戦場1-1
□
どことも知れぬ白亜の宮殿内、その客間にて。
「…………」
ガブリエールは“神”と名乗る存在から聞いた。聞かされてしまった。
エミール王太子の真意を──彼が何故、偽装婚約を持ち掛けてきたのかを。
それでも銀髪の令嬢は、信じられない……信じがたい気持ちで、客間のテーブルセットの椅子に腰かけ、漆黒と吹雪しか見て取れない窓の外を見やる。
ガブリエールは一言一句違うことなく“神”の言葉を思い出す。
『ガブリエールさんは考えたことはありませんか? 何故、ご自分が王国王太子と、偽装ながら婚約することができたのか』
自ら称して“神”たる存在は、穏和な口調で述べ立ててくれた。
『何故なら。すべては我々が手配したことだからですよ──ガブリエール・ド・モルターニュさん』
そうして、語られたのは、事の
神の説明する言葉に、虚飾の色は透けて見えなかった。
どころか、神の言い分は何もかも正統性に満ちていた。
それでも、少女は現実を受け入れることが、できない。
「…………嘘」
ぽつりとつぶやく声には力がこもらない。力をこめることが容易ではない。ガブリエールは力なく項垂れ、誰もいない客間の中で涙をこぼす。
「……嘘よ」
ガブリエールは心臓を高鳴らせながら思い出す。
あの舞踏会の逢瀬を。彼と共に踊ったダンスを。彼から紡がれた婚約という二文字を──
けれど、それらがすべて、
「嘘……嘘……うそ……」
泣き濡れた頬を一層うつむかせるガブリエール。
ほたほたと落ちる落涙が、彼女の手袋にしみを作り出す。
煌々と燃える暖炉の火だけが、彼女の冷え切った心を慰めるように、
□
「会敵十分前です、殿下」
エミールは傍に控える随従……護衛の魔法士官の言葉に頷く。彼の剣帯には国宝の一丁である至宝の聖剣『ヴァンピール』が提げられており、軍装も最上級の鎧で固められている。
前線の総司令官として、第一の壁を背後に擁す大地の上に布陣された騎士団や連隊を馬上から見渡しつつ、同時に、相対する魔軍の黒々とした様子にも目を光らせる。
「〈
「いかがなさいますか?」
「
「殿下」
「冗談だよ」
とはいうものの、檄文が頭の中でまとまっていないことは如何ともし難い。
エミールの胸中にあるのは、
春が始まるまで、エミールが一個人に、それも十五歳の少女に入れ込むなど、想像だにしない事態だった。
いったいどういう星の巡り合わせで、自分はこんなにも人を想うようになってしまったのか……
(考えても埒が明かない)
エミールは自分の
「御覧の通りだ、諸君! 我らの前に広がるのは、寝物語に聞いた、魔軍の大軍勢だ!」
王国王太子は豪胆にも言ってのけた。その声はよく透り、北の大地を震撼させる。
「諸君らの心が手に取るようにわかるぞ。家に帰りたい。家族と会いたい。愛する者と時を過ごしたい、と」
エミールは冷たい北方の空気を肺一杯に吸い込んだ。
「正直に言おう。俺もこんな
一国の王太子が叩く軽口に、笑声がはじけた。
「──だが、そういうわけにもいかない理由がひとつある」
兵士たちは知っていた。一兵卒の一人に至るまで、王太子婚約者、拉致誘拐の報は届いていた。
中には「王太子殿の婚約者を救うべく、私戦につきあうなんて御免だ」と声高に叫ぶものも。
が、今は皆、沈黙のうちに王太子の檄を聞く。
「我らがここにいる理由は何だ?
エミールは兵たちの士気が一段階上がったのを実感として得る。
「勝って「第一の壁」を守り通せ──勝って故国に
それだけを望めと王太子エミールは声高らかに宣する。
国家の興廃も存亡も関係ない。ただ「勝てばよい」という指揮官の令号は騎士団らを奮い立たせた。
それがひいては、自分の
「勝利を!」
『勝利を!』
開戦の火蓋は切って落とされた。
「
王太子の大号令に、
敵が布陣完了する前に、平野の騎士団が突撃を敢行した。
全兵力をあげて、魔軍の侵攻を食い止める──そして、ガブリエールの行方を問いただす──その目的のために、エミールは手段を選ぶつもりはなかった。
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