第3話☆

(もやもやするなぁ)


洲崎と会う機会がないまま、数日が過ぎた。

礼を伝えるどころか、洲崎を目視することさえ出来ていない。


これまで、真澄は極力、他人に借りを作らないように生きてきた。

それを逆手にとって利用されたり、借りた以上に何かを要求されるのは御免だ。

だから少しでも借りを作った時にはすぐ返す、を信条としている。


そもそも、所属部署の違う洲崎と社内で会うことはこれまでだって少なかった。

それに、同期といえどそこまで親しくはない洲崎と個人的な連絡先は交換していない。

社内メールで伝える方法もあるが、原則個人間の私的なメールは禁止されている。


(会いたくない奴には会うんだけどな)


営業部の近くを通りかかると、例の係長が休憩室に入って行くのが見えた。

また因縁でもつけられて時間を無駄にするのも嫌なので、気配を消して通り過ぎようとした。


「この間さぁ、総務のさわやか王子に説教してやったんだけど――――」


聞きたくもないが、粘着質な声が自分のことを話しているのが聞こえた。

思わず足を止めて壁に身を隠す。


「そしたら、すーぐ新谷課長が来たんだよ。俺のものに手を出すな、的な。はは、なんかあの二人怪しいよな?織田信長と森蘭丸みたいでよ。そりゃ、あれだけ整った顔のやつが近くにいたら男でも変な気おこすかもしれねぇけどさ」


中村の下品な笑い声が聞こえる。

真澄は怒りで体が震えた。


これまでも、自分の見た目のせいで不快なことを言われたりすることはあったし、そこに関しては諦めている部分もある。

ただ、信頼している人を巻き込んでしまうのは、性悪を自認している真澄でもさすがに心が痛い。

早く立ち去ろうと思ったが足が動かなかった。


「違うと思いますよ。新谷課長は既婚者ですし。しかも相当な愛妻家らしいじゃないですか」


聞き覚えのある、良く通る声。

洲崎だ。


「そうだけど…」

「それより中村係長。三課の来期の予算書がどうのこうの、って部長がおっしゃってましたけど」

「うわ!忘れてたよ、やばいな…」


中村はそそくさと休憩室から出て行った。


少しして、洲崎も出てきた。

声をかけようとしたが最初の一声が出ない。

戸惑っているうちに、洲崎が振り返った。


「佐野…」


驚いた顔でこちらを見ている。


「えっと、なんか…ありがとう」


ようやく出たのは、自分らしくない弱々しい声だった。

思っていたよりもダメージを受けていたのかもしれない。


「今の聞いてたか?…嫌なもの聞かせて本当にごめん。あの人、口を開けば色んな人の根も葉もないうわさ話してるんだ。どうしようもない人だよな」


悪いのは中村だが、同じ営業部の人間として申し訳なく思っているのか、洲崎は険しい表情だった。


「洲崎が謝ることないよ。それに、この間も三木さんに伝えてくれて、ありがとう」

「知ってたんだな。あの時は急いでてとりあえず三木さんに頼んだんだけど、大丈夫だったみたいで良かったよ」


いつもはきりりとした表情の洲崎だが、申し訳なさそうに笑うと目じりが下がって、別人のような雰囲気になるのが意外だった。


とりあえず礼を伝えることはできた、とほっとしたのも束の間、洲崎から思わぬ提案を受けた。


「そうだ、佐野。今度飲みに行かないか?」

「は?」


突然の誘いに一瞬素が出たが、洲崎は気にも留めていないようだ。

いつもの癖で反射的に断りそうになるのをグッと堪える。


「う、うん」

「本当に?良かった。初めてだよな、二人で行くの」

「そ、そうだな」


普段は不要な飲み会を避けている真澄は、洲崎どころか社内の人間と二人きりで飲むことが初めてだった。


そうと決まれば、と洲崎のリードでどんどん話がまとまっていく。

気付けば、さっそく金曜の仕事終わりで行くことが決まっていたし、連絡先も交換していた。


営業部のエースの実力を目の当たりにした気分だった。


借りを返したい真澄が、段取りや店選びなどの全てをするつもりだった。

しかし、洲崎は「俺にまかせろ」と譲らなかった。


(まあ、あんまり店とか知らないからそこは洲崎に任せるとして…代金を俺が奢ってやれば、今日の分も含めてチャラってことで良いよな)


いついかなる時も飲みの誘いは苦手なはずなのだが、なぜだか今は気分が良い。

意外にも早く、借りを返す機会が訪れて安心したからだろうか。

いつのまにか、沈んでいた気持ちが晴れていた。


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