第25話☆

何が起きたのか分からなかった。

思わず目を開く。

目の前には、真剣に真澄を見つめる洲崎の顔があった。


「…びっくりしたか?」


突然のことに言葉が出ず、頷くことしか出来ない。


「ごめん。お前が好きだ」

「へ…」


情けない声しか出ない。

言いたいことや聞きたいことはたくさんあるけれど、あり過ぎる。


「…怒ってはないみたいだな。あれ?もしかして、もう一回いけるか?」


何を思ったのか洲崎はまた、唇を重ねてきた。

さっきと同じ、柔らかい感触。

しかも目が開いている状態で。

今度こそ、何をされているかをしっかり理解できた。


「ちょ、調子に乗るな!俺はそんなこと許してないぞ!」


顔が熱い。

きっと赤くなっているに違いないけれど、どうすることも出来ない。


「でも、嫌ではなかっただろ?」

「…嫌かどうかは…」


嫌だったら殴っていたと思う。

だから、嫌ではなかった。

でも、それを認めてはいけないような気がする。


「じゃあ、俺に希望はあるみたいだな」


洲崎はニヤリと笑った。


「今はまだ俺のこと、好きじゃないかもしれない。それは仕方ない。でも、これから絶対、好きになってもらうから」

「はぁ!?」


とんでもなく自信満々に言い切られ、開いた口が塞がらない。


「というわけで、エースの名に懸けて、今後は俺自身をしっかり営業させてもらいます」

「ちょっと待て、俺を新規開拓しようとするな!」


真澄の抗議は届いていないのか、洲崎は他人事のように笑っていた。


「そろそろ、飯にするか。まずは胃袋鷲掴み作戦だ」

「お前な…」


本気なのか、冗談なのか。

しかし、あの時の真剣な表情は、ふざけているようには見えなかった。

ただ、洲崎ともあろう男が真澄を好きだなんて、にわかに信じがたい。

考えれば考える程、頭の中は混乱していく。


(あーもう、わかんねぇ…とりあえず、飯食べよ)


怒涛の一日を過ごした真澄には、考える体力はなくなっていた。

早退して時間があったからだろう、いつもより豪華な食事が机に並べられていく。

それをみると、自然に食欲が湧いてきた。


すでに作戦は成功しているのかもしれない。

胃袋に関してはもはや諦めるしかない、と真澄は思った。




*******




真澄は慌ただしい一日を過ごしていた。


中村の件については洲崎とよく話し合った。

そして、斉藤達と話していた当初の予定通り、連携してそれぞれの上司に報告することになったのだ。


やはり、営業部のエースに対する度を越えた嫌がらせは、会社としても大事件だったらしい。


朝一で新谷に洲崎のことを報告すると、すぐに部長案件となった。

営業部では、洲崎と斉藤が上司に報告した直後、中村が部長室に呼び出されて自宅待機を命じられた。

午後に上層部が集まる会議があったこともタイミングが良かった。

その会議で、中村について審議されることになったのだ。

松田の協力を得て掴んだ証拠は全て、白日の下に晒されることとなった。


処分は即決された。

数か月の出勤停止と降格、そして地方の孫会社への出向だった。





「…ということだ。まだ公になるのは少し先だから、口外しないように。でも、今回の関係者には伝えても構わないよ、気になるだろうし」


会議が終わった後、新谷が中村の処分について報告してくれた。


「しかし、佐野君がまさか、こんな無茶するなんてな」

「申し訳ありません。ご心配とご迷惑をお掛けしました」


新谷は苦笑している。

荒っぽい証拠探しは、きっと今までの真澄のイメージに反していたのだろう。


「でもな、無茶は無茶だけど、かばい甲斐がある無茶だった。上司として誇らしかったよ」


肩を叩きながら言われた言葉に、思わず胸が込み上げた。

最近の自分はどうしてか、涙腺が脆い傾向にあるようだ。



その後、洲崎や斉藤、松田と集合して、中村の処分について伝える。

ひと段落ついたことで、互いに喜びを分かち合った。


「皆さん、本当にありがとうございました」


洲崎は深々と頭を下げた。


「おい、畏まるんじゃないよ。一番大変だったのは洲崎なんだから。それに、お前のおかげで俺たち三人は素敵な一夜が過ごせたんだぞ」

「そうよ。洲崎君のおかげで私の演技力は開花したんだから!」


どっと、笑いが溢れた。


「どうしてもお礼がしたいなら、してもいいぞ」


真澄は洲崎に意地悪く微笑んだ。


「きゃー!佐野君のSっ気、初めて見た!…これは事件よ」


松田はテンションが上がっている。

その横で、斉藤が「ヒューヒュー」という謎の合いの手を入れている。


「ぜひ、お礼させてください」


洲崎は嬉しそうに言った。

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