第24話☆
暗い夜道を早足で帰る。
体は疲れているはずなのに、ふわふわ浮くような感じがする。
(遅くなったな…)
今日起こった怒涛の出来事は、全て夢だったような気がしてくる。
しかし、鞄の中にはそれが現実だと証明する物が入っていた。
三人で話し合った結果、証拠は真澄が保管することになった。
あくまで洲崎の意向次第だが、今日得た諸々の証拠を元にそれぞれの上司に報告する、という結論でまとまった。
営業課だけでなく、総務課やシステム管理課まで巻き込むのは、その方が外堀が埋まって圧をかけやすくなるからだ。
元々は真澄と中村が原因で、それによって二人まで巻き込むことになってしまったのを謝罪すると、
「気にすんなよ。俺は佐野に頼られて、うれしい気持ちしかないぞ」
「私も。それに、こんなドラマチックな経験するなんて、末代まで語り継げるネタが出来たしね」
そう言ってくれた。
二人にはとても大きな借りが出来てしまった。
しかし、今の真澄はほくほくと、温かな感情で包まれていた。
(帰ったら洲崎に説教しねぇとな)
連絡してみると、早退して自宅にいると思いきや真澄の家にいるらしい。
もう夕飯の用意は出来てるぞ、と返事があった。
(あいつ、人の世話してる場合じゃねぇだろ…)
洲崎にはまだ、今日の出来事は伝えていない。
おそらく、洲崎は最近起きているトラブルが中村によるものだと分かっていたはずだ。
しかし、本人はそのことを周りに言うつもりはなかったのだと思う。
真澄にはそれがもどかしかった。
アパートに近づくと、大家と洲崎の姿が見えた。
「あら、おかえりなさい」
「佐野、おかえり」
「あぁ、ただいま…」
洲崎は脚立に上り、階段を照らす電灯を取り替えているところだった。
つくづくお人好しな男に、真澄は腹立たしい気持ちになる。
「出来ましたよ。また何かあれば連絡ください」
「助かるわ。いつもありがとうね」
これまでも、しばしば洲崎は老齢の大家に頼まれごとをしていた。
今では、付き合いが長いはずの真澄より、洲崎の方が仲良くなっている。
大家と分かれ、二人で部屋に帰った。
洲崎の様子はいつもと変わらないように見えた。
「どうした、佐野。疲れたか?」
そういって、顔を覗き込む。
洲崎のその様子に、抑えていた感情が溢れ出す。
「お前なぁ…疲れたか、じゃねぇよ!そこに座れ。正座だ、正座!」
烈火の如く荒ぶる真澄に、呆気にとられていた洲崎だったが、すぐにおとなしく正座する。
「お前、今日早退させられただろ?」
洲崎は気まずそうに目を伏せた。
「知ってたのか…」
弱々しい声で呟く。
真澄は鞄から例の資料を取り出し、洲崎に差し出した。
「これ…なんで佐野が…?」
目を瞠り、言葉を無くしている。
「中村のデスクにあった。お前、最近ずっと嫌がらせされてたんだってな。それに…その犯人が中村だって気づいてたんだろ?」
洲崎はしばらく黙っていた。
そして、ようやく口を開いた。
「あぁ…気付いてたよ。係長しか考えられなかった。でも、証拠がなかった」
洲崎は悔しそうに書類を睨む。
真澄は、今日起こったことを全て話した。
斉藤が気付いて、真澄に教えてくれたこと。
松田の協力を得て証拠を掴めたこと…
洲崎は信じられない、という顔で聞いていた。
話し終えた後も、内容を反芻しているようだった。
「そうだったのか…。何て言ったらいいか…本当にありがとう」
洲崎は頭を下げている。
「ありがとう、じゃねぇよ…!お前、自分が大変な時に、人の世話ばっかりしやがって。そのせいで、お前が辛い時、俺、全然気付かないでのんきに過ごして…バカみたいじゃねぇか!」
気持ちの整理が出来ず、自分でもめちゃくちゃなことを言っているのは分かっている。
でも止まらなかった。
「もっと頼れよ。じゃないと、俺、お前にしてもらうばっかりで、何も返せない…」
真澄が辛い時、洲崎はずっとそばにいて支えてくれた。
でも、洲崎が辛い時、何もしてあげられなかったことが、悔しくてたまらない。
泣くのを堪えようとしたけれど、止められなかった。
「ごめんな。バカなのは俺だよ。この歳になっても、頼るっていう選択肢が思いつかなかった。教えてくれてありがとう」
子どもをあやすように、洲崎に優しく抱きしめられた。
また、洲崎から世話をされているような気になる。
「ほら、またそうやって、子ども扱いして俺を甘やかす!そういうところがダメだって言ってるんだよ」
「でも、好きでやってるんだから良いだろ?」
洲崎が笑いながら、背中をポンポンと優しく叩く。
「そうかもしれないけど…もっと俺に出来ることとかないのかよ?」
うーん、と洲崎は唸っている。
そして思い出したように言った。
「そういえば、最近あの練習してないよな?久しぶりにさせてくれよ」
「は?またするのかよ」
確かに最近はしていなかった。
今となっては懐かしささえ感じる。
「出来ないのか?」
「出来ないわけないだろ」
「じゃあ、決まりだ」
洲崎の大きな手で両頬を包まれる。
久しぶりに洲崎の顔を間近に見ると、以前より心臓の音が大きくなった気がした。
「ぶっ、お前の泣き顔面白いから、ちょっと目瞑っててくれよ」
「なんだと?」
「ほらほら、少しで良いから、瞑ってくれよ」
真澄は仕方なく目を瞑った。
その瞬間、唇に柔らかいものが触れた。
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