとしていることに胃のあたりがむかむかした。


(俺の世話より婆さんが優先ってか?家政夫失格だな)


お世話になっている大家を、心の中とはいえ婆さん呼ばわりしたことに胸がちくりとする。

感情が荒くれだっているのは自覚している。

それでも、この感情がどこから来てどういう類のものなのかは分からない。

良くないことに、時間を持て余していることがその感情をさらに正体不明のものにしている。


(こんなことなら一緒に行けば良かった…いや、無し無し。俺と、ワイルド筋肉アラサー男と高齢の未亡人女性の組み合わせなんて謎過ぎる。下手すれば職質される可能性もあるぞ…)


想像してみると、面白ささえ感じる。

ただ、そんな妙な組み合わせの時でさえも、洲崎がいれば何となく上手く治まるような気もする。

やっぱり行けば良かったか、と思い直していた時だった。


インターホンが鳴る。

滅多にならないその音に、一瞬体が強張った。


(この間、忘れ物でもしたのか?)


真琴だと思った。

それ以外に来るとしたら母親くらいだ。

いつもなら居留守を使うが、暇を持て余しすぎて気まぐれに玄関へ向かう。

ドアスコープを確認しなかったことを後悔しても遅かった。

開けたドアの前には、決して休日に会いたくない人物が立っていた。


「中村係長…」


前言撤回。平日にも会いたくない人物だ。

しかし、目の前の男は顔もやつれて、以前のような傲慢さは感じられなかった。


「佐野君、今日は君に謝りに来た。申し訳ないことをした」


平均より面積が広めの額に汗をかきながら、人目もはばからず大きな声で言った。

菓子折りを手に持ちながらも、その場で土下座しそうな勢いだ。

さすがに家の前で土下座されては堪らない。

やむを得ず部屋に上げることにする。


「玄関前ではあれなので…」


社交辞令中の社交辞令で部屋に促す。

以前の汚い部屋であれば絶対にしない行動だった。しかし、今ではすっかりモデルルームのような仕上がりだ。

それに今日は服を着ていた。休日にも関わらずだ。

誇らしい気分で部屋に招き入れる。


「ありがとう」


ぼそぼそと礼を口にした中村は素直に真澄に従った。

お茶でも出すべきかと一瞬思ったが、洲崎が用意してくれたお揃いの湯飲みを中村が使うのは何となく許せなかったのでやめにする。

そもそも道具の場所や、良いお茶の入れ具合はさっぱり分からない。

洲崎に任せっきりのツケがこんなところで回ってきたようだ。


「本当に申し訳ない」


中村は再び謝ってきた。今度はしっかり土下座している。

しかし、なぜだか心に響かない。

どこかで冷静になっている自分がいる。


「頭を上げてください」


またしても社交辞令中の社交辞令が口から飛び出した。

中村の謝罪うんぬんより、こんなことを自然に言える大人になったことの方が感慨深かった。


「ありがとう」


そういって中村はすがるような目でこちらを見てきた。


(まだ許すとは言ってないけどな。二時間くらい土下座させとけば良かった)


勝手に許された気でいる中村に対して、嫌悪感が増す。

実際、中村を許すつもりなどなかった。

自慢ではないが、真澄は一度嫌いになると徹底的に嫌う性格だ。


「僕はもう結構です。洲崎には謝罪されたんでしょうか?」


おそらくしていない。

洲崎は何かあればまめに報告する男だ。

今朝も一緒に過ごしたが、そんな話は一切出なかった。


「いや、洲崎にはこれから…」


口ごもりながら言い訳しようとする男にさらに嫌悪感が増した。

まず洲崎に謝罪するべきなのに、そんなことにも理解が及ばない頓珍漢な思考にいっそ同情してしまいそうになる。


「僕より洲崎です。一番迷惑被ったのはあいつですから」


声に冷たさが出てしまったが仕方ない。

本来なら蹴散らして部屋から追い出してもいいくらいだ。

中村は俯いている。

そして何かをつぶやいた。


「え?」


聞き返しても、俯いたままぶつぶつと続けている。


「…みんなあいつばっかり…」


聞き取れた時には遅かった。

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