第20話★

それから数日が過ぎた。


「おい、起きろ。朝だぞ」

「んー」


いつものように部屋の主を起こして、朝食を食べさせる。

佐野は口いっぱいにトーストを頬張っている。


(よかった。やっと調子が出てきたみたいだな)


目の前でおいしそうに食べる姿に、洲崎はようやく日常が戻ったことを実感した。


例の一件の後、しばらく落ち着かない日々が続いた。

佐野の食欲は落ちていたし、よく眠れていないようだった。

いつもとは違うその様子に、洲崎は気が気でなかった。

佐野を少しでも元気づけようと、今までの苦い経験は忘れて全身全霊で世話をした。

毎日、佐野好みの食事を作り、お笑いのDVDを見せ、マッサージをし、安眠枕を使わせたり…とにかく出来ることはなんでもした。


振り返ってみると、自分でも重たいと感じる。

世話の圧が強すぎたと反省するほどだ。

かつての恋人達にさえ、これほど甲斐甲斐しく尽くしたことはなかった。


これまでの経験上、鬱陶しがられることは間違いないと思われた。

だが、佐野は違った。


「今日の晩飯なに?」


期待した目でこちらを見ている。


「そうだな…ハンバーグにしようかな」

「ふーん。そっか」


そっけない返事とは裏腹に、明らかに機嫌が良くなった。

本人は隠しているつもりだろうが、その表情はうきうきした感情が漏れ出していた。


(かわいすぎるだろ…)


急に愛しさが溢れて抱きしめそうになる。

それを、ぐっと堪える。


佐野は相変わらず、洲崎を鬱陶しがらずにそばに置いてくれている。

求められているのは家政夫としての役割だけかもしれないが、今はそれで充分だった。

洲崎にとっては、一緒にいられるだけで良かった。




*****




「なぁ、最近変な噂聞いたけど、大丈夫か?」


たまたま昼食時に食堂で一緒になった斉藤から声をかけられた。


「知らない。何のことだ?」


斉藤は、言いづらいのか声をひそめるように話した。


「お前とさわやか王子が付き合ってるって、噂になってるぞ」

「え?」


驚いて食べていたものが喉につかえた。

むせる洲崎に、斉藤はお茶を持ってきてくれた。


「そうなるよな?俺もびっくりしたよ。確かに最近佐野とつるんでるのは知ってたけどさ、さすがに付き合ってはないだろ?」

「あ、あぁ」


あまりに突然のことで、まだ動揺が収まらない。


「まぁ、俺は付き合ってても良いと思うけどね」


だって面白そうじゃん、と斉藤は笑った。


「張本人の前で面白がるなよ」


呆れて言い返すも、まぁまぁ、と嗜められた。


「だって王子と王子の組み合わせだぞ?俺の彼女が泣いて喜ぶ…って今のは聞かなかったことにしてくれ」


斉藤は経理課の後輩と付き合っているらしいが、どうしてその彼女が泣いて喜ぶのかはわからない。

ただ、斉藤のノリの軽さと口の軽さはいつものことなので、気にせず素直に聞き流すことにした。


「ていうか、そんな噂話する暇あるんなら働けって話だよ。俺らが汗水流して働いてる間にのんきにおしゃべりしやがって」

「まぁまぁ」


宥めたものの、課は違うが同じ営業部に属する斉藤がいうことには共感できる。

洲崎たちが勤める会社は一般的には優良企業として知られているが、実際に働いてみると理想とはかけ離れていた。

一部の社員の負担が大きいのだ。

それに、社内の雰囲気も決して良いものとは思えない。

現状に甘んじて胡坐をかいているような、そんな雰囲気だ。

すでに洲崎の同期は数人会社を離れている。

斉藤や他の同僚と話をする時も、暗い内容になりがちだ。


「まぁ、お前も大変だろうけど、頑張ろうな。あ、それと、気をつけろよ?さわやか王子ファンの過激派に刺されないようにな。女は恐いぞ…っていや、恐くないわ、今のも聞かなかったことにして」

「あぁ、わかった」


斉藤は急に不穏な気配でも感じたかのように、じゃ、というとそそくさと仕事へ戻っていった。


(噂か…)


思い当たる人物といえば、一人しかいなかった。




例の事件の後、今後のことについて佐野と話をした。

あの時起こったことを会社に報告するかどうか、佐野の意向を尊重したかったのだ。


佐野は迷っていた。

本音を言えば大事にはしたくない、と言っていた。


ただ、今後も同じようなことが起きるかもしれないこと、上司に殴りかかろうとしたのは事実で、それに対して向こうから何かしらアクションがあるかもしれないことなどを鑑みて、報告することに決めた。


社内にそういった案件を報告する窓口はあるけれど、機能しているかは怪しい。

だから、まずは課長の新谷に相談したい、ということだった。


出来れば洲崎も同席したかったが、子供扱いするなと却下された。

何かあれば必ず証人になるから、と食い下がるも、しつこい、と笑われた。


結局、同席は出来なかったが、後日、新谷に相談したと報告があった。

「もっと早く相談しなさい」とめずらしく怒られたらしい。

信頼できる上司に話して心の荷が降りたのか、それ以降、佐野の調子は格段に良くなった。


佐野が元気になったのは喜ばしいことだ。

ただ、少し悔しい気もする。

自分以外にも、佐野が必要としている存在があることに。


(俺、心が狭かったんだな…)


今まで気づかなかった己の一面に、改めて佐野が自分に与えている影響の大きさを思い知った。

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